④屋上(3/8)
( 二 )
朝起きて、まずSNSを確認する。
そこに望んだ名前がなくて、麻耶はため息をついた。
春坂に手紙を渡してから一週間。
彼からの返事はなかった。
「フラレた⋯⋯ってことだよね⋯⋯?」
学校ではほとんどお決まりのように英莉に不安をこぼしていて、英莉はそれをとくに気にすることなく昼食のホットドッグを頬張った。今日は晴天。あたたかで優しい春の陽気とは裏腹に、麻耶の心はぶあつい雲に覆われていた。
口まわりのケチャップをぺろりとなめて、英莉は言った。
「あれ、何て書いたの?」
「ええと⋯⋯好きです。よかったら連絡くださいって、自分のアカウントを書いたんだけど⋯⋯だめだったかなぁ⋯⋯」
「音沙汰ないってことはそうなんじゃない? それか、まだ返事を考えてるとか? あいつけっこう告られてるって話だし、誰にしようか悩んでたりするかもよ」
「そっか⋯⋯」
それでも、麻耶にはなんの気休めにもならなかったが。
食事がのどが通らない麻耶はまだおかずが残る弁当に箸を置いて、校内の自販機で買った紙パックにストローを刺した。ヨーグルト風味のジュースだ。甘いけどさっぱりしていておいしい。
「どうしよう⋯⋯」
こんなあっけなく恋が終わるなんて思いもしなかった。彼からの返事をドキドキしながら待って、ささいな言葉に一喜一憂したり、苦しんだり悲しんだりして、ようやく────と考えていたから。手紙を渡してから気分は以前より落ち着いているものの、心の片隅ではまだ残り火がくすぶっている。
(もしかしたら、まだ忙しくて読んでないのかも⋯⋯)
そんな心の予防線は口に出ていたようで、英莉がちょうど開けようとしたミルクティーの缶で麻耶の頭をこつんと叩いた。
「気になるなら、いっそ本人に聞いてみたら? 手紙を読んだかどうか」
「そ、そうだよね⋯⋯」
それが簡単にできるなら、手紙を渡すことを躊躇しない。
英莉に申し訳なく思うと同時に、臆病な自分を麻耶は何度も呪った。
「ごめんね。えりちゃん、こんなことばかり言って⋯⋯」
「いいってべつに。優香ならもうちょっといいこと言えるかもしんないけど」
いつもならいるもう一人の席を見て、麻耶はすこし寂しくなった。今日の昼食は、英莉と麻耶の二人だけだ。優香はここ数日姿を見せていない。授業で調べ物をすることになり、それが終わるまで、同じ班になったというクラスメイトと一緒に過ごすそうだ。麻耶は昼食の時間まで授業について話そうと思わない。先日、SNSに届いた優香からのメッセージを思い出してまじめだなと思った。
「あれ? もしかして、あれ優香?」
その声に俯かせていた顔をあげると、英莉が廊下のほうを顎で示す。行きかう何人かの生徒の中に春坂と優香が並んで歩いていて、二人はなにやら話しながら麻耶たちの教室を通りすぎていった。ズキ、と胸が痛んだ。どうしてそう感じたのか麻耶にもよくわからない。
「そういえば、授業で同じ班になったらしいよ。なんか班を作ってテーマ決めて、市内のこといろいろ調べるんだってさあ。最悪。そのうち、うちのクラスでもやるんじゃないの?」
「そ、そうなんだ⋯⋯」
そう答える麻耶の声はどこかぎこちなかった。彼と同じ班になったこと、優香はどうして自分には教えてくれなかったんだろう────なんだか心がモヤモヤして、二人が去った方角をじっと見つめた。
「あ、そうだ」
名案がうかんだとばかりに英莉はポンと手を叩く。
「今日の帰り、一緒に映画とか見ない? 気分が暗いときは、別のことやってたほうがいいかもしんないよ。ついでに宿題わかんないとこあるから教えて!」
本命は映画よりも宿題かもしれなかった。
英莉が手をあわせて、一生のお願い、と言うので、麻耶は笑って頷く。
「でも私、今日は掃除当番だよ?」
「大丈夫だいじょーぶ! 手伝うから」
それから放課後。ゴミ置き場の決められた位置に、ぱんぱんに膨れたゴミ袋を置いて麻耶はひと息ついた。黄昏学園には校内を清掃している用務員がいるものの、教室まわりは生徒たちの担当だ。麻耶のクラスでは部活動に遅れるという特例にあてはまらなければ、ほぼ全員が掃除当番になっている。それでもほとんどの人が放課後に残ってまで掃除しようとは思わなくて、まじめそうな人に押しつけてさっさと帰ってしまう。たしかあの人も今日の掃除当番だ。かばんを提げたクラスメイトが、待ち合わせていたらしい友人に手をふって駆け寄った。
────あれ? 今日、掃除当番じゃないの?
