第46話 夜風のショートカット移動術
街道の向こうから、低い唸り声のような音が近づいてきた。
うねるような重低音は、蹄の響きではない。馬でもなく、荷馬車でもない──もっと軽快で、けれど力強い唸り声だ。
まだこの世界では聞き慣れない、鉄の獣が走る音。異世界の夜に似つかわしくない、乾いた爆音だ。
ランタンの光に照らされて、闇を切り裂くように一台のオフロードバイクが現れる。
フロントに備えたLEDライトが白々と道を照らし出し、捕虜たちの顔が一斉にその光に歪む。彼らは理解できないものを前に、恐怖とも戸惑いともつかぬ表情を浮かべた。
バイクは私たちの目の前でブレーキをかけ、砂利を跳ね上げながら停まる。タイヤが道に食い込み、独特の匂いが夜気に漂った。
二人乗りしていた後部座席の人物がヘルメットを取り、軽やかに地面へと降り立つ。
夜気に晒された金髪が、ランタンの光を受けて鮮やかに輝いた。
「や、間に合ったかな?」
「タイミング完璧ですね〜」
その場の空気が一瞬で変わった。
刺客の一団がざわめき、血の気を失っていく。
ランタンに照らされるのは、エウジェニオ・フォルイグレシア王子殿下。
場にいた騎士たちが頭を下げる。捕縛されていた男たちも、驚愕と畏怖をないまぜにした顔で金髪の青年を見上げていた。
「エウジェニオ王子……!」
刺客の男が低く名を呼ぶ。
一方のエウジェニオは、いつも通り飄々とした笑みを浮かべ、手をひらひらさせた。
ランタンの明かりに照らされたその笑顔は、あまりに場違いなほど柔らかい。だが同時に、その場にいる全員へ「本物である」という現実を否応なく突きつけた。
続いてバイクから降りたエウジェニオの側近である護衛騎士が、満面の笑みで口を開く。
「あかり殿! やはりこれは素晴らしい! 速度は速いし、風を切る感覚が爽快で! 小回りも効くし、前のライトも便利だし、長距離でも疲れにくいし……これ欲し」
「はい証拠隠滅ー」
運転していた騎士が「あぁ〜〜……」と名残惜しそうな声を漏らすのと同時に、オフロードバイクは一瞬でアイテムボックスの中へ吸い込まれて消えた。
まるで魔法のように姿を消した鉄の塊に、刺客たちが騒めく。
話をしていた男は私を鋭く睨んだ。どうやらよく分からないままでも、私が妙な道具をポンポン出していることと、今回のエウジェニオの"異様な現れ方"が無関係でないことを察したらしい。気味の悪いものでも見るかのように睨まれる。
「いぇーい、ぴーすぴーす」
「……何してる?」
「バケモン見る目で見られたから煽ってる」
あっけらかんと返すと、レオナルドがこめかみを押さえて深いため息を吐き、隣でエウジェニオが笑う。
やがて、エウジェニオは一歩進み出て声を張った。
「いやぁ、突然僕が乗る馬車を襲撃されて焦ったね。けれど、こうして君たちが守ってくれたおかげで無事に乗り切れた。心から感謝する」
「はっ!」
第三騎士団の騎士たちは一斉に礼を執った。その声音は誇り高く、芝居めいた空気の中、忠誠の所作がぴたりと決まる。
「なぜ、何故ここに王子が……」
刺客の首領格らしき男が呻くように言った。声には悔しさと、理解できないものへの混乱が入り交じっていた。
エウジェニオはそこでわざとらしく咳払いを一つ。舞台の幕開けを告げるように、ナレーションめいた口調を取った。
「今日、僕はこんな噂を耳にしたのだ。『数ヶ月前から行方不明であった第三騎士団の副団長が、ロウヘルト子爵家へ向かったらしい』──とね。僕は事実を確認するべく、早馬を飛ばし、そしてお忍びで向かうことにした」
彼は朗々と語りながら、一歩ずつ刺客たちに近づいていく。
暗闇の中でも金の髪が微かに輝き、その存在感を否応なく押し付けた。
「そして道中……僕は君たちの襲撃に遭った。そういうわけだ」
声を終えると同時に、しんと空気が凍り付く。
男の顔がみるみる歪み、やがて怒声が響いた。
「いや、おかしい。そうはならない! 殿下が城に居たことは確認されている! そこからここまで、こんな短時間で来られる筈が、いや、先程の異様な魔道具を使ったのだろうが、それで通用すると思うか!?」
声が震えている。必死に現実を否定しようとしているのが見て取れた。
