第6話 急接近

 自分の試合を終えた良樹は、体育館に行って志保の試合を見ていた。

 最初は下で見ようと思ったものの人が一杯で見えなかったので、照明装置などがある2階部分(と言っても単なる通路みたいなものだが)で見ていた。

 

(上からの方が良く見えるから結果オーライかもね)

 

 良樹のクラスはリードしているものの、そのまま勝てるかというと心細い点差だった。彼は内心ちょっとハラハラしながら試合を見ていた。

 

(俺は勝ったんだから、出来れば志保にも試合に勝って欲しいよな)

 

 そうすればお互い気分が良いし、家に帰ってから皆に2人揃って自慢出来るというものだ。「残念だったね」よりも「おめでとう」の方が良いに決まっている。

 

 そんなことを考えながら試合を注視していた良樹の隣りに、いつの間にかスッと来て「川島くん、お疲れ様」と声をかけてきたのは、体操着姿の渡辺一美だった。

 

「凄かったね、サヨナラホームラン。カッコよかったよ」

「サンキュ。打つ気マンマンだったけど、あんなに思い通りになるとは思わなかったよ」

 

 体操着姿の渡辺を初めて見たわけではないが、なぜだか良樹の胸はドキドキと激しい鼓動を刻む。

 

「わ、渡辺はバスケだったっけ。もう試合は終わったの?」

「うん、負けちゃった。ウチのクラスの試合は、もうこのバレーだけだよ」

 

 コートでは志保が一生懸命にプレーしていた。志保は運動があんまり得意な方じゃないのだが、クラスのために頑張ってるって感じがここまで伝わってくる。

 

(そのへんはアイツの良いトコだよな)

 

 志保はいつも真面目で一生懸命だ。母さんがよく少しは志保を見習えって言うけど、この辺のことなのかな? などと良樹は考える。

 

「槙原さんが気になるの?」

 

 試合を食い入るように見ていた良樹に、渡辺がそう尋ねた。

 

「へっ!? あ、いや、別に志保が気になるっていうか、同じクラスだし応援すんのは当然だろ?」

「ふうーん、そっかぁ」

 

 渡辺のその顔は、なんだか意味ありげに見えた。

 

「それにしても、川島くんはホントに運動神経良いんだね。何をやらせても上手だもん」

「他に取り柄が無いからなぁ。その分勉強が出来ないからプラマイゼロだろ」

 

 そういうものなの? と言って渡辺はクスクス笑う。

 

「やっぱりお父さんが体育の先生だからなのかな。お父さんに色々教わったりするの?」

「いやぁ、どうなんだろ。父さんに教えて貰ったのは水泳ぐらいだよ。水泳が専門だからさ。後は鉄棒くらいかな」

「そんなもんなんだ。じゃあやっぱり遺伝なんだね、きっと。いいなぁ。ちょっと羨ましいな」

「そうかぁ? 俺からすれば渡辺も志保も市原も勉強が出来るから羨ましいけどな」

「……それ、絶対本心から言ってないよね?」

「そんなことないって。本心だって」

 

 渡辺は良樹の弁解を疑わしそうな目をして聞いていたが、やがてまたクスクス笑い出し。良樹もつられて笑い出した。

 

「そういえば川島くんってさ、槙原さんだけは下の名前で呼ぶよね」

「ん?」

 

 そう言われて思い返してみると、確かにそうだった。

 

「あぁ、そうだな。最初は俺も槙原って呼んでたし、アイツも川島くんって呼んでたんだけどね。そういえばいつからかなぁ、いつの間にかお互いに下の名前で呼ぶようになってたな」

「槙原さんは、よしくんって呼んでるよね。私もそう呼ぼうかなぁ」

「いや、それは……勘弁してくれ。よしくんとか呼ばれるの、ホントは恥ずかしいんだから」

「恥ずかしいの? だったら槙原さんにそう言えばいいのに。そしたら止めてくれるんじゃない?」

「いや、まあそうなんだけど、いや、そうじゃなくてさ。志保にそう呼ばれるのはもう慣れちゃったから気にならないんだけど、今から他の人によしくんとか呼ばれると、何かこう子供っぽくてやっぱり恥ずかしいって言うかなんて言うか」

 

 なぜだか良樹はしどろもどろになって弁解した。

 

「川島くんって人の噂とか気にしないと思ってたけど、意外とそうでもないのかな?」

「噂は気にしないけど、俺だって人目は気にするよ」

 

 そう言うと、渡辺は「ふーん」とだけ答えた。

 

「でも良いね。なんか2人の間ではそれが自然なんだってことだよね。特別って感じがして、なんか良いね。ちょっと羨ましいかも」

「違うって。特別とかじゃなくて、単なる慣れだって」

「えーっ? じゃあ私がよしくんって呼んでも、そのうち慣れて平気になるんじゃないの?」

「えっ!? あ、いや、それはまあ、そうかもだけど……どうだろ?」

 

