第39話 テスト結果

 放課後のホームルーム。担任の赤井先生が、分厚い封筒を二つ抱えて入ってきた。教室の空気が少しだけ固くなる。



「はい、答案返すぞー。各教科まとめてある。点数は自分で確認。名前は呼ぶけど、点数は言わないから安心しろ。で、今回のクラス総合上位三人だけは発表する。よく頑張ったからな」



 ざわ、と小さな波。僕は筆箱を整え直す。



「一位、桐谷瑞稀」



 拍手。瑞稀さんは落ち着いたまま席を立つ。


「ありがとうございます」



 そう言って前に出た。彼女の一位はいつものことで、拍手と共にみんなも納得していた。



 赤井先生が封筒を渡し、何か一言だけ耳打ちする。瑞稀さんは短く頷いて席へ戻る。姿勢が崩れないのが、らしい。



「二位、無形空」



 自分の名前が呼ばれて、心臓が一回だけ強く打った。立ち上がると、前列のアキラが親指を立ててくる。


 三浦さんが「すごー」と小声で笑って、机を小さく叩いた。


 前へ。封筒を受け取ると、赤井先生が目尻を柔らげた。



「手堅いな、無形。英語が伸びて前回よりも成績が良かったぞ」

「ありがとうございます」

「継続しろ」



 席へ戻る途中、視線が自然と窓際に滑る。庵野さんと目が合う。


 彼女は胸の前で小さく拳を握って、音のない「おめでとう」を口で作った。僕は頷き返す。



「三位、庵野紘子」



 もう一度、拍手。少し驚いたように息を飲んでから、庵野さんは静かに立った。


 背筋はいつも通り。前へ歩く足取りは落ち着いている。赤井先生が封筒を渡しながら、はっきり言った。



「よく頑張った。国語は満点。英語と数学が伸びて、上位だ」

「……ありがとうございます」



 短い声。でも教室の後ろまで届いた。



 席に戻る彼女の頬が、ほんの少しだけ赤い。三浦さんが「やるー!」と親指を出し、庵野さんは小さく会釈で返す。



「以上。上位三人はこの調子で頑張るように。他のみんなも、答案は復習して次に活かせ。点数だけじゃないぞ。じゃ、順に取りに来い。岡部、並ばせるの手伝え」

「ラジャー! おい、後ろから詰めんなよー」



 岡部が列をさばきながら、僕の机に身を寄せてきた。



「二位か、やるじゃん、ソラ! ってか桐谷さんは相変わらずスゲーな、一位だぜ!」

「そうだな」



 アキラは自分の名前が呼ばれるまで、僕のことを褒めてくれた。


 僕は不意に、庵野さんの方を見れば、名前呼ばれたからか、庵野さんか顔を赤くして俯いていた。



「庵野さんもスゲーな、三位!」

「ああ、頑張ったんだろうな」



 アキラの素直な賞賛に、なんだか自分のことのように嬉しくなる。


 自分の封筒を開ける。英語の長文、並び替えは満点。数学の大問、置き換えの不等号は正しかった。



 国語の要約も、庵野さんが教えてくれた赤丸が点数に直結していた。


 庵野先生、心の中の呼び名の赤入れのやり方を、そのまま自分でもやれた。



 斜め前、庵野さんが答案を一枚ずつ確認している。


 指先が止まり、そっと息を吐いた。視線が合う。



 僕は人差し指で「◯」を作る。彼女も小さく「◯」。



「はーい、配り終わったらホームルーム締めるぞー。文化祭の係、明日から動くかなら、まずは会議があるから、色々と準備を手伝ってくれ。それに各自で掲示を見ろよ」



 赤井先生の声が締めに入る。列がほどけ、教室のざわめきが戻る。



「ソラ! 俺は平均を超えたぞ!」



 アキラが嬉しそうに答案を見せてくる。いつもは赤点ギリギリなので、五十点以上は嬉しいようだ。

 


