第7話 不寝番
振り返ると食堂のおじさんほか数名を従えた百人長が居る。
組み立て式の天幕を張った下には台が据え付けられ、いくつもの大きな壺が乗っていた。
兵士は歓声を上げながらぞろぞろと天幕に向かう。
僕が1人で作業を続けていると先ほどより大きな声が響き渡った。
「こらあっ! クエル。命令が聞こえんのか? こっちへ来い!」
慌ててすっ飛んで行くと百人長に叱られる。
「今までは1人だったから分からないかもしれないが団体行動を乱すな」
「すいません。僕も対象に含まれているとは思わなくて」
「なるほど。それは理屈ではあるな。ただ、適度に休憩は取れ。作業効率が落ちる。具合を悪くしたら却って作業が遅れるだろうが」
「どうもすいません」
「まあ、話はこれを飲んでからだ」
百人長が大きな陶製のジョッキを僕に突きつけた。
爽やかな香りのついた液体を飲み干すと汗がどっと噴き出す。
「ほら見ろ。もう1杯だ」
強制的にもう1杯を飲まされた。
「それとあれも食っておけ」
台の上にある容器を示す。
近くに行くとおじさんが砂除けの覆いを取った。
拳大ほどの大きなゆで卵が入っている。
おじさんがドードー鳥の卵だと教えてくれた。
1つ食べると塩が振ってあるのか少ししょっぱい。
百人長がやってくるので場所を変わろうとしたら止められる。
「俺は書類の確認をしていただけだからな。軽食はいい。そうだ。2週間分の報告書は良く書けていたぞ」
「ありがとうございます」
休憩が終わると今度は百人長も城壁の修復作業に加わった。
しばらく僕に張りついて観察していたが、他の兵士のところへと向かうと声を張り上げ始める。
僕は小柄なので引き続き低い位置の不具合の修復を主に担当した。
梯子の上り下りが無いので作業が進む。
黙々と取り組んでいたら昼の休憩になった。
1度食堂に戻り具たくさんのスープを食べる。
小麦粉を練ったつるんとしたお団子も入っていて食べ応えがあった。
食事が終わったらすぐに作業を再開するのかと思ったら違う。
風通しのいい場所で少しだけ昼寝をした。
気力と体力が回復したので、元気いっぱいで午後の作業をしていると将軍の視察があると聞く。
ローフォーテン将軍が馬に乗り数人を連れて現れた。
ちょうど小休止中だったので僕たちは天幕の下で寛いでいる。
手を止めていることを叱られるかと思ったら特にそんな様子はない。
さっきまでキビキビと働いていた帝国兵の人たちも、飲み物を片手に暢気な感想を述べていた。
「厳しい人だけどちゃんと休ませてはくれるんだよなあ」
「仕事ぶりをきちんと現場で見てくれるのも良い」
どうやらローフォーテン将軍は部下には慕われているようだった。
下馬した姫はアイリーンさんを連れ百人長に案内されながら城壁に近づく。
壁に手をかけながら説明を聞いていた。
うんうんと聞いていたが百人長に何かを話しかける。
百人長は僕たちが休んでいる天幕を指さした。
ローフォーテン将軍がこちらをまっすぐに見る。
20歩ほどの距離を置いて僕らの方を食い入るように見ていた。
あれかな。僕らがちゃんと管理してなかったのが気に入らないのかも。
こちらを見ているのは分かるが将軍の表情までは分からない。
その後、向きを変えると乗馬の方に戻り、もう1度こちらを見ると去っていく。
「ようし。野郎ども。続きを始めるぞ」
百人長が叫んだ。
夕日が山の向こうに消える前にはあらかた城壁の修復が完了する。
少なくとも外側の部分は概ね処置が終わっていた。
身軽そうな兵士が百人長に命じられて城壁を登攀しようとするがなかなかうまくいかない。
最後は滑り落ちて悪態をつく。
「こりゃ素手じゃ無理ですよ。梯子か縄でも使わなきゃ」
百人長はその兵士の肩を叩いて労うと引き上げを命じた。
城門を閉めようとするときに百人長は小首を傾げる。
夕食時に大きな鳥の腿肉を焼いたものが1人に1本ずつ出た。
