第25話
夕刻の講義棟、熱を帯びた討論は神谷の「AIの下位互換」という一言で大きく方向を変えた。
責任論は次第に「AIと人間の違い」「医師の未来」という別の論点へと雪崩れ込み、学生たちの発言は錯綜を始めていた。
「でもAIだって間違いをするじゃないですか!」
「いや、データ量が違う。AIの方が正確に決まってる」
「じゃあ、もう医師は要らないってことになるのか?」
「結局、人間の温かさはAIにはないだろう」
声が重なり、議論は空中分解しそうになっていた。
そのとき、静かに口を開いたのは、三人の教授のうちの一人、白髪のベテラン教授だった。
「——私は長年、臨床に携わってきました。確かにAIは優秀です。画像診断においては人間を凌駕する部分もある。だがね」
教授は視線を円卓に巡らせる。
「AIは責任を取らない。いや、取れない。これは善悪の問題ではなく、構造上そうなのです。だから“医師に責任があるのか”と問うならば、私はこう答えたい——責任を負う主体が存在しなければ、医療そのものが成り立たない、と」
ざわめきが一瞬止まり、学生たちの目が教授に集まった。
ベテラン教授は続けた。
「しかし、だからといって全てを個人に押し付けるのも酷だ。今やチーム医療は当たり前であり、病院組織としての責任もある。責任は分散されねばならない。だが、分散しすぎれば誰も責任を取らない。——この矛盾を、私は臨床の現場で何度も目の当たりにしてきました」
学生たちの顔に、考え込む影が落ちた。
そこに、神谷がゆっくりと口を開く。
声は低く、しかし響くように抑制されている。
「……教授のお言葉は、まさに現場を知る方の重みだと思います。責任を担う主体がいなければ、医療は制度として崩壊する。その通りです」
神谷は一拍置き、静かに続けた。
「しかし、私はこう考えます。いま我々が直面しているのは“分散”と“集中”の矛盾ではなく、その矛盾をどう整理するかという、まさに転換点なのではないかと」
教授が軽く眉を上げる。学生たちも再び神谷の言葉に引き込まれていった。
「AIが優秀であろうと、最終的に責任を担えるのは人間です。ですが、責任を一人に押し付ければ、その人は潰れる。逆に組織に分散すれば、責任が希薄化し、誰も真剣に背負わなくなる。その二律背反を前提としたままでは、いずれ現場は立ち行かなくなるでしょう」
神谷の視線が、議論で疲れ始めた学生たちをゆっくりと見渡した。
「では、どうすべきか。私は“責任を前提とした新しい枠組み”を考えねばならない時期に来ていると思うのです。AIが登場した今だからこそ。人間が責任を負うのは必然です。しかし、その責任を個人の肩に無理やり押し付けるのではなく、責任を引き受ける主体を“構造的に設計する”必要がある」
学生の一人が小さくつぶやいた。「……責任を、設計する?」
神谷はわずかに頷いた。
「はい。AIは診断の正確さを補う。組織は支援の枠組みを提供する。そして医師は“責任を選び取る主体”としてそこに立つ。そのように多層的に責任を設計しなければ、この先の医療は必ず行き詰まるでしょう」
ベテラン教授が腕を組んだまま、静かに目を閉じた。やがて口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「……なるほど。若いのに、よく見ている」
議論の場は再びざわめいた。しかし先ほどまでの錯乱とは違う。
神谷の言葉は、学生たちに新たな視点を与えた。
「責任を設計する」という概念が、次の論点となっていく気配が漂い始めていた。
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