第22話
「このケーススタディ、どう考えたらいいですか?」
「鑑別の流れが整理できなくて……」
医学における「鑑別(かんべつ)」というのは、
ある症状や検査所見に対して考えられる複数の病気を候補に挙げ、それらを順に絞り込んでいく作業だ。
「鑑別は、地図を描くようなものです。症状という出発点から、考えられる道をいくつも伸ばす。致命的な病気の道は、多少遠回りでも最初に確かめるべき道筋。頻度の高いものは、次に確認する。——流れをつければ、迷わず進めます」
学生は大きく頷き、安堵の色を浮かべた。
「……分かりました!ありがとうございます!」
礼を言って席へ戻っていく背中を見送り、颯真は静かに息をついた。
小声で問いかける学生たちに、颯真は落ち着いた声で一つひとつ答えていく。
無駄を削ぎ落とし、要点を絞り、理解の道筋をていねいに描き直すように。
学生たちは熱心にペンを走らせ、時折うなずきながら、最後には何度も礼を言って席へ戻っていった。
——その様子を、少し離れた席から眺めている影があった。
白衣をまとった教授陣の中で比較的若い医師。鋭さを帯びた眼差しに、どこか張り詰めた気配をまとっている。
颯真が心の中で「若先生」と呼んでいる人物だった。
若先生は唇に小さな笑みを刻み、迷いのない足取りで颯真の前に歩み寄る。
「ずいぶん人気じゃないか」
軽く茶化すように言ってから、空いている椅子を指し示した。
「私も一つ質問していいかな?——教授」
その呼び方に、颯真は思わず苦笑し、首を横に振る。
「いや、勘弁してください、先生」
若先生は柔らかく笑みを浮かべ、頼んだばかりのコーヒーを置いて席に腰を下ろす。
カップから立ちのぼる湯気の間に、わずかな沈黙が漂った。
やがて、声を落とした若先生が言う。
「……面接のときに言っていたね。“助けたい人がいる”と」
その一言に、颯真の胸の奥が小さくざわめく。
しかし表情には出さず、静かに頷いた。
「ええ。あの時と、気持ちは変わっていません」
若先生は目を細め、しばし彼を見つめる。
そして短く息を吐き、言った。
「詳しくは聞かない。ただ、その気持ちを持ち続けるのは簡単じゃない。……その人が元気でいてくれるといいな」
それは何気ない言葉だった。けれど、確かに心の奥に響く。
「ありがとうございます」
颯真は短く答え、深く一礼する。
若先生はコーヒーを飲み干し、軽く会釈して席を立った。
「また、どこかで話そう」
去っていく背中を見送りながら、颯真は心の中でつぶやいた。
(若先生……ありがとう。感謝します)
——颯真があえて人々を“あだ名”で意識するのには理由があった。
本名を強く意識すれば、無意識に鑑定魔法が発動してしまう。
望まぬ形で相手のすべてを覗き込んでしまうことが、恐ろしかった。
だから彼は、人々をあだ名で見る。
喫茶店の「マスター」。時計店の「師匠」。
同級生たちは「眼鏡くん」「元気さん」。
そして今、目の前にいたのは「若先生」。
それは一見、奇妙な習慣かもしれない。
だが颯真にとって、それこそが相手を“ただの人間”として尊重する唯一の方法だった。
——そして最後に。どうしても特別な存在として浮かび上がるのは、ただ一人。
彼女。
名前を意識してはいけない。
だが、忘れることなど到底できなかった。
余命三年。あの日、無意識に発動してしまった鑑定が告げた残酷な事実は、今もなお胸の奥に焼きついている。
(今はただ、静かに見守るしかない。必要なときに、迷わず手を差し伸べられるように)
カップの残りを口に含み、颯真は深く息を吐いた。
彼にできるのは、あだ名で呼んだ人々と穏やかに関わりながら、その未来に備えて学びを積み重ねていくことだけだった。
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