村で暮らしていた時にも時折口にすることができたけれども、その時は家族で1本である。
ここの兵舎に到着してからの期間でも見るのは初めてだった。
付け合わせは茹でた豆でこれの量もたっぷりあり、ライ麦のパンもどっしりと厚切りしたものが3枚もある。
飲み物は水で割った葡萄酒が出ていた。
「隊長。今日は重労働だったし、もうちっと飲ませてもらってもいいんじゃないですかねえ?」
誰かが大声を上げて、そうだという唱和する声が響く。
百人長は席から立ち上がった。
「そうしてやりたいところだが今夜はダメだ」
とたんに周囲から冷やかしの声があがる。
「なんだよ。今夜も超過勤務らしいぜ」
百人長は逞しい肩を動かした。
「昼間、修復が終わってて良かったじゃないか。というわけで、今夜は全員交代で不寝番とする。什長は4交代の順番を決めて報告しろ。第1班以外はさっさと寝ておけよ」
仕方がないなあ、という感じで了解の声が沸き起こる。
それでも、今までの砕けた感じは消えて食事に専念するようになった。
それに合わせて僕も忙しく顎を動かす。
脂の乗った腿肉はとても美味しかった。
食事を終えて食器を所定の場所に運ぶと僕は百人長のところへと行く。
「あの。僕はいつ不寝番に入ればいいのでしょうか?」
「ああ、君は我々のシフトに入る必要はない」
「ええと、隊長殿は城門のところで何か異変を察知されたんですよね。だから、警備強化を命じた」
「そうだ。だが、君の任務は我々への引き継ぎだ。戦闘行動を共にするようには私は命じられていない」
百人長は素っ気なく言った。
まあ、僕は異分子だから仕方ない。
「分かりました」
百人長は忙しそうだし、あまり食い下がっても迷惑だろうと僕は大人しく引き下がる。
昼間の疲れとお腹が一杯になったことで眠気が激しかった。
井戸のところに行き顔を洗う。
僕が寝床にしていた小部屋に行くと今夜のための支度をした。
百人長はああは言っていたけれど、僕はこの地を守るために派遣されている。
敵が襲ってくるというのにのうのうと寝ているわけにはいかない。
基地の備品ではなく新兵への支給品ということで返してもらった剣や鎧を身につけた。
鎧といっても革の胸当てと籠手、前垂れだけの簡素なものである。
腰のベルトに剣を吊してから毛布を手にした。
小部屋を出て城壁の内側の階段を上る。
そして、建設途中で放置された監視塔になるはずだったものの上によじ登った。
僕の背丈ほどの煉瓦の山でしか無いのだが、それでも多少は視点が高くなる。
遅くまで酒を飲んで馬鹿騒ぎをする先輩が煩わしいときにここで寝ていたので、僕1人が体を丸めることができるぐらいのスペースは片付けてあった。
日が落ちると気温が急速に下がっていく。
持ってきた毛布を体に巻きつけて座った。
三日月はとっくに山の端に消え空を見上げても月の姿はない。
視線を下ろせば黒々とした大地が広がっている。
そうか。
今日は月が無いから気付かれにくいのか。
百人長が感じた違和感を補強する傍証を見いだして僕は気を引き締める。
そう言えば訓練隊長殿も歴戦のベテランの勘には敬意を払えと言っていた。
僕は1点を凝視しないように砂漠全体をぼんやりと捉えるように見る。
これも訓練隊長が教えてくれた見張りのコツだ。
闇に目が慣れてくる。
暗い中に砂が広がる光景は日没後まで海辺でクリスと遊んだ日を思い出させた。
一緒に海に向かって座っているとクリスが肩に頭をもたせかけてくる。
疲れたなら帰ろうというと、なぜかプッと頬を膨らませたんだっけ。
クリスもどこかで同じ空を見上げているのかな。
そう考えて眠気を追い払う。
夜半を過ぎた頃、僕の目は砂漠の砂が不自然に動くのを認めた。
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