第34話
閉店間際の時計屋。
机の上には分解途中の懐中時計が広がり、店内には時を刻む音だけが響いていた。
「……師匠。少し相談があります」
颯真が切り出すと、師匠はルーペを外し、静かに顔を上げた。
颯真はスクラップ工場の話を一通り語った。
工場を買う話が来ていること。社長には残ってもらうこと。研究に使える場所になるかもしれないこと。ここに通う日が減るかもしれないこと。
話が終わってもしばらく返事はない。
師匠は懐中時計の歯車を指で転がし、じっと見つめていた。
やがて、短く言った。
「……歯車は増えすぎても、狂う」
視線が颯真に移る。問いかけのようで、断言のようでもある。
「……必要な歯車だと思います」
颯真は即座に答えた。
「私が動かすわけではありません。既に回っているものに、少し噛ませるだけです」
師匠は目を細め、微かに頷いた。
それ以上の言葉はない。
しかし、その頷きだけで十分だった。
颯真は深く頭を下げる。
「……ありがとうございます。ここも、私にとっては欠かせない歯車ですから」
師匠は手元の時計を組み直し始めた。
カチリと歯車が噛み合い、秒針が音を刻む。
その音が返事の代わりのように響いていた。
週末の工場はひっそりと静まり返っていた。
敷地の端にある小屋の扉を押し開けると、神谷颯真は思わず息を止めた。
中は長年の埃に覆われ、床板は剥がれ、割れた窓から吹き込む風が紙屑を舞い上げる。
棚は崩れかけ、錆びついた工具や曲がった鉄板が無造作に積み上げられていた。
雨漏りの跡が壁に黒い筋を描き、天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がっている。
「……これが拠点か」
呟きながら、彼は扉を閉めた。
外から見ればただの廃屋。
しかし今日からここは、彼の研究所になる。
颯真は目を閉じ、深く息を吐く。
――空間魔法、展開。
世界が一層重なった。
視界の隅に散乱した鉄屑や木材が淡い光の粒にほどけ、素材ごとに分類されて宙へと吸い込まれていく。
鉄は鉄、アルミはアルミ、銅は銅。
腐食した木材や濡れた紙は灰色の塵となって消え、床に残るのは純粋なコンクリートの素地だけ。
颯真は指先を床に触れさせる。
割れ目が走る部分に魔法が浸透し、ひびは音もなく閉じていく。
崩れかけていた壁も同じように再構成され、余分な汚れは削ぎ落とされ、無機質で滑らかな打ちっぱなしの面が現れた。
「遮音、防風、防雨……物理的に補強だ」
頭の中で素材を組み合わせ、壁の内部に吸音材の層を挟み込む。
粉々になったガラス片を分子単位に戻し、新しい窓ガラスを形作る。
枠は鉄から削り出し、密閉性を高めた。
扉は厚い鉄材を再構築し、外側は錆びを残して“古びた印象”を残しつつ、内側は滑らかに研ぎ澄まされた防音パネルで覆った。
次に天井。
雨水に染みた木材を分解し、コンクリートに置き換える。
厚さ三〇センチの屋根が再構築され、内部には防水層が埋め込まれる。
外から見れば煤けた灰色のスラブだが、内側は完璧に密閉されたシェルターだった。
時間の流れは淡々としていた。
代わりに現れたのは、白灰色のコンクリートに囲まれた無機質な空間。
照明は、スクラップから取り出したアルミと銅で作り直した配線に接続され、天井のLEDユニットが一斉に点灯した。
柔らかな白光が広がり、埃まみれだった小屋の中を均一に照らす。
颯真は中央に立ち、壁に手を当てる。
冷たい感触と共に、確かな強度が伝わってくる。
外観は変わらない。
朽ちたコンクリートの外壁、煤けた屋根、工場の一角に埋もれた小屋。
だが内側は一変した。
静謐で、整然とした研究空間。
余計な音はなく、外の風も雨も届かない。
静まり返った小屋の中で、神谷颯真は立ち尽くしていた。
廃墟はすでに消え、白灰色のコンクリートの箱となっている。
ここから先は、研究所に仕上げる工程だった。
まず床に意識を集中させる。
きめ細かく磨き上げられた表面が浮かび、ほのかに光沢を帯びて広がっていく。
埃の一粒も残さず、靴音が澄んだ反響を返すような仕上がりだ。
次に壁。
ただの打ちっぱなしではなく、実験用のパネルを固定できるよう、アンカー穴を等間隔で埋め込む。
外見は変わらないが、内部には遮音材と断熱層を仕込んである。
これで機械音も炎の熱も漏れることはない。
天井には配線を走らせた。
銅線を再構築し、耐熱チューブで覆う。
その先に配置するのは白色LED。
点灯すれば、昼間の太陽のように均一な光を放つ。
影の落ちない作業空間は、研究所に必須だった。
一方で水回りも欠かせない。
壁際に小さな流し台を設け、水道管を接続する。
下水管も組み直し、実験廃液が滞りなく処理されるように調整した。
必要ならガスバーナーも使える。
炎を扱う実験も可能だ。
中央には作業台を置いた。
鉄材とアルミを合わせて作った天板は、頑丈で耐薬品性もある。
スクラップから取り出した鋼を研磨し、艶のない灰色の机として再生させた。
無骨だが、どんな試料も受け止める信頼性がある。
壁際には収納棚を並べる。
試験管や器具を並べられるよう、段差を調整して配置した。
今はまだ空だが、これから少しずつ埋まっていくだろう。
最後に椅子をひとつ。
背もたれのある簡素な鉄製の椅子だ。
机の前に置き、そこに腰を下ろす。
目を閉じると、先ほどまでの埃と錆の匂いはもうない。
かわりに漂うのは、冷たいコンクリートと新しい金属の気配だった。
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