第9話 主人公は脇役であれ。


 いつもの中庭。昼休み。春の風が草を撫で、ざわつく校舎の声を遠くに追いやっている。


 本来なら、そろそろ優璃が「凪沙〜!」と叫びながら走ってくるはずなのだが、今日は姿がない。

 早朝、カメラマンの件をすっかり忘れていた罰として「今日の昼休みは中庭禁止」と言い渡しておいたからだ。「許して!」「ダメ」「お願い!」「ダメ」の押し問答を数回繰り返した後に、


「じ、じゃあ……芽美はいいよね?」

「……なんで神崎さん?」

「そ、それは……あっ、脚本の件あるし!」


 自分から提案しておきながら、「そうだ、思いついた!」みたいな反応なのは気になったが、脚本の件は優璃の言う通りだ。

 ……それも結局、カメラマンがいないと話にならないんだけどね。


「神崎さんは? 私は、別にいいけど……」

「な、凪沙さんがいいのなら、ぜひご一緒にさせてください!」


 なぜか嬉しそうな神崎さんに、サムズアップで笑顔を見せる優璃。なんだか、二人の世界。……まあ、偽装とはいえ、付き合ってるもんね。はいはい、お似合いお似合い。


 ——そうして迎えた、神崎さんと二人きりの昼休み。


 ベンチにはすでに神崎さんが座っていて、膝の上にお弁当を整然と置き、背筋を伸ばしていた。制服の襟元はきちんと整っていて、長い髪は風に揺れて陽を反射している。


「……こんにちは」


 神崎さんは私に気づくと、少しだけ柔らかい笑みを浮かべた。

 普段はきっちりした印象ばかりなのに、今はどこか緩んで見える。二人きりだからだろうか。


「脚本、拝見しました」


 開口一番にそう言われて、思わず肩が跳ねる。


「え、もう読んだんだ」

「はい。とてもよかったと思います」


 神崎さんは言葉を探すように視線を宙に漂わせ、それからまっすぐこちらを見つめた。放課後までに、という話だったけれど、授業合間の休憩時間に目を通したのだろう。


「日常の空気に、ほんの少し滲むような甘さ……と言いますか。どう演技していくか、今から楽しみです」

「まだ一話だよ? 起承転結でいえば起だけで……これから先、どうなるかはまだまだ」

「それでも、土台がしっかりしていなければ物語は立ちません。だから、とても大事な一歩だと思います」


 真正面から褒められて、顔が熱を帯びる。舞台女優らしい、細部にまで至る意見だった。その声色は真剣で、こちらが照れるほどに澄んでいた。


「そう……だといいんだけど。ありがとう」


 私は慌ててノートを鞄から取り出し、話題を逸らすようにページを開く。


「……それと、優璃にはあとでメッセージ送るつもりだけど、神崎さんには直接説明しておこうと思って」

「説明……ですか?」

「まず、主人公——つまり私の台詞が少ない件」

「あっ、確かにそれは気になりました。……どうやら、優璃さんも」


 私はノートの余白を指で軽く叩きながら続ける。


 ——そう、徹夜して考えた脚本。私の台詞の量は、優璃と神崎さんに比べて十分の一ほどしか用意していなかった。


 ちょうど優璃からも『凪沙の台詞の量、少なすぎてサボってない!?』とメッセージが飛んできた。文字でも騒々しい。いや、これに関してはちゃんとした策略がある。……半分だけ。


「優璃のせいで不服ながら私が主人公になったわけだけど……やっぱりビジュアル、演技力の面で絵が映えない」

「それは……」


 何か言いたげに口を開きかけた神崎さんは、私の説明を優先するためか、そっと口を閉じてくれた。


「逆に神崎さんは普段から演技に慣れているから、大丈夫。優璃に関しても、だいたいはそつなくこなすだろうし、何より目に見える全てが映えまくる」


 普段の動画でも、ちょっとしたコントのようなことをしている。

 例えば優璃がSNSで最初にバズるきっかけになった『女子中学生のあるある』シリーズでは、再現のための演技が入り混じっていた。

 何より、可愛い。神崎さんと並んでも、食い合わない魅力がたくさんある。


「その二人に加えて私が喋りすぎると、物語のノイズになる。それを避けたくて、あえて台詞を極端に減らした。……見ている人が私を、主人公を通して投影しやすい器にするためにね」

