第38話 自然に

《side 無形空》



 教室に入ろうとして、視線が止まった。


 庵野さんと三浦さんが、机を挟んで向かい合っている。



 いつもは見ない光景に少し驚いてしまう。



 話している内容は聞こえない。最初は胸がざわついた。



 庵野さんの心配と、だけど、三浦さんなら大丈夫だと思う気持ち。


 二人の表情は穏やかで、間にある空気が読みづらい。



 三浦さんが小さな丸いケースを取り出し、庵野さんに手渡した。


 庵野さんは驚いた顔で受け取り、少し考えてからうなずく。



 次の瞬間、二人が小さく手を合わせた。笑顔。そこでやっと肩の力が抜けた。



 大丈夫そうだ。むしろ、よかった。



 庵野さんが女子と長く話しているのは初めて見る。


 だけど、友だちが増えるのはいいことだ。



 男の僕では気付けないことも、三浦さんなら気づけるかもしれない。



「ソラ」



 後ろからアキラの声がして振り向くと、いつもの元気な顔に、少しだけ慎重さが混じっている。



「ちょい相談。今日、桐谷さんに話しかけようと思うんだけど、タイミングはどうすればいいと思う?」

「気負わず、短くいこう。おはようと一言だけにして長居しない」

「……今度の文化祭についてとか?」

「いいと思う。言葉は短くな」

「了解。よし、いくわ」



 チャイムが鳴り、一時間、二時間と過ぎる。


 三時間目と四時間目の間の休み時間、職員室側の廊下はいつもより人が少ない。アキラと並んで曲がり角で待つ。深呼吸をひとつ。



 プリントの束を抱えた桐谷瑞稀さんが、通路の奥から歩いてくる。足取りは一定。近づきすぎない位置でアキラが一歩前へ。



「桐谷さん、少しだけいいかな!?」



 アキラが決意して、曲がり角を飛び出した。



「うん、高藤くん? なにかな?」



 アキラのタイミングは相手を驚かせることなく、声の高さも距離も悪くない。


 ここまで順調だと思った瞬間、横から早足の影が入った。



「瑞稀! そのプリント、職員室まで運ぶんだろ? 俺、持つわ」



 岡部快。束を半分すばやく受け取り、自然に瑞稀さんの斜め前に入る。


 通路は狭くないのに、立ち位置がうまい。


 アキラの邪魔をするのにベストな位置を陣取る。



「先生が、次の委員会の配布も追加でってさ。これも一緒に」

「あ、ありがとう。助かるわ」



 桐谷さんも驚いている。


 岡部は完全にアキラを意識している。


 声量はいつも通り大きい、調子も軽い。


 ただ、流れをまとめて自分で運んでしまうタイプの動きだ。



 アキラが一瞬、口を開きかけて閉じる。僕は小さく首を横に振った。ここで割り込めば、三人とも困る。



「じゃ、職員室に行こうぜ」

「うん」



 岡部と桐谷さんが歩き出す。


 ほんの一瞬だけ振り返ってアキラを見た。目が合って、軽く会釈。アキラも会釈で返す。言葉は交わせなかったけど、悪い感じではない。


 人の流れが戻る。アキラが息を吐いた。



「今のは、間合い負けだな」

「ああ、岡部に邪魔された。相手の用件が優先度高かった。次は俺もプリントを運ぶように声をかけるわ!」



 アキラは負けてない。


 このまま応援してやりたい気持ちが強くなる。



「クソッ! 今日は負けだ」

「でも、目は合っただろ? 次は頑張れ!」



 アキラは苦笑しながらポケットから飴を口に放り込んだ。



「甘さが俺を癒してくれるぜ。……もう一回チャンス探すわ」

「いいと思う」

「了解。ありがとな、ソラ」



 アキラが拳を軽く当て、教室へ戻っていく。



 さっきの二人、庵野さんと三浦さんが、また笑っていた。


 休憩時間に、三浦さんが庵野さんに話しかけて、二人が仲良くなっている。



 僕は机に戻って日直欄にチェックを入れる。


 板書を写しながら、アキラの応援方法を考える。


 大事なのは、焦らないこと。


 イケメンでもない僕らは、一つ一つをコツコツやるしかないよな。


 かけられる時間は全力で……。





 昼のチャイムが鳴って、。僕はパンと牛乳を手にして、いつもの楠の下へ向かう。途中、三浦さんとすれ違う。



「無形くん、おはよー」

「おはよう、三浦さん」



 軽い一言。教室の中で起きている流れが、少しずつ組み合っていく感じがした。


 庵野さんがベンチに座って待っている。



「ねぇ、無形くん」

「うん?」


 

 三浦さんが上目遣いに僕を見上げていたい。


 その顔は可愛くて、小動物みたいだ。



「庵野さんって最近、綺麗になったよね?」

「うん。頑張ってるんだと思う」

「そうそう、だから応援したなっちゃうんだ!」



 三浦さんは良い子だと思う。家族のため、友達のため、いろいろなことに頑張っている人だ。



「三浦さんも頑張っている人だと思うよ」

「私? 私なんて全然だよ」

「そうかな? 三浦さんの気遣いで癒されている人もいると思うよ」

「癒されている人? 無形くんかな?」



 潤んだような瞳が、綺麗で見惚れてしまいそうになる。



「うん。僕も癒されているよ。ありがとう」

「へへへ、ありがと。ミントガムあげる」

「それもありがとう」


 

 僕は三浦さんからガムをもらって、別れた。

 

 その足で、校舎裏のベンチに向かう。


 そこには庵野さんが待ってくれていた。



「待たせたかな?」

「ううん」



 自然に隣へ座った。二人だけの空気が流れる。



「そうだ。今朝から、三浦さんと話してたね」

「はい。……友達になりました」

「友達? それはよかった」

「はい」


 庵野さんが嬉しそうに顔を綻ばせる。


 それだけで、昼の味が変わった気がした。


 僕もなんだか嬉しくなる。

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