けれど、エウジェニオは軽く首を傾げて笑う。
「うぅん、なるほど。君が言いたいことは分かるよ。僕が城に居たことを目にしたものは居るかもしれないね」
そこで一拍置き、ゆっくりとした口調で言葉を重ねた。
「では──記録は?」
「──は?」
「人の記憶は曖昧なものだ。"僕が城に居た"……その記憶はどれだけ確かなものかな?」
男の目が泳ぐ。
「いくらお忍びとはいえ、早馬を出すことも、僕が城を出ることも記録に残る」
エウジェニオの声音は穏やかで、しかし逃げ場のない糸で相手を縛り付けるような響きを持っていた。
「さて……そこに記された時間は、いつの事だろうね?」
沈黙が落ちた。夜風に揺れる草のざわめきだけが響く。
私たちがやっているのは、要は時刻表トリックだ。
エウジェニオが最後に王城で姿を確認された時間。そこからここまでの距離を馬車で移動する時間。素直に移動すれば、彼がここまで辿り着くのにはもう数時間はかかるのだが──それを大幅に短縮したのが、バイク移動。
"王子がここにいる筈がない"という道理に従った想定が、"実際にここに居る"という事実に塗り替えられる。
彼は国王の影に押さえつけられ、長いこと従順な息子の役を演じてきた。だがその裏で、漫然と日々を浪費していたわけではない。
彼の周囲には、エウジェニオの直属の側近を筆頭に、王ではなく彼個人に忠誠を誓う者もいる。
街道を駆ける早馬を駆るのは第三騎士団の役目であり、エウジェニオの外出手続きをするのは彼の側近の仕事だ。
"エウジェニオがここまで辿り着いていても不思議ではない時間"が記載された書類を提出するのは難しい話ではない。
だからこそ──公に残る紙の上では、エウジェニオがここに居ても不自然ではない。
書類上の外出記録の時刻には、王城から大した荷物も積んでいない馬車が一台、門から出ている筈だ。
捕虜たちの顔から血の気が引いていく。
彼らは悟ったのだ。自分たちの襲撃が"ただの野盗"ではなく、"王子殿下を狙った反逆"として扱われる未来を。
流石に王子を害したとなれば、国王といえど罰は逃れられない──いつかエウジェニオが言った言葉を、今、現実にしようとしている。
エウジェニオは口元に笑みを浮かべたまま、刺客たちをひとりずつ丁寧に眺めていった。視線は柔らかいが、その奥にある冷ややかなものに、男たちは背筋を凍らせる。
視線が刺客の中のひとりに止まると、彼はふと首を傾げた。
「……ああ、やはりそうだ。君は第二騎士団に所属している団員と血の繋がりがあったな。従兄だったかな? うん、以前夜会で見かけた顔だ」
その男の顔が引き攣る。身内の名をいきなり言い当てられるとは思っていなかったのだろう。後列の刺客に動揺が走る。
「そちらの君は……ふむ。目立つ髪色だね。金と紫の二色、なかなか珍しい。第一騎士団にも同じ血筋がいるね」
男は何も答えなかったが、その沈黙が肯定の証拠だった。エウジェニオは満足げに頷く。
「では、話は簡単だ。身内が同じ団に所属している以上、彼らにこの件の調査を任せるのは不適切だろう。第一や第二に預ければ、"身内のために揉み消す"こともできてしまう。……だから、この件は第三騎士団に一任する。異論はないね?」
「はっ!」
騎士たちが声を揃えた。その声は確かな響きを持って夜の街道に広がる。
これで少なくとも、騎士団が国王に忖度して「ただの野盗に襲われた」という筋書きで全てを流される可能性はぐっと減った。
ただ、権力という意味では一段劣る第三騎士団が、国王から圧力をかけられる可能性はあるが……。
「あ、殿下。あっちも終わったらしいですよ」
脳内ウィンドウでちょこちょこ同期アイコンをタップしていたノートに更新があった。
「おや。そうか」
エウジェニオが振り返り、花が綻ぶように笑った。
そして懐から取り出したのは、紅茶色の手帳──型のケースを纏ったスマホ。彼は自然な手つきで画面を覗き込み、内容を確認した。
「……ふむ」
彼は小さく頷き、顔を上げる。
「アリトス商会がヴァレスティ公爵令嬢を害し、騎士団によって制圧された」
そう告げた。
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