「……だから、台詞や動作の指定に偏りがあり、優璃さんや私が際立って見えたんですね」


 神崎さんの瞳が大きく揺れる。

 彼女はお弁当の箸をそっと置き、胸の前で両手を組み合わせた。


「……すごいです、凪沙さん。ちゃんとした意図や根拠があって——本当に考え抜かれているんですね」


 いや、そうやって過剰に持ち上げられるとむず痒い。考え抜かれた策略——その部分だけ切り取れば聞こえはいいが、もう半分は優璃の言う通りサボりだった。……だって、目立ちたくないし。


 だから、そんな意図が透けないうちに、次の話題を重ねる。


「あと、最後の選択肢について」

「選択肢……確かに最後、演技とは関係ない注釈のようなものが」

「うん。基本的にラストは二つの選択肢で締める。二択の質問をアンケート機能で期間を指定して用意、多く選ばれた方のルートに進む……みたいな」


 例えば一話目の脚本では最後、『急いで終わらせる』か『ゆっくり終わらせる』の選択肢がある。前者を選ぶ人が多ければ次は優璃のルート、後者なら神崎さんのルート——のように、物語が進んでいくように考えている。


「もちろん視聴者目線、選ばれた選択肢の先がどうなるかは、次の話が上がるまではわからない。そうすれば次のドラマの視聴意欲も上がるでしょ?」

「すごい……! 本当に観ている人を物語に参加させる仕組みなんですね」

「まあ、こういうシステム自体は既存にあるフォーマットだよ。私たちみたいな素人が……ってのは、ほぼないかなとは思うけど」

「それでも、ナイスアイデアだと思います! SNS特有の機能まで、こんなにも活かして……!」


 神崎さんは驚いたように息を呑む。

 これは、私が主人公でありながら影に徹するというムーブに、違和感なく理由づけするための仕掛けだ。

 ……代わりに、脚本負担は大きいけど。それでも優璃と神崎さんを差し置いて、真正面から主人公を演じるよりはずっとマシだ。


「ただ、最初のうちは本当に分岐させるけど、後々はある程度“こっちを選ぶだろうな”って選択肢で誘導するか、どっちを選んでも本筋はそこまで変えない予定。……分岐させすぎると、私のキャパが追いつかないし。メインルートを順番に回して、優璃も神崎さんも平等にスポットが当たるようにね」

「わかりました。ご説明ありがとうございます。おかげで物語の解釈がより深まりました……!」


 感激する神崎さんを横目に、照れ隠しにスマホを取り出す。グループチャットを開き、神崎さんにした説明と同じ内容を報告として送る。


 すると、すぐに画面が震えた。


『さすが凪沙! 私は信じてた!』


 信じてた——調子の良いことばかり。

 そういえば以前、優璃の動画ネタの台本を考えさせられたこともあった。

 それとこれとは全然別物だと思うけど。


 ……それに、これで良いものになるとも限らない。そもそも撮影だって、カメラマンがいなければどうしようも——。


『ところでカメラマンの件だけど、なんとかなりそうなの! 放課後、楽しみにしてて?』


 その元気すぎる文字列に、頭を抱えたくなる。こういうスピード感とか行動力とか、私も優璃を見習わなければならないのだろうか。


 顔を上げると、神崎さんと目が合った。思わず、二人して小さく笑ってしまう。……不安は依然として消えないというのに。私の幼なじみは、やっぱり世界を騒々しくさせてくれるようだ。

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