15話 僕、信じてるから!

「じゃあちょっと行って来るわ」


 そう言って荷物をまとめた母さんは、玄関先で父さんを抱きしめた。


 これから数か月、母さんは戦争に赴くらしい。


 風の聖剣を持つ母さんは、その圧倒的な技量と相まって一騎当千の戦力を誇る兵士だ。


 しかし同時に、母さんが出るということは聖剣を奪われるという致命的なリスクが発生するということ。

 そのため母さんはこの国の切り札として扱われており、実際に前線へ出る機会は滅多にない。


 現に、僕が知る限りでは今回が初めての出撃なのだが……母さんが出なければいけないほどに戦場の状況は切迫しているのだろうかと、心配になる。


「次はダルクだな。ほら、飛び込んで来い」


 頬を赤くした父さんをようやくリリースしたかと思うと、今度はこちらへ振り向き両手を広げる。


 いつでも来いと言わんばかりに、僕を迎え入れる構えを取っていた。


「当分は帰ってこれないからな。思う存分甘えていいぞ」


「もうそんな年齢じゃないって……」


 ギュッ!


 口ではそう返しつつも、気づけば母さんの胸にしっかりと抱きつく。


 なでなで……


 こうして母さんに身を預けているとなんだか懐かしくて、不思議と心が落ち着いていった。


「なぁダルク……もし私に何かあったときは、棚にある手紙を読んでほしい。そこに―――」


「聞きたくない」


 不吉な言葉を漏らしそうになる母さんを、ばっさりと遮る。


「そんなことより、帰ったら母さんがやってた受け流す技教えてよ。あれやりたい!」


 その言葉を聞いた母さんは、目を丸くしていた。


 母さんは最強だ。だから、負けるなんてことは絶対にありえない。


 それを、何度も何度も稽古をしてもらった僕が信じなくていったい誰が信じるというのだろうか。


 そう自分に言い聞かせながら、込み上げる思いを押し殺すように力いっぱい抱きしめた。


「はは、そうだよな……私にはまだまだやるべきことが残ってるよな」


「そうだよ……って、わっ!」


 いつものように頭をクシャクシャと強く撫でられる。


「戻ってきたら本気で戦ってやる」


 そう言い残して、母さんは馬車に乗って行ってしまう。


 戦地へと赴くその背中を見ていると、もう少し色んな話をしておけばよかったなと寂しさが胸に広がる。


 だが、その切ない気持ちは次の再会まで取っておくと心に決め、僕は僕で前を向くのだった。



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 カッ!!!


