第3話:別の誰か

――ガハッ……ゴホッ、ゴホッ!


 突然、血を少し吐きながら、また見知らぬ場所で目を覚ました。状況に焦りながら、私はすぐに立ち上がって周囲を見回す。


「……気を失ってた? ここ……どこなの!?」


 何度も身体を回して見渡してみるけど、見えるのは木、木、そしてまた木。

 頭が混乱してる……いったい何が起こったの?


 いや、今回は記憶が曖昧なわけじゃない。ちゃんと覚えてる。

 あの巣の中にいたとき、黒いドラゴンが現れて……それで私が卵を壊したら、炎を吐かれて……でも燃えなくて、代わりに尻尾で吹き飛ばされて――あのまま巣から落ちて、山を転げ落ちたんだ。


 一連の出来事を頭の中で整理して、ようやく少し落ち着きを取り戻す。

 山のことを思い出しながら上を見上げると、折れた枝がいくつも見えた。きっと、そこを通って落ちたんだろう。


 枝の隙間から青い空がのぞいていて、その向こうに、さっきまでいた山の姿が見える。まるで隕石みたいに落ちてきたんだ、私。


 今は考えることが山ほどあるけど、とにかくあの山から離れたほうがいい。

 もしかしたら、あのトカゲ野郎が“殺したつもり”で追いかけてくるかもしれない。


 ……そう思った瞬間、妙に鋭くなった聴覚に、あの馬鹿トカゲの咆哮が山の頂上から響いてくるのがはっきり聞こえた。


「うるさいっての……あんたが転がり落ちればよかったのに。」


 もし私があいつくらいの力を持ってたら、絶対に後悔させてやるのに。

 山に向かって舌を出してから、くるりと背を向け、森の奥へと走り出す。

 木々は異様に密集していて、地面にはほとんど光が届かない。

 ほんのわずかな木漏れ日だけが差し込み、どこか寂しくて不気味な雰囲気を漂わせている。


「いったっ……!」

 走りながら腹を押さえると、鋭い痛みが襲ってきて思わずしゃがみ込む。

 さっきまで何も感じなかったのに――見ると、左脇腹が紫と緑の混ざった大きな痣になっていた。


 でも……正直、捕まって殴られてたときに比べたら大したことない。

 痛いけど、我慢できるレベルだ。


 それにしても、よく生きてたよね。あの巨体と硬い鱗……あんなの、動くクレーン車が全力で突っ込んできたようなもんだ。普通なら一瞬でバラバラになってる。

 それでも私はほとんど無傷で、しかもあの高さから落ちたのに生きてる。

 常人だったら、とっくに粉々だよ。


 思い返せば、あの炎のブレスを真正面から受けたのに、焦げ一つなかった。

 確かに当たった。私の血は蒸発して、近くの骨は灰になってたのに。


「……ふむ。」


 乾いた木の幹に背を預け、冷たく硬い指で顎を挟みながら考える。

 まだこの手には慣れていない。少し大きくなったせいで、うっかり自分の顔を叩いてしまった。


 目を閉じて、頭の中で情報を整理する。

 何かが引っかかる。答えはもう、喉の奥まで来ている気がする。


「……そうだ。私は“食べられた”んだ。」


 ドラゴンに飲み込まれ、消化されていく嫌な感覚をうっすら思い出す。

 そのあと、ドラゴンの卵の中で――私は、再び“生まれた”。


「……私、ドラゴンになったの?」


 信じがたいけど、それ以外に説明がつかない。

 アニメで見たような“中世ファンタジー”ほど派手じゃなかったけど、あの炎は骨さえも溶かすほどの熱さだった。

 それを受けても無傷ってことは、少なくとも火炎への耐性はある。

 つまり、ドラゴンの身体を持ってるってことだ。


 あの尻尾の一撃だってそう。人間なら即死。

 でも私は耐えた……つまり身体も強化されてる。


 ためしに、尖った枝を拾って自分の腕に押し当ててみる。

 ……ぐっ、と力を込めても、痛みはなく、やがて枝の方が折れた。


「やっぱり……。」


 私の身体は硬い。人間離れしてる。

 しかも、さっきの傷ももう小さくなってる。回復も異常に早い。


 強靭な肉体、自己再生、五感の強化、そして黒い鱗。

 これもう、ほとんどドラゴンじゃん。


「でも……なんで?」


 本来ならドラゴンの糞になってるはずの私が、どうして卵の中で生まれ変わったの?

