④屋上(7/8)[AI占い解釈補助]

  ( 四 )



 六月になり、夏服の移行期間が始まった。自由制服のこの学園にも移行期間があるんだなと思いながら、麻耶はすこし乱れていた襟を整えて教室を見渡した。ここ数日は夏場のような暑さが続いたせいか、早速夏服にきりかえる人もいれば、冬服に身を包んだままの人もいて、まだら模様になった教室を眺めて一部の生徒が人間オセロを始めている。

 暑いのは気温のせいだけじゃない。本格的な梅雨を控えているせいか、空気が湿気で重く、蒸し暑い。窓を開けても生ぬるい風が吹き込んできてあまり涼しいと言えず、ある生徒は下敷きで扇ぎ、ある生徒は冷房の電源を求めて騒いでいた。

「あ、優香」

 英莉が、新しく買った制汗スプレーで廊下を示す。たしかに優香がいた。ここ二日くらいの優香は、同じクラスの女子と仲がいい。とても楽しげで、この前の暗い顔が嘘のようだった。

 ───あれ? きょうはもう一人はいないの?

 はじめは、クラスメイトからも優香がいないことについて聞かれたが、説明をためらう麻耶を察してか、英莉がすべて「忙しいんじゃない?」とぶっきらぼうに答えた。麻耶も、いつもいた筈の場所にだれもいないのが悲しかったし、ぽっかりと心にあいた空虚感が気がかりだったが、あんなことになっていつも通り過ごせる自信もない。

 優香と距離を置くのは、一学期のあいだだけ。二学期が始まる頃にお互いどのようになっているのか見当もつかないが、いつかまた一緒に過ごせる日がくるだろうか。酷いことをされた事に間違いなかったが、優香と絶交なんて、麻耶はすこしも考えていなかった。彼女に初めから悪意があったのなら「手紙を書いたら?」なんて助言しないだろうから。

「で、麻耶。告白はどうすんの? また前みたいにラブレター書くの?」

「ぶっ!」

 突然の問いに、緑茶を飲んでいた麻耶はおもいきり咳き込んだ。まるで今から面接試験を受けるかのように、つま先を揃えて背筋をのばす。

 決して忘れていた、わけではないが。

 優香のことがありすっかり有耶無耶になっていた。

「そ、それは⋯⋯」

 彼にフラレたものだと考えていたが、実際は春坂にはまだ何も伝わっていないことになる。ふりだしに戻った形───いや、完全なふりだしではなかったが。

「図書室で一度話したから、話しかけるのは大丈夫だと思う。⋯⋯緊張するかもしれないけど⋯⋯」

 俯く麻耶を見て、英莉はイタズラでもするようにニタリと笑って耳打ちした。

「知ってる? あいつの誕生日って今月なんだよ。しかも日曜日。デートとか誘ってみたら?」

「ふぇっ⁉ デ、デート⋯⋯?」

 耳まで真っ赤になった麻耶の脳裏に、ある光景がぽわぽわと浮かんだ。

 待ち合わせ場所に着いたら、私服姿の彼にちょっとときめいたり。

 遅れてごめんね、って言いながら駆け寄って。

 どこに行こうかと一緒に考えて。

 あれおもしろかったよ、なんて言いながら映画を見たり。

 映画を見てる間、隣にいる彼の横顔にドキドキとときめいたり。

 ちょっとお洒落なお店に行ったりして、こっそり用意した誕生日プレゼントを渡したり───

「ちょ、ちょっと待って! な、何でえりちゃんがそれ知ってるの⁉」

「優香から聞いた。あたしはべつに優香と話しちゃダメとか制限ないし」

 この前まで火山の噴火のように怒りを爆発させていた人とは思えない。すっかり怒りは落ち着いているようだったが、最後に「平手打ちはしたけど」とおまけのようにつけ加えた英莉に、麻耶はむしろそこに驚いた。