────やろうと思ったら終わってた!
そんな声が聞こえて、麻耶は呆れて肩を落とした。おとなしい麻耶が注意したところで、あの人が一緒に掃除をやってくれるわけじゃない(それどころか、心底迷惑そうな顔をされる)とわかっているので何も言わない。
あれから英莉と二人で何の映画を観ようかと話すうちに、暗かった心はすこしずつ晴れていった。本当にこれでいいのかと不安な気持ちもあったが春坂に直接たずねる勇気もなかったし、何より自分なんかには分不相応な恋だったのだから、どんな形であれ彼に気持ちを伝えられたならそれでいいと思い直すことにした。本当は諦めたくなかったけど、今はそうするしかなかった。
「う〜んっ、しょっと」
腕をのばして、かたまった背筋をのばす。あとは、すみに寄せていた机をきちんとならべて、ホウキやちりとりを片付けたら終わり。英莉のおかげで、思ったよりも早く帰れそうだ。そう考えながら教室に戻ろうとした時、近くにまだ中身が片されていないゴミ箱を見つけて麻耶は足を止めた。まわりを見渡しても、用務員らしき人影はない。素通りするのはなんだか気が引けて、さきほど置いたばかりのゴミ袋をひっぱってきて中身を入れることにした。
ちょうど持っていたゴム手袋をはめて中身をつかもうとした時、
「え」
それに見覚えがあった。飲み干されたペットボトルやビニール袋で隠されるように捨てられている、花柄の紙片。ばらばらにやぶられた切れ端に妙に馴染みのある文字が見えて、悪い予感が脳裏をよぎった。いや、そんなはずはない。ここにそれがあるはずがない。麻耶は震える手でそれをかき集めて、模様がぴったりあうようにつなぎ合わせた。
『春坂くんへ』
『花井麻耶より』
ガツンと頭を殴られたような強い衝撃が麻耶を襲う。捨てられていたのは、麻耶が書いた手紙で間違いなかった。封筒だけじゃない。よく見ると便せんも一緒にやぶられているようで、ゴミ箱の中にそれらしい破片がいくつも散らばっていたし、書かれている内容の一部を読むことさえできた。封をするさいに使ったシールはぴたりと貼り付いている。カッターで開封したような形跡もない。
もしかして。
(読んで、ない⋯⋯?)
「麻耶〜! こっちもう終わったけど、そっちまだ時間かかる〜? 優香も捕まえたから三人で一緒に宿題やろ〜!」
「ま、まってよぉ英莉ちゃん」
呆然と立ち尽くす麻耶のもとに、かばんを持った優香と英莉がやってきた。跳ねるように身軽に駆ける英莉のうしろを、運動が苦手な優香が息をきらしていてやっとの思いで追いついた。
「⋯⋯麻耶? どうしたの?」
英莉の不安げな呼びかけも、目の前のものに釘付けになった麻耶にはほとんど届かなかった。これが夢なら早く覚めてほしかった。異変を察したふたりが手元を覗き込んでまったく同じ反応をしたから、やっぱりこれは現実なんだと麻耶は頭の隅でぼんやりと考えた。
「ま、まさかこれ⋯⋯春坂がやったってこと⁉ 信じらんない、あいつ⋯⋯」
「ちょっと待って、英莉ちゃん。本当に彼がやったのかなぁ?」
「何言ってんの? あのとき優香がちゃんと渡してたじゃん。本人以外に誰ができるっていうの?」
「⋯⋯もしかしたら、読んだから⋯⋯捨てたのかも⋯⋯」
「麻耶、あんな奴かばわなくていいって!」
「それに⋯⋯ほら、私のSNSアカウントも書いてたから⋯⋯だから⋯⋯だれかに、見られないように? ⋯⋯とか」
「麻耶」
現実を受けとめろと言わんばかりに、英莉が麻耶の肩を揺さぶる。麻耶はすこし目が回るような心地になった。
「もうフラレたってことでいいんじゃないの? これ」