 科学でも、生物学でも、こんなの説明できない。


「ま、いいか。どうせそのうち分かるでしょ。」


 いくら考えても答えは出ない。

 それより今は――お腹がすいた。


「食べ物……ないかな。」


 肉が一番いいけど、狩りなんてできない。

 だから果物を探そう。毒があっても、この身体なら少しは平気……たぶん。


 嗅覚を頼りに、獣や魔物の気配を避けながら森を進む。

 そういえば、私、卵を軽々と持ち上げてたよね。あれ、地面を割るほど重かったのに。

 やっぱり力もドラゴン級なんだ。


 ……でも、いざ戦うとなると別。

 私は運動音痴だし、ケンカなんて一度もしたことない。

 熊とか出てきたら、たぶん負ける。うん、逃げよう。


 そんなことを考えながら歩いていると、鼻をくすぐる甘酸っぱい香りがした。

 オレンジとレモンを混ぜたような匂い――果物だ!


 同時に、水の流れる音も聞こえる。

 川? 小川の近くには果物が多いって聞いたことある。

 それに、水も飲みたい。


 私は転びそうになりながらも走り抜け、ついに辿り着いた。


 ――そこには、小さな清流があった。幅は七メートルほどで、浅く、穏やかに流れている。

 岸辺には枝の低い大木が並び、その枝に黄色い果実がいくつもぶら下がっていた。

 先に茶色い種のような突起がある……どこかで見た形。あれ、カジュウ? カシューナッツの実だ。


「嘘……私の世界の果物?」


 嬉しさに思わず駆け寄り、両手いっぱいに取って夢中でかじる。


「……なにこれ、美味しい!」


 甘いけど酸っぱくて、どこかリンゴにも似てる。

 夢中で食べているうちに、二十個以上も食べてた。


 でも全然お腹が苦しくない。

 むしろ、もっと食べられそう。


「やば……太るかも。」


 そう思って手を止める。せっかく痩せたのに、台無しは嫌だ。

 ……でも本当、ありがたい。この身体になってから、全部が変わった。


 前の世界では、好きな人に“見た目が嫌い”って振られて、

 自分の身体が嫌で仕方なかった。

 でも今は――鏡(いや、水面)に映る顔が、綺麗だって思える。


 肌のくすみも消えて、バランスも良くなってる。

 顔は変わってないのに、なんだか可愛くなった気がする。

 身体も細くなって、髪は少し長くて野性的。


「ふふ……これ、見たらセンパイ、土下座して謝ってくるよね。

 でもその時は――踏みつけて笑ってやるんだから。」


 本当に、願いが叶ったみたい。

 でもその代わり、私はもう“人間”じゃなくなった。


 この腕、この脚、この瞳。

 誰かに見られたら、きっと“魔物”だと思われて殺される。


「はぁぁぁ……。」


 水面に映る自分の顔を見つめて、ため息をつく。

 このまま森で生きていくしかないのかな。


 黒く硬い手のひらをすくって水を飲む。

 一瞬ためらったけど、喉が渇いて仕方なかった。


 何度も何度も飲んで、ようやく立ち上がったその時――

 運命が静かに扉を叩いた。


「パルクルス・イマ? ハズ・ガナ・マヘイドイル?」


 炎のような赤髪を一本の三つ編みにまとめた少女が、木々の間から姿を現し、

 不思議そうな声で、私に話しかけてきた。

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