県大会2回戦 斧中VS白石④

白石は、1回戦と同じようにベースラインよりさらに後方――

サービスラインの倍ほど離れた位置まで下がっていた。

エッグボールが高く跳ね、落ちてくる“瞬間”を狙って打つためだ。


(あの高さでは打ち慣れてない。なら、落ちてくるのを待って返球するしかない)


彼女は弾道の頂点を過ぎたボールを追い、落下する瞬間にラケットを合わせた。

一球、また一球。打点を慎重に見極め、少しずつ返球率を上げていく。

だが――


「うーん、守れてるけど、これだと自分からポイントが取れない」

観客席で腕を組む一ノ瀬が、静かに呟いた。

その横では、寺地が目を細め、星空が頬をふくらませている。


「白石さん下がったのに、かなちゃん、さっきよりも相手を動かしてるじゃん」

「カナカナ……よく観察してる」

寺地の言葉に、一ノ瀬も小さく頷く。


(そう。斧中は相手の立ち位置をずっと見てる。深く守れば浅く返球、かといって浅いボールを待てばエッグボール。

 相手が“されたくないこと”をすぐに探して打ってくる)


斧中のストロークは一球ごとに高さも回転も違う。

同じフォームから打たれるのに、ボールの頂点が毎回微妙にずれている。



---


「……ダルビッシュ、みたいだ」

一ノ瀬がぽつりと言った。


「えっ? なにそれ野球の?」星空が首をかしげる。

「……知ってる。WBCワールド・ベースボール・クラシックで投げてた……背が高い人」

寺地がぼそっと補足する。

「寺地さんの印象ってそこなんだ……」星空が笑う。

「で、どこがどうダルビッシュなのさ?」


「いや、彼のすごいところは“フォームが全部同じ”に見えるんだよ」

一ノ瀬の目が少しだけ輝いた。

「投げ方は一緒に見えるのに、出てくる球が全部違う。スピードも変化も――バッターは読めない。斧中も同じ。打ち方は毎回ほぼ同じなのに、弾道も回転も変えてくる」


「へぇ……」星空が感心したように頷く。

だが、一ノ瀬は止まらなかった。


「ダルビッシュってね、ストレート、ツーシーム、スライダー、スプリット、スローカーブ、シンカー、カットボール、チェンジアップ、ナックルカーブ、それに高速スライダーとスロースライダーも投げられるし、何よりその探求心が――」