「あ、あの⋯⋯喧嘩はちょっと⋯⋯」

「喧嘩じゃない。けじめ。グーとパーでちょっと迷ったんだけどね。自分としてはグーがよかったんだけど、麻耶が話し合うって言ってたからじゃあパーにしようかなって⋯⋯」

 そう言いながら英莉は、制汗スプレーを腕にひと吹きして香りを確かめる。

 麻耶にはまったく違いがわからなかった。

 先輩だって暴力はダメだと言ってたのに。

「告るかどうか悩むんなら行ってみたら? 先輩から名前聞いたんだよね?」

「うん⋯⋯」

 新原から聞いた、恋愛相談ができそうな人。麻耶はその人が同級生だと知っていたが、今まで話したことがない。決して自分が臆病だから、というだけではない。

 その人を初めて見たとき、麻耶が自分の目を疑ったのと同じくらい、その人の神経を疑うほど『変な人』だと思ったからだ。



  ◆◆◆



『名前は、玉響たまゆらあゆらさん。花井さんと同級生なので、もう知ってるかもしれませんね。解決部で、恋愛相談を受けた実績があります』

『どんなふうに相談を受けてもらえるんですか?』

『占いですね。プロじゃなくて趣味らしいですけど⋯⋯』

 放課後。新原との会話を思い返しながら、麻耶は、かたく閉められた入口の前に立った。あゆらがいるクラスだ。中から賑やかな笑い声とともに「あゆらちゃんすごいねー」という声が聞こえてきた。その数からして、五人か六人ほど教室に残っているらしい。

 優しい先輩が紹介したのだから、きっと大丈夫。深呼吸して気分を落ち着かせると、麻耶は教室のドアをそっと開けた。まず見えたのは⋯⋯女子。ひとつの机に、五人ほどの女子が集まっている。彼女たちが見ているのは小柄な女子生徒の手元。机を囲む彼女らに隠れてしまってよく見えないが、ピンクのカーディガンを纏った背中につやのある長い茶髪がゆるやかに波打っていた。

 彼女だ─────

 しばらく待っていると「またねー」と手をふって女子たちが教室を出ていった。

 麻耶の背筋に緊張が走る。声をかけるなら今しかない。

「あ、あの⋯⋯玉響さん?」

 おそるおそる近づいて名前をよんだ。あちらが反応しなかったので、もしや声が小さすぎたかと思ったが、小さな背中がふり返り、丸い緑瞳がくりくりとふしぎそうに麻耶を見つめた。

「花井サン? 占いダヨネ? 新原センパイからきいてるよ」

 座って、と彼女は目の前の椅子を示した。

「う、うん⋯⋯そうなんだけど、ほ、ほかにも、占う予定の人がいるんじゃないかな⋯⋯? だったら、私は後回しでいいよ」

「イナイよ。花井サンわ誰もいないトキがいいカモって、新原センパイゆってたカラ」

 話が早すぎる。連絡をとっていたこともそうだが、先輩がそこまで考えていたことにも驚いた。なんだかすごく申し訳なかったが、こうしてスムーズに対応してくれるのはありがたい。自分のクラスとはすこしちがう教室───たとえば、壁の掲示物や机の木目模様、教室の一角に置かれたガラス瓶に生けられた花々────に戸惑いながら、麻耶は椅子に腰かけた。

 ウェーブがかった長い茶髪に丸い緑瞳。正面から見たあゆらは、まるで人形のように可愛らしい容貌だった。彼女の手元には、大きなリボンの巾着袋や小物がいくつもあって、乙女心をくすぐってくる。女子というより「女の子」という呼び方がとても似合う。────ただ、桃色のカーディガンから覗く白い腕に、人目に触れるように包帯が巻かれていて、いかにも何かがあると思わせている。麻耶は恐ろしくて指摘できなかった。決して、その包帯の内側に、見るのもはばかられるような醜く凄惨な傷痕が隠されているわけではない────というのは、昨年の修学旅行の最中、ホテルの脱衣所で入浴するさい、彼女が包帯を巻き直している姿を見て知ったことだったが。

 そして入学当初のことを、麻耶は鮮明に覚えている。いや、忘れようにも忘れられなかった。自由制服が認められているこの黄昏学園で、あゆらはいくつもフリルが重なったふわふわのドレスに身を包んで、我こそが宮廷のお姫様だと言わんばかりの装いで教室に現れたことを。だれもが言葉を失っていたし、彼女の神経を疑った。

