試合前①

茂部もぶ選手、あと10分経過後に対戦相手が現れなければ、ウォークオーバー(W.O)──棄権勝ちとなります。しばらく待機をお願いします」

「大丈夫です。わかりました」


大会係員の説明に、茂部さんは小さく頷いていた。

試合開始時間は朝10時。

現在はその時間を少し過ぎたあたりだが、対戦相手が現れる気配はない。

こちらのテニスコートは全部で18面。他17面は試合が開始されたものの、この第18番コートだけが静かに取り残されていた。

茂部さんはラケットを握り直しながら軽く素振りを繰り返し、対戦相手が現れるのを待っていた。応援席の後輩たちはソワソワしている。


「相手、来てないよね」

「たぶん棄権だよ」

「でもエントリー受付は済ませてるはずだし、会場にはいるでしょ?」

「予選勝ち上がったのに勿体ないよね」


茂部さんは複雑そうに壁に背を預け、隣のコートを見つめていた。


隣の第17番コートでは第1シード・斧中おのなかかなこが試合を展開していた。トップシードの試合なだけあってギャラリーも大勢観戦に訪れている。


ーーパシィィンッ!!

乾いた鋭音が響いた瞬間、ボールはライン際に突き刺さる。相手はただ空振りするだけ。


「…はやっ!」

「今の球、新幹線より速くないか!?」

「サービスリターン、相手のサーブより速度出てたぞ…」

「さすが


観客席がざわつく。

その中に混じって、女性ファンの声がひときわ高く響いた。


「キャー! かなこ先輩ーっ!」

「今日も決まってるー!」


控えめながら熱のこもった黄色い声援に、周囲の観客が少し微笑ましくなる。


轟く打球音は続く。

ーーバッシシシィィンッ!!

「よっっしゃぁぁーーー!!!」


斧中の雄叫びと同時に、女性ファンたちの歓声がぱっと重なる。

対戦相手の鈴木さんの希望は、容赦なく粉砕されていく。


ーーガシャンッ

ボールの勢いに押され、鈴木さんのラケットが宙を舞った。フレームに弾かれて手から離れただけなのだが、観客には完全にパワーで叩き落とされたように見えた。これはハンマーですわ。


あまりの圧倒ぶりに、茂部さんを応援していた後輩女子たちは、もはや現実逃避に走る。


「……これ、もう優勝決まったようなもんだね」

「南無……ご愁傷様」


「やめてよ! 次に当たるの、私なんだから!」

茂部が青ざめるが、周囲は止まらない。


「ワンチャンあるよ。このあと斧中先輩が記憶喪失になる…とか!」

「いやいや、かなこ先輩は記憶飛んでも身体が勝手に動くタイプでしょ!感情がなくなる分、余計に厄介だよ」

「オートパイロットかよ!」

「私、こないだ護身術習ったんだ!もしかなこ先輩が隙を見せたらこう――」

「無理!しかもそれ痴漢撃退だから!かなこ先輩相手なら私、返り討ちにされるだけでしょ!」

「いやでも一応“気合い”で!」

「もうそれただの根性論!!」


半ば漫才のようなやり取りが飛び交い、恐怖すら笑いに変えていく。

だが茂部の視線はコートから離れず、硬直したままだった。


「よっっしゃぁぁーーー!!!」

斧中かなこの雄叫びが再び轟き、女性ファンの「キャー!!!」という声援がそれに重なる。

観客たちは笑いながらも心の底では同じことを思っていた。

――次の対戦相手も、確実に地獄を見る。

それは茂部さんか対戦相手の...


(しらいし……けっしょう?なんて読むんだ)

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