「えっ、待って、それって……七味唐辛子の種類?」

星空が真顔で聞く。

寺地は指を折りながら、少しワクワクした声で言った。

「……なんか強そうな武器の名前。ツーシーム……カットボール……最終奥義っぽい」


「え、いや、違っ――!」

一ノ瀬は慌てて手を振った。

「つまり、フォームは全部同じなのに、違う球が出せるのがすごいって話で……!」


星空が笑いながらツッコむ。

「最初からそれでよかったじゃん!」

寺地もぼそっと頷く。

「……要約、助かる」


一ノ瀬は苦笑いし、肩をすくめた。

「……悪い、ちょっと語りすぎたな」

「いいよ、オタクっぽくて面白かったし」

「それ、褒めてる?」

「もちろん!」


観客席のあちこちからくすくすと笑いが起こる。

会場の空気が、ほんの少し柔らかくなった。


そんな中でも、コート上の斧中は淡々とボールを打ち続けていた。

彼女のラケットはまるで精密機械のように軌道を刻み、白石の守備を少しずつ削っていく。


だから読めない。だから崩せない。



---


「かなちゃん、ああ見えて頭いいよねぇ。会話中は人懐っこくて何も考えてなさそうなのに」

星空が肩をすくめる。

寺地は顎に手をあて、ぼそっと呟いた。

「……CTCは全国でも指折り……CTCでもカナカナは特殊」

感情をあまり込めずに言うその口調が、かえって現実味を帯びていた。

うち北条TAも県内じゃトップクラスだと思うけど、CTC相手だと見劣りしちゃうよねぇ〜」


星空がすぐに続ける。

「やっぱCTC今年も強すぎるよ〜! 正直、今のかなちゃんに対抗できそうなの由佳ちゃんくらいじゃない?」

明るい調子で言いながらも、ほんの少し苦笑いが混じる。


寺地は視線をコートに向けたまま、また小さく呟いた。

「……CTC、強すぎ。カナカナもイッチーも……ムカつく」


「ちょっ、イッチーって!」

星空が笑いながら突っ込む。

「本人、すぐそこにいるのに!」


その言葉に、一ノ瀬が苦笑いで手をひらひらさせた。

「え、俺? そんなこと言われてもな……」

軽く頭を掻く仕草が、むしろ余裕に見えてしまう。


星空と寺地は顔を見合わせて、同時にため息をつく。

「ね、だからムカつくんだよね」

「うん……ムカつく」

息の合ったその声に、周囲の観客が思わず笑った。



---


「……斧中って、考えて打ってるわけじゃないんだよな」

一ノ瀬は笑いの余韻が消えたあと、静かに言葉を続けた。

「打球の“呼吸”とか、相手の体の“迷い”みたいなものを感じ取ってると思う。 それが、あのリズムを生んでる」


「肌感覚って……そんなの分かるの?」

星空が目を丸くする。

寺地も首を傾げた。

「……気のせいなんじゃ?」


「うーん、かもしれないってレベルかな」

一ノ瀬は苦笑した。

「俺も調子がいいときは、なんとなく相手の“次”が見えるときがある……でも狙ってできるわけじゃない。 相手がサーブを打つ前の表情を見て、“今度はここに打ちたがってるな”ってヤマ勘を張ることもある。 ……まだ全然うまくいかないけど」


「え〜、そんなの当たるわけないじゃん」

星空が笑いながら肘で寺地をつつく。

「ね、唯ちゃん?」

「……うん、たぶん気のせい」


「だよな」

一ノ瀬は小さく笑って頷いた。

「自分でも説明できないんだ。……ただ、時々“あ、今こっちだ”って思う瞬間がある。 でも理屈じゃない。たぶん、斧中もそうなんだと思う。知らんけど」


そう言って、一ノ瀬は再びコートに目を戻した。

(斧中はもうすぐプロ転向だ。彼女はやっぱり答えを持っているのだろうか)



---


白石のサーブ。

放った瞬間、逆に浅く返され、次の球を斧中が高く弾ませた。

白石は後ろに下がりきれず、強引にスイング。

打球はサイドラインのはるか外へ飛び出していった。

誰も声を上げるまでもなく、明らかなアウト。


「よっしゃあ!」

斧中の気合の声がコートに響いた。右拳にぎゅっと力がこもる。

ラケットを軽く振り上げるその姿に、観客席のあちこちから黄色い声が上がる。


「かなこさーん!」

「ナイスショットー!」

「かなこ選手、かっこいいー!」

「やっぱりCTC強っ!」


歓声が重なり合い、会場が一瞬ざわめく。

セカンドセットは斧中が3ゲームを連取していた。ファーストセットから合わせれば9ゲーム連取。1回戦相手鈴木さんにも8-0ベーグル。今日はまだ1ゲームも失っていない。


白石は黙って頷き、ボールを拾い上げる。

静かなベンチの空気が、逆に遠くの歓声を際立たせた。



---


(……やっぱり、通用しない。

 下がっても読まれる。タイミングを外しても、もう対応されてる)


視線を落としながらも、ふとスタンドを見上げる。

応援席の中央に、一ノ瀬さんの姿があった。

隣には、北条さんと一緒にいた女性たち――確か、県の第3シード星空選手第4シード寺地選手

(すごい……。まるで雑誌の特集みたいな並び)


ベンチから眺めるだけで胸がざわつく。

自分とは違う世界の人たち。

それでも、不思議と目が離せなかった。


(……あ)

一ノ瀬と、目が合った――ような気がした。

心臓が跳ねる。

慌てて視線を逸らし、タオルを握りしめる。


(見てる場合じゃない。今は……試合に集中しないと)

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