「えらいぞ。次は英語だな」

「うっ……耳が痛い!」



 不意に視線を感じれば、三浦さんがこちらに答案を見せていた。



「無形くん、ほんとにおめでと! あと、英語を教えてくれてありがとう」



 三浦さんも英語の成績が良くなっていた。



「こちらこそおめでとう」



 そのやりとりを横目に、庵野さんが立ち上がる。封筒を大事そうに抱えて、僕の方へ一歩。



「……無形くん」

「うん」

「図書室、一緒にやってくれて、ありがとうございました」

「こちらこそ。庵野さん、国語満点すごい」

「えへ……はい。嬉しいです」



 教室で、こうやって庵野さんから話しかけてくれたことが嬉しい。


 笑顔と、小さい声でお礼を言ってくれて、胸が温かくなった。





 答案返却が終わり、ホームルームも早めに切り上げられた。


 文化祭の係決めは明日から。本日は解散。



「ソラ、ゲーセン寄らね?」

「いいけど、今日も負けるぞ」

「おい! この間は偶然だろ!」



 アキラに引っ張られるように駅前のゲームセンターへ。昼間のフロアはまだ混んでいない。クレーンゲームの奥、対戦格ゲーの列も短い。



「ほら、格ゲーやるぞ。今日こそ俺が勝つ」

「わかったよ」



 千円を両替して、二人で並ぶ。アキラは最初から突っ込むタイプで、僕はガードを固めるタイプ。結果はやっぱり僕の勝ち。アキラは両手を広げて天井を仰いだ。



「なにその鉄壁! チートだろ!」

「普通だよ」



 笑い合いながらフロアを歩いていると、不意に視線を感じた。

 

 入口の方。長身で金髪の男が立っていた。



「……あれ、桐谷さんのお兄さん」

「へっ?! 桐谷さんのお兄さん!? どこだよ?!」



 アキラが反応して、グレーのジャケットに白シャツ。襟元を少し開けていて、雰囲気は大人びている。

 

 ただ、視線は鋭くて、周囲の空気を自然に押し下げていた。


 すぐに僕たちに気づく。口角を少しだけ上げた。



「おう……無形じゃん」

「へっ!?」


 

 見た目の怖さに、アキラの背筋が伸びる。


 以前、桐谷瑞稀さんと一緒にいた時に軽く紹介された。



「お久しぶりです」

「なんだ? 友達と遊びに来てんのか?」

「はい。今日はテストの答案が返されるだけだったので」

「そうかそうか」



 高身長でイケメンが笑っている。


 男であってもイケメンは目の保養になるものだ。

 

 プレッシャーは強いが、嫌いじゃない。


 横でアキラが目を丸くしていた。



「えっ、ソラ、知り合い? ってか、桐谷さんのお兄さん?!……マジかよ、芸能人みたいじゃん!」

「お前は?」

「お、俺は高藤アキラっす。無形の友達っす!」



 アキラの声が裏返る。桐谷兄はふっと笑った。



「……そうかそうか、瑞稀のこと、よろしくな。くれぐれも変な気を起こすなよ!」

「……ひっ?!」


 

 その凄みにアキラが悲鳴をあげる。



「はい」



 僕は短く返事をした。



「それじゃあな。今日は俺も仕事だから、もう行くわ。ちょっと時間潰しによっただけなんだ」



 軽く手を上げて、桐谷兄はゲームセンターを出ていった。

 

 残された僕とアキラは、しばらく黙って顔を見合わせる。



「ソラ……やべぇな。桐谷兄、強キャラすぎるだろ」

「……そうだな。でもいい人だよ」

「そうなのか?」



 アキラの言葉にうなずきつつ、胸の奥で別の感覚が残っていた。


 あの目は妹を守ろうとする目。庵野さんや三浦さん、日野さんのことを考えた。僕も同じくらい、守れる人でいたい。


 クレーンゲームの景品のウサギのぬいぐるみを見上げながら、そんなことを思った。

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