第43話 恋の行方

渡辺から距離を置こうと言い出した時、良樹は決して納得してはいないように彼女には思えた。

 だが一緒に登下校することはなくなったけれど、学校では今までと同じように、隣の席だし普通にしゃべっている。しゃべれている。彼女はそう思っていた。

 そうしてもうじき冬休みになるというところで、帰ろうと教室を出ようとした彼女に美咲が話しかけた。

「渡辺さん……ちょっと話があるんだけど、いい?」

「江藤さん……私に何か用?」

 正直「またか」と渡辺は思ったが、美咲の表情が今までとは違い、自分に対しての敵意が感じられないことに気づいた。

 「別に用ってわけじゃないけど。……その、川島のことでちょっと」

「……川島くんがどうかしたの?」

「え、いや、あの……修学旅行が終わってから、なんか前みたいに仲良くしてない気がしてさ……何かあったのかなって思って」

「ああ、そういうこと」

 志保が頼んだとは思えないし、きっと自分が気になるから直接確かめに来たのだろう、と渡辺は思った。彼女の中での美咲はそういうコなのだ。明るく真っすぐで余計な回り道はしない性格。それにしても……。

(気づいていたんだね。よく見てるなぁ)

 美咲の観察眼に少しばかり驚いた渡辺だった。

「ちょっと色々考えちゃってね、川島くんとは少し距離を置くことにしたの」

 渡辺はそれだけ答えた。

「それは……川島と別れるってこと?」

「うーん、どうかなぁ。私は川島くんのこと好きだけど、でも、やっぱりそうなっちゃうかもね」

 それは彼女の本心だった。渡辺は別に良樹のことがキライになったわけではない。むしろ今でも好きなのだ。

(ううん、今なら大好きって言っていいと思うんだ。別れたいわけじゃないの)

 だが良樹から偽りのない本音を聞いて、やはり彼の心の中にはずっと志保がいることを確信して、それなら自分はどうするべきなのか考えた時、いったん距離を置いてもう一度冷静に考えることしか頭に浮かばなかった。

 その場ですぐ別れる決断なんてできるわけがない。だって別れたくはないのだから。

「川島くんってさ、基本的に他人の気持ちに鈍感な人だけど、一番鈍感なのは自分の気持ちに対してなんだよね」

 修学旅行の時、彼と市原とケンカ寸前にまでなったあの時、彼女は気づいてしまった。彼が本気で喜んだり怒ったりする時、そこにいるのは自分ではない。別の女の子なんだと。

 そう気づいてから志保に対してマウント取りめいたこともしてみたが、どうやらそれは意味がないどころか、良樹を困らせ混乱させるだけのようだと気づいた。

「川島くんが私のこと見てないって、頭ではわかってるんだけどね。でも好きだったから、なかなか……うん、踏ん切りがつかなくってさ。バカだよね」

「バカじゃないよ!」

 ふいに美咲は声を荒げて、叫ぶようにそう言った。

「アタシはアンタのこと、バカだなんて思ってないよ。全然そんなこと思わない。だって、それだけ川島に対して本気だったってことでしょ? 本気で川島の事が好きだったってことでしょ? それなのに、バカだなんて思うわけないじゃん!」

 ああ、このコは本当に真っすぐなコなんだなぁと、渡辺は思った。自分は大親友の恋敵なのに、そんな自分の話を真剣に聞いて認めてくれるなんて。

「うん、そうだよ……本当に好きだった。ううん、今でも好きだよ。私は川島くんが大好き……」

 いつの間にか、渡辺の頬に涙が伝っていた。

「あ、あれ? やだな、なんか涙が出てきちゃった。おかしいな」

 渡辺は照れ隠しのようにそう言って、制服の袖で涙を拭った。

「でもさ、いくら私が大好きでも、川島くんが大好きな女の子は私じゃないんだもん」

「……それは志保のこと?」

「悔しいから言わない」

 渡辺はそう言った。

(だって、本当に悔しいんだもん)

 もちろん恨んだりはしない。だが、それでもやっぱり悔しいものは悔しい。自分では彼の心を奪うことができない。それを認めなければならないのが悔しい。

「……渡辺さんって、意外といいヤツだったんだね」

 美咲が、ボソリと呟くようにそう言った。

「え? 何それ?」

「アタシ、渡辺さんってもっと、なんていうか……キツい子なのかと思ってたんだ。噂とか、色々聞いてたし、志保のこともあって色々言い争ったしさ……ごめんね。アタシ、アンタのこと誤解してたみたい」

「……私も、江藤さんのこと、ちょっと怖い人なのかなって思ってた。なんか槇原さんのガード役って感じで」

「あのコ、ほっとけないからさ……でも、あんたも川島のこと、本気だったんだってわかったよ」

「……うん。まあね。でも、ダメだったみたい。あの二人の間には、私、入れなかったよ」

「……バカだよね、あいつら。お互いしか見えてないくせにさぁ」

「ふふっ……ほんと、そうだね」

「それで、どうするの? さっきの口ぶりだとまだ結論は出てないみたいだけど」

「そうだね。頭ではわかってても、いざとなるとやっぱり踏ん切りがつかなくって……川島くんのことが大好きなのも、一緒にいて楽しかったのもウソじゃないから、やっぱり別れたくないなっていう気持ちもあってさ」

「ごめんね。なんかアタシ、別れを急かすような聞き方だった。ごめん」

「気にしてないから。まあでも、もうすぐ冬休みだしさ、その間にじっくり考えようかなって」

「……まあ、なんかムカつくことあったら、いつでも言いなよ。あんたの愚痴くらい、いつでも聞いてやるからさ。川島の悪口でも、なんでもね」

「……うん。ありがとう、江藤さん」

「なんかさ、渡辺さんとは友達になれそうな気がする」

「ふふっ、私も、そう思う。……でも、いいの?  私は江藤さんの大親友の、恋敵だよ?」

 渡辺はちょっとだけ微笑みながら、そんな意地悪を言った。

 それに対して美咲はニヤっと、まるで姉御肌といった感じの笑顔を見せて「別にいいんじゃん」と返した。自分はもうどっちの味方でもないよ、と。

「アタシね、いまアンタの話を聞いていて思ったんだ」

「えっ!? なに? どういうこと?」

「……アンタは、幸せになるべきだよ。絶対に」

「えっ……?」

「人のことを真っすぐ好きになれる人はさ、絶対幸せにならなきゃダメなの……アタシさ、ずっと志保を見ていてそう思ってるんだ……アンタも同じだよね? だからアタシは、もう両方の味方」

 美咲は、ちょっと照れくさそうに視線を逸らしながら、だがハッキリとそう言い切った。

 「だからさ、ちゃんと考えて、自分が一番笑える道を選びなよ。アタシはどんな道を選んでもアンタの味方になるから」

「……江藤さん……」

「ところでさ、志保が知らない川島のダメなところ、アンタ知らない? 知ってたらさ、今度二人でアイツのダメ出し大会でもしよっか。志保には絶対内緒でね。アタシもアイツには言いたいこといっぱいあるんだよね」

「……なにそれ。ウケる」

 ふたりはお互い噴き出して笑ってしまった。なんだか心の底から久しぶりに笑った気がする、と渡辺は思った。

「じゃ、そういうことで。また明日ね、一美」

 「えっ……?」

 美咲は、まるでイタズラが成功した子供みたいに笑うと、ヒラヒラと手を振りながら去っていった。

 「……うん。また明日ね、美咲」

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