 極めつけは。

「玉響さんって占いできるんだね。知らなかったなぁ」

「まえにセンパイの恋を占っタラね、イロんなヒトからやってーってゆわれるよーにナッタの」

 この口調。まるで幼子のような拙い話し方。ただ面と向き合って話しているだけなのに、麻耶はなんだか居た堪れなくなった。あゆらの小柄な背丈も相まって、より強調される幼さ。お互い高校二年生なのに。

 どうしよう。この些細な疑問を口に出していいものだろうか。

「玉響さんって、ふつうに話せるの⋯⋯? それとも、もともとそういう話し方? あ、もし気を悪くさせたらごめんね。気になっただけだから⋯⋯」

 ふゆぅ?────と、独特のあいづちを打ちながら、あゆらはコテンと首をかしげた。

「あゆらわね、あゆらダカラ、コレがカワイイの」

「そ、そっか⋯⋯」

 麻耶はこれ以上聞かないことにした。

「玉響さん、占ってほしいことなんだけど⋯⋯」

「ぢゃあ、コレ書いて」

 言いづらそうにしていたせいだろうか。あゆらが一枚、紙を差し出した。どうやら相談内容を記入してほしい、ということらしい。

 ────春坂透に告白して大丈夫か。緊張してがたがたと震える手で、字を間違えないように気をつけながらゆっくりと書いた。簡単に経緯も記す。ただ手紙を渡せなかったことだけで、優香との一件は書かないことにした。あゆらが読めるように、向きを気をつけながら差し出す。

 内容を見たあゆらはうんうんと頷いて。

「ぢゃあ、告白シタら未来がドウなるか占うね。カード、どれくらい混ぜたらイイ?」

「え? じゃ、じゃあ⋯⋯に、二十五秒」

 あゆらはトランプのようにカードを混ぜ始めた。途中、半分にわけてくるりと向きを変え、また重ねてカットする。それを繰り返していると一枚のカードがとびだした。あゆらはそれを机のすみに置いて、丁寧に混ぜたカードの束をまるで扇をひろげるように綺麗な弧をえがいて並べた。

「コレって思ったカードを、三枚指さして」

「な、何でもいいの? ⋯⋯これと、これ⋯⋯⋯⋯それから、これで⋯⋯」

 選んだ三枚を抜き取ったあゆらは、扇子をとじるようにカードをまとめて隅に寄せた。三枚とさっき飛び出した一枚を並べて、あゆらはゆっくりと頭をさげる。

「ぢゃあ、この四枚で占いマス」

 裏向きに置かれたカードを見て、麻耶の心臓が早まる。未来がより良いものであってほしいという期待と、結果を見たくないという恐怖心がふくれあがる。

 あゆらはすべてのカードをめくり、左端のカードを手にとる。

 ワンドの八、正位置。

 これは、さっき飛び出したカードだった。

「カットしてるときに飛び出したカードわね、すごくだいじな意味がアルってあゆら聞いたコトある。ソレでね、コレわ⋯⋯チョット急ぐ⋯⋯? ぢゃなくて、急速に動く? もし告白シタら、もの凄いスピードで関係が変わるカモ⋯⋯?」

 結果を聞いても、麻耶にはいまひとつピンとこなかった。それどころか、今よりもずっと悪い関係性に傾くのではないかとすら思った。

 あゆらは、残る三枚を見て考え込む。

 過去────聖杯カップの八、正位置。

 現在────金貨ペンタクルの十、逆位置。

 未来────ワンドの五、正位置。

 未来のカードに思うところがあったのか、あゆらはもう一枚カードをひいて重ねた。

 聖杯カップのニ、正位置────聖杯を持って向かい合う二人の男女が描かれている。カードの意味がまったくわからない麻耶にも、これだけはなんだか良いカードのように思えた。

「花井サン、家族と喧嘩シタ?」

「してないよ」

「ぢゃあ⋯⋯お友だちと喧嘩シタり、人間関係でトラブルあった?」

「⋯⋯な、何でわかったの⁉」

金貨ペンタクルの十わ、裕福な家庭トカ家族の事トカを表すの。デモ逆位置で出てるカラ、家族トカ長い付き合いがあるヒトと、なにかトラブルがあったのカナって」

「う、うん⋯⋯。でも、ごめんね。その事はくわしく言えないの⋯⋯」

「過去にアル聖杯カップの八わ、つぎのステージにいこうとシテるカード。最初は告白シヨウとがんばってたケド、今わ不安になってるミタイ。たぶん、そのトラブルとか⋯⋯人間関係で⋯⋯」