「そ、そうだね。麻耶ちゃんには⋯⋯気の毒だけど⋯⋯」
「⋯⋯そうかなあ。春坂くんって⋯⋯解決部だし⋯⋯何か理由があるんじゃないかなぁ⋯⋯って⋯⋯」
解決部は、市内のボランティア活動に従事する。荷物運びからだれかの悩み相談まで。とくに去年は大きな事件を解決したり災害支援に尽くしたり、市内では高い評価を受けている。
人助けの部活に所属する彼だから。もしかしたら。
「じゃあ言えよ、って思うんだよね。なんか理由があるんなら直接さあ。なのに返事もしないどころか、読まずに捨てるって頭おかしいんじゃないの? 自分はモテるから、一人くらい雑に扱ったっていいってこと?」
「えりちゃん、そこまで言わなくても⋯⋯⋯⋯」
「だって麻耶、ずーっと返事待ってたじゃん! それがこうなって許せるわけないでしょ。ちょっとあいつのとこいってくる」
「えりちゃん、まって!おちついて⋯⋯」
「何でかばおうとすんの⁉ いくらあいつが好きだからって、そこまでする必要ある?」
「⋯⋯あのね、私⋯⋯去年、春坂くんに助けてもらったことがあるの⋯⋯」
まだ入学して間もない頃のこと。
先生との話を終え教室に戻ったときには、休み時間が終わるギリギリだった。つぎの授業は移動教室だったから教室には誰もいない。この時はまだ仲のいい友人を作れていなかったから、自分と一緒に行こうとクラスの誰かが待っていてくれることもない。目的の教室がどこにあるのかわからないまま校内をさまよった。
出会った先生に、目的の教室────理科実験室の場所をたずねて、その説明にしたがって階段をのぼった先にあったのは、すでに生徒が席についている上級生の教室だった。近場を探しても理科実験室なんてどこにも見あたらない。通りかかった別の先生にたずねたら、自分はもうすぐ授業だからと困った顔を浮かべられた。授業が始まる寸前の教室に飛び込んで場所をたずねる度胸もなく、うろうろするうちに授業開始のチャイムが鳴ってとうとう階段でうずくまった。
遅刻確定。
どこかの教室から、先生の声と教科書をめくる音が聞こえてきた。みんなちゃんと授業に出席しているのに、自分だけこんなところに取り残されているのがなんだかすごく心細くて、ぼろぼろと涙がこぼれた。これから授業に出席してもクラスメイトから変に注目されるだろうから、それがなんだか恐ろしくて身動きがとれない。
そんな麻耶を見つけたのが、その日遅れて登校した春坂だった。階段でうずくまる麻耶を見て、彼は持っていたスマートフォンを耳にあてた。
『高等部一年、春坂です。西階段に具合が悪そうな女子が────ああ、遅れるってきのう連絡してて⋯⋯市役所に用事が⋯⋯』
スマートフォンからかすかに漏れる大人の声に、職員室に電話をかけたのだと麻耶にもわかった。連絡を受けた養護担当の先生が駆けつけてくれるまで、彼はずっと一緒にいてくれた。
「⋯⋯何か話したわけじゃないんだけど⋯⋯それで⋯⋯」
彼がどんな人かと気になって。
少しずつ心が落ちていって。
「それで? 何? あいつはやってないって言いたいの?」
「⋯⋯わかんないけど、そういう人じゃないって信じたいなあって⋯⋯」
疑いたくなかった。自分を助けてくれた彼のことを。でもそれは、ほとんど自分に言い聞かせているようで。
心の中に小さく宿った春坂を疑う気持ちを押し殺して、ひらひらと紙吹雪みたいに小さくなった手紙をゴミ袋に捨てる。涙がこぼれそうになるのを必死にがまんしながら、麻耶はぎこちない笑顔をふたりに向けた。
「ありがと。ふたりとも」
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