休憩中⑦
――春にはまだ遠い
三月下旬でも風はまだ冷たくて、吐く息がうっすら白い。
空は雲が重たく垂れ込めていたけれど、その端々にはわずかに春の色が混じりはじめていた。
クラブハウスの屋根の上。
半袖の白いスカートを身につけた少女は膝を抱え、指先でつまんだたんぽぽの綿毛をふっと吹く。
産毛みたいに軽いそれは、冷たい空気の中でふわりと揺れた。
「ねぇ、まだ寒いのに、咲いてたんだよ」
「そんなとこで咲くなんて、根性あるなぁ」
「ふふ、ほら、屋根のひびにちょこんって。見つけた時、かわいかったんだよ」
足をぶらぶらさせながら、少女は呑気に笑う。
屋根の上に腰を下ろしたまま、まるで地上の世界とは別の時間を生きているようだった。
男の子は、ちらりと下をのぞき込む。
「……なぁ、これ、落ちたらけっこう高いけど、大丈夫?」
「平気だよ。どうせ、誰にも見えないし」
「見えないって、そういう問題なの……?」
「問題ないよ。だって、アオイもユキも見えてないでしょ〜」
女の子は「にしし」と笑いながらある方向を指さす。
「二人は見えてないというより、気づいてないだけじゃ……」
少女が指差した先。
ベンチでは、一ノ瀬と白石が並んでいた。
互いに言葉は少ない。けれど、その沈黙の中には、ようやく届いたほのかな“安心”の気配。
男の子は頬杖をつきながら見下ろす。
「ちゃんと、出会えたね」
「うん。間に合ってよかった」
少女は手の中の綿毛をもう一度吹いた。
「ねぇ、アオイって、不器用だね」
「ユキも昔から内気だよ」
「…“昔から”って、いつの話?」
「……さぁ。たぶん、この頃?」
「ふふっ、ふわふわすぎ」
二人の笑い声が、屋根の風にまじって遠くへ消える。
だが、彼らの足先は楽しげにバタバタと動き続けていた。
まるで、ここが彼らの“秘密基地”みたいに。
「ねぇ」少女が言った。
「このあと、どうする? このまま任せても」
「…もう少しだけ様子を見たい。だって――」
男の子は、下で笑い合う一ノ瀬と白石を見て、少し真剣に。
「……まだ、春には遠い。不安定だ」
風が吹く。
季節外れのたんぽぽの綿毛が、ふたりのあいだを通って空へ舞い上がった。
その綿毛は、まるで“祈り”みたいに光を帯びて、見えない空のどこかへ消えていった。
一方、地上では――
一ノ瀬はベンチで小さく伸びをしていた。
「……ふぅ、少し落ち着いたな」
隣では白石が俯きながらも、小さく息を整えている。
「ご迷惑をおかけして……」
「気にすんな。こっちこそ勝手に出しゃばったことだから」
そのとき、背後から控えめな声。
「一ノ瀬と…白石さん、今大丈夫?」
振り返ると、灰色のパーカー姿の男子が立っていた。
片手には詰将棋の本をチラ見しながらパラパラっとめくりつつ、落ち着いた顔の青年。
「藤井、いたのかよ」
「さっきからいたよ……ちょっと、2人の邪魔しちゃいけないかと思って」
「声かけてくれればよかったのに…悪い、気づかなかった」
「……どうせ僕は存在感が薄いですから」
「そんなこと言うなよ、藤井名人」
「またそれ……」
藤井は分厚い詰将棋本を閉じ、小さくため息をついた。
――
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