「うっ」

 ぴしり、と刃先を心に突き立てられたような感覚。麻耶にはとても心当たりのある言葉が並び、おもわず身が固くなった。

 あゆらは、最後に出したカードを手にとった。

「未来わ⋯⋯⋯⋯⋯告白シテも、春坂クンからハッキリした答えわ出ないカモ? アト恋のライバルが出てキタりする可能性も⋯⋯。デモ、花井サンが言いたいコトを正直に言っタラ相手にもちゃんと伝わると思うし、告白も成功するカモ。春坂クンと良い関係になれる可能性がありマス」

 終わり、と言って、あゆらは麻耶が書いた用紙に、占った結果を記録し始めた。

「えっ⁉ そ⋯⋯その⋯⋯良い関係になれるかもって、それって⋯⋯⋯⋯」

 付きあえる、とか?

 いやいやそんな都合のいい話はないだろうと、麻耶は首を横にふった。今までほとんど話したこともないのに、そんな階段をいくつか飛び越えて発展するような事。しかしこの占いでは、関係性が大きく変わる暗示が出ているし、図書室では彼のほうから声をかけられたし、本探しも手伝ってくれた。それに学生裁判委員として同席した彼女───九柱くばしらも、何人かは麻耶の好きな人を知っていると言っていたから、春坂に気づかれていてもおかしくない。それに本人の前で、自ら手紙を書いたことさえ打ち明けた。彼も内容が気になっているだろう。

「ど、どうしよう⋯⋯! どうしよう、私⋯⋯もしそうなったら⋯⋯」

「花井サンって、春坂クンと付き合いタイの?」

 目をぱちくりとさせるあゆらに、麻耶はその言葉を喉の奥で繰り返す。快くそうだと答えられなかったのは、まだどうしたいのかはっきり決まっていないから。

「わかんない。でも、もし迷惑じゃなかったら、いろんなことを話したりしたいなぁ」

「えへへ⋯⋯あゆら応援スル」

 あゆらが子どものように顔をほころばせたので、麻耶もつられて笑った。

 嬉しかった。なんだか心も軽くなった。自分の恋は幻でも何でもないと言ってくれているようで勇気を貰えたような気がする。それがたとえ原理がよくわからない占いでも。

 麻耶は立ち上がって、ありがとう、とあゆらに頭をさげた。彼女には、今度改めて御礼しようと心に決めて教室から出ようとする。

「⋯⋯⋯⋯」

 ふと、足を止めた。気になったことがあり、ひろげていたカードを片付けているあゆらのほうを向いた。

「あの⋯⋯玉響さんは、春坂くんのことどう思う?」

 すると、あゆらは眉を八の字に沈めて、泣きそうな顔で胸のあたりをぎゅっとつかんだ。

「こわい」

 と、ただ一言。

「春坂クンに見られタラ、あゆら、心がヒリヒリする。すごくこわい」

「そっか。ありがとう」

 廊下で待っていた英莉と合流して、一緒に生徒玄関に向かう。外は鮮やかに色付いた橙の景色があって、いつか見た漫画みたいに、こんな綺麗な空の下で気持ちを伝えてみたいと思った。だから。

 生徒玄関に着くと、自分のクラスは素通りして別のクラスの靴箱へ向かう。いくつも並んだ棚の中から彼の名前を探した。靴がある。彼がまだ校内にいる。まわりを見ると、英莉以外誰もいない。

「麻耶、こっち見とくから」

「うん」

 見張りを買って出た英莉に頷き返して、急いでかばんの中からメモ帳とペンを取り出した。今日の日付と自分の名前、そして、ただ一言だけ、伝えたいメッセージを記してページを破り彼の靴箱に入れた。こんなチャンス、もう二度とこないかもしれないから。

「えりちゃんは先に帰ってて。私、いってくる」












  

 " 屋上で待ってます  花井麻耶 "


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