『く……参った』


「わーい!僕の勝ち~」


 地面にしりもちをついたカイリに向って剣先を突きつける。これで十連勝。

 母さんが不在の間も僕たちは庭で基礎特訓を欠かさず続けていた。


 しかし、毎日単調な練習だけでは面白くないとカイリが駄々をこねたため、特訓の締めに互いの技をぶつけ合う模擬戦を取り入れている。


『だぁぁぁぁぁ!なんで負けるんだよ!俺、女だぞ!』


「ま、練度の差かな~」


『ちょっと待てよ!特訓は同じタイミングで始めただろ!』


 当然、剣道部で鍛えた経験がある僕は、今のところカイリに一度も負けたことがない。


『クッソ……ちゃんと昨日は違う方法で攻めたのに!やはり付け焼き刃のフェイトじゃ無理なのか?』


 だが驚くことに、カイリの動きは日ごとに上達している。


 隙がどんどん狭まり、今日もヒヤリとさせられる場面が何度かあった。

 成長曲線をグラフにしたら明らかに差をつけられているだろう。


「これは僕も負けていられないな」


 後ろから着実に迫ってくるカイリの存在に、気持ちがキュ!っと引き締まる。


 なんかこうして競い合うライバルがいるっていいな。単純に燃える。


『で、今日の罰ゲームはなんだよ。またくすぐりでもすんのか?』


 恥ずかしそうに顔を赤くしたカイリが、少し不満そうにそう問いかけてきた。


「そうだね……」


 実は模擬戦の罰ゲームとして、負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くルールを設けている。


 これは、何か代償があればより本気で戦えるだろうと思ってのことだが、僕が勝ち続けているので、命令できるのは僕だけという偏りが生じていた。


 自分で提案しておいてかなり酷い所業だなと今になって思う。


「罰ゲームねぇ……最近はくすぐりばかりで、さすがにマンネリ化してるからなぁ」


 毎日同じ内容では刺激も緊張感も薄れ、どうにも面白くない。


 でも他に良い罰ゲームの案が思いつかないんだよなぁ………とりあえず今日は父さんに言われた井戸の水くみをやらせるか?


「……あ、そうだ」


 何をさせようかと思案する中で、ずっと前から引っかかっていたある検証がふと頭をよぎった。


「ちょっとこっちに来てくれる?」


『いいけど、何するんだよ』


 思いかったがすぐ行動。僕は決意するように彼女の目の前で膝をつき、じっと視線を向けた。


「僕の耳、ちょっと触ってくれない?」


 ピコピコ!


 確かめたいこと……それはあのパーティーで感じた体の異変だ。


 あの時、可憐な少女に耳を触れられただけで体が奇妙な状態に陥った。


 全身が熱を帯び、自分の体が自分のものではないような不思議な感覚――


 あれがその場限りのことなのか、それともいつでも起きるのか。自分で試しても何も感じなかったので協力者が欲しかったのだ。


『い、いいのか?獣人が耳を触らせるって特別な意味があるんじゃ……』


「あぁ……別に、カイリならいいよ」


 カイリは親友だし、共に切磋琢磨する相棒だ。これくらいのスキンシップを今更気にすることはないだろう。


 パチン!


『ッ……じゃ、じゃあ行くからな!』


 なぜか自分の頬を叩いて気合を入れたかと思えば、まるで盗みを働くように恐る恐る僕の両耳へ指先を伸ばした。


 サワ……


「んっ……あっ♡」


 カイリの指が触れた瞬間、想定していた以上の感覚に思わず甘い声が漏れてしまう。


 まただ……またこの感覚だ。


 身体全体を貫くようなビリッとした衝撃。


 そして、その直後から内側から疼くようなムズムズとした感情が広がっていくこの感じ。


 あの日に味わったのと同じ、どうしようもなく抗えない感覚が静かに僕を襲う。


『すご……耳の中フサフサで温かくて、なんだこれ』


 スリスリ……♡


「んあ……♡」


 対してカイリもまた猫特有のフサフサした産毛の感触にすっかり魅了されて、次第に遠慮なく耳の中を触るようになっていた。


 ゴロゴロ……♡ゴロゴロ……♡


 喉が心地よく鳴り響き、腰もふわりと抜け堕ちる。


 まるで寒空の中でお風呂に浸かったかのような、じんわりとした幸福感が全身を柔らかく包み込んだ。


「えへへへ♡♡♡」


 ゴロゴロ……♡ゴロゴロ……♡


『お、おい!よだれが垂れてるけど大丈夫か?』


「だいじょうぶ♡あ、あと……んっ♡しっぽ!しっぽもお願い……♡」


 フリフリ♡フリフリ♡フリフリ♡


『わ、わかったけど、すんごい暴れまわってるけど、これ掴んでいいのか?』


「いいよぉ♡いっぱいさわって♡」


『ほ、ほんとに、ほんとにいいんだな!』


「いいからはやくぅ〜♡」


 ご主人様の手を煩わせるまいと、四つん這いになって体を小さくさせる。


 そのまま上目遣いのように視線を上げ、甘えるような声でそっとおねだりした。


 フリフリ♡


……ん?ご主人様って何だ?


 フリフリ……ギュ!


「ふにゃぁぁぁ♡♡♡」


 激しく暴れる尻尾をぎゅっと掴まれ、その衝撃とともに僕はあの日……


 いや、それ以上の快楽に身も心も沈めた。




 母さん……父さん……ごめんない。


 僕の体はクソ雑魚だったみたいです。




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