 良樹が言葉に詰まっていると、やがて渡辺は吹き出してケラケラと笑いだした。さっきまでの可愛らしいクスクス笑いではなく、可笑しくって仕方ないように。

 

「ちょっと言ってみただけなのにそんなに困らないでよ。そんなにイヤなの?」

「イヤって言うかさぁ……はい、イヤです」

 

 川島くんってやっぱり面白いね、と渡辺は言った。

 

(面白い、か)

 

 それでこうやって話すことが出来るんなら、それはそれでいいのかな。そんなことを良樹は考えていた。

 

「あっ!」

 

 突然渡辺が叫んだ。

 

「試合終わった! 勝ったよ、川島くん!」

 

 そう言われて良樹は慌ててコートに視線を移した。

 

「おーっ! ウチのクラスが勝ったかぁ」

 

 コートの中で選手たちが抱き合って喜んでる。もちろん志保もだ。みんなホントに嬉しそうだ。

 

(あ、志保のヤツ、俺に気づいてピースサインとかしてやんの)

 

 ホントにオマエだって子供みたいじゃねえかよ。人のこと言えねーじゃん。良樹は内心でそう思った。

 

(でも……良い表情してんな、アイツ)

 

 満面の笑みでピースサインをしていた志保。だが彼女が良樹を見つけた時、ほんの一瞬だが表情が曇ったことを、やはり良樹は気づけなかった。


 

 球技大会を終えての帰り。いつも通り良樹と志保は一緒だ。

 

「あー疲れたー、アンド腹減ったー」

「そうだねー。さすがにちょっと疲れたねー」

 

 彼らのクラスは、良樹が出たソフトボールと志保が出たバレーボールで優勝した。最高の結果だし、クラス的にも4種目のうちの2種目に優勝したのだから上出来だろう。

 

「よしくん、そんなに運動神経良いんだから、やっぱりお父さんみたいに体育の先生になればいいのに」

 

 突然志保がそんなことを言い出した。前々から、何度か志保はそんなことを言っている。

 

「体育の先生? 俺が教師? いやいや、ムリだろ」

「そんなことないと思うけどなぁ」

 

 体育の教師になるとか、そんなこと良樹は考えたこともない。

 

「それって大学まで行かなきゃなれないよな? いったいあと何年勉強すりゃいいんだよ。いや、無理無理無理。絶対無理だから」

「お父さんみたいになろうとか、思ったことないの?」

「あるわけないだろ! 俺はあんな怖い人間になりたくないし」

「あのね、樹さんのことを怖いと思ってるの、よしくんだけだと思うよ?」

「えっ!? 兄貴とか瑞樹は父さんのこと怖がってないの?」

「私の知っている限りでは、2人とも全然怖がってはいないと思うけど」

 

 そうなのか、と良樹は少々ショックを受けた。今まであらたまってそんな話をしたことはなかったけれど、彼はてっきり竜樹も瑞樹も同じように父親を恐れているものだと思い込んでいた。

 

「よしくんは体育の先生とか向いてると、私は思うんだけどなぁ」

「いや、そうだとしてもさ……それって大学行かなきゃダメなんじゃねーの?」

「うん、そうだね。大学で教員免許を取らなきゃだよね」

「俺にそうしろと?」

「だから勉強頑張ろうよ。私も協力するから」

「オマエと同じレベルの高校を目指せと?」

「よしくんはね、やる気が無いだけで、頭が悪いわけじゃないって私は思ってるの。だからきっと大丈夫だと思うんだ。やる気さえ出してくれれば、今日みたいにヒーローにだって絶対なれると思うの」

「やる気を出してくれればって、それが最大の問題じゃねえか」

「ね? だから勉強頑張ろう? 私は高校も、よしくんと一緒のところに行きたいよ」

「じゃあオマエが目標を下げれば問題解決じゃねえか」

「どうしてそこで、目標を上げようって考えないのかなぁ」

「そりゃあ俺だからな。楽して生きたいんだよ、俺は。とにかく無理だから。無理なものは無理だから。無理強いは良くないと思うぞ」

「よしくんなら出来ると思うのになぁ」

「無理なもんは無理でござんすよ」

 

 志保は執拗に説得しようとするが、良樹はとにかく無理の一点張りでそれに答え続けた。

 

 ――もともと勉強なんてあんまり好きじゃないからしたくないんだ。だいたい今から猛勉強を始めたって偏差値は簡単には上がりっこないし、だったらそんな無駄な努力を俺はしたくない。もっと他の事に力を注ぎたいんだよ。

 

 それが良樹の偽らざる本心だった。

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