ぼっちお嬢様のVRMMO記【SF】

 それは『少女』にとって偶然だった。

 たまたまやり始めたゲーム。

 それがかけがえのない『出会い』に繋がる。


 ─Imaginationβrave


 そのゲームが『少女』の中で止まった時間を再び動かすきっかけになった。



 少女にとっての一日の予定は常に埋まり切っていた。起床から就寝まで分刻みの予定。

 それをやれて当たり前。上手くこなしても褒められることもなく、自分はただの人形。

 自分の意思も持たず、ただ業務をこなす為だけの人形だと言い聞かせて体を動かした。


 何が楽しくて生きているのか?

 同級生からの質問に首をかしげる。

 すぐ出てくる答えはテンプレートで決まっていて、それは自分から出した答えではない。


 親のステータスUPのために成績は常にトップを取らねばならず、勉学の他にも将来の為の習い事が後から後から増えてくる。


『少女』は通常ならうんざりしてしまう作業も、諦観の念で受け入れていた。

 自分には自由はないのだと、とっくの昔に諦めていた。その為、感情の欠落した能面のような表情で他者から畏怖されていた。



 ◇



 そんなある日のこと。

 日課の一つである花道教室にて、担当講師に呼び止められた。

 何か減点対象の項目があっただろうかと少女は……黒桐祐美くろきり ゆみは短く返答する。


「黒桐さん、少しいいかしら?」


「はい……」


 もちろん、良くはない。

 何か問題があれば直ぐに修正作業をしなくてはいけないと、祐美は表情を強張らせた。

 その必死すぎる祐美に対し、花道講師……但馬 紫たじま ゆかりは優しく笑いかけている。


 そんなに緊張しないで、と付け加えながら少しお話がしたかったのと居住まいを整え、祐美の都合も知らず、勝手に語りかけてきた。


「私にも黒桐さんと同じくらいの歳の子が居るのだけれどね、彼女が一体何を考えているのかわからなくて……黒桐さんなら何かわかるのではないかとお伺いしたのよ」


 急に語り出した講師に、祐美はさらに表情を強張らせ、俯く。

 何せ祐美にとって一番どうでもよく、答えに困る質問だからだ。

 当然、テンプレ回答も用意されてない。

 自分一人が我慢をすれば良いのとは違い、他人に目を向ける必要がある。


 もちろん、そんな余裕なんて祐美に存在しなかったが『優等生であれ』と厳しく育てられた祐美は最善の答えを導かなければならない脅迫観念に追い込まれていた。


 分からない。

 そう言ってしまえればどんなに楽だろう。

 同じ年頃の子供の様に、全てを放り出してしまいたい。そう思ったことは幾度となくあった。

 だからといって放り投げた後に何がしたいかすら祐美には無い。


 彼女の人生は常に誰かに命令されて回って来たからだ。

 だからこの手の問題が問いかけられると、彼女は苦しげな表情を浮かべる事しか出来なかった。




「ごめんなさいね、黒桐さんは習い事を掛け持ちしてるからそんな時間なんて取れないわね」


「いえ」


 申し訳なさそうにこうべを垂れる紫に、祐美はやっと諦めてくれたかと真顔に戻る。

 すでにお華の時間は終了時間を大幅にすぎている。

 今日は後二つ習い事を消化せねばならず、祐美は先生に挨拶だけ済ますと足はやに教室を出ていった。


 専属運転手の山崎に少し急いでほしいとだけ頼むと、祐美は紫に投げかけられた質問にほんの少しだけ思考を寄せて、すぐに次の習い事へと頭の中身をシフトさせていく。


 ◇


 家に帰ると両親はまだ仕事中なのだろう、ハウスキーパーが作り置きしてくれた食事を温め、腹を満たすと今日出された課題を就寝前に済ませた。


 布団に潜り、すぐに眠りにつく。

 身体はとっくに悲鳴をあげていて、無造作に伸ばした手足は棒の様に重くなった。


 ◇


 日の出と共に起床する。

 幾分か疲れの残る身体に鞭を打ち、机に座ると昨日までの復習をする。

 いつものことだからすぐに片付く。


 昨日言われた同学年の興味というのがほんの少しだけ頭の隅にチラついた。

 だからなんとはなしに、耳に入れてみようかという気になった。


 祐美にとっては答えられない質問に答えるだけ。

 ただそれだけの思いだった。


 朝食を腹に収めるとすぐに登校する。

 彼女にとっての一日のサイクルは寸分も狂ってはいけないのだ。

 そして狂ってしまうと自分で自分が許せなくなる。

 その程度できて当たり前。祐美は自分をそう『設定』していた。


 ◇


 誰よりも早く教室に着くと、目につくゴミを片付ける。

 日直は進んで立候補し、黒桐の娘に恥じない行動として周囲に示した。


 つつがなく授業を終えて、次の授業の間のほんの少しの時間をクラスメイトの聞き取りに割いた。

 もちろん友達関係を築いてこなかった祐美に親しい間柄なんているわけもなく、盗み聞きだ。

 もちろんそれだけでトレンドなんて知れる訳もないが、祐美はそれ以外の方法を持ち得ていなかった。


 そこで初めて聞くVRMMOという言葉。


(VRってバーチャルリアリティですよね? 確か先進医療に使われていると言う。お父様が出資していると耳に挟んだことがあります。それとMMOというのはなんなのかしら?

 もう少し詳しく聞きたいわ。ああ、二時限が始まってしまいました。またの機会に致しましょうか)


 祐美は居住まいを正すと、何事もなかった様に頭を切り替えた。





(結局わかったのはそれが遊戯だと言う事でした。そして友達を誘って遊ぶタイプだという……私にはあまり関係のない事柄ですね)


 約一日を通して仕入れた情報はそれに収束された。

 しかしどう返したものかと考え込む。

 欲しい答えはそれでは無いと言うのは祐美の中でもはっきりしていたからだ。

 それは大きな枠組で言ってしまえば勉強という事になる。

 しかしお華の先生が祐美に問うたのはどの教科なのかと言うことだ。


(なんとか辻褄合わせをしませんと。ですがしかし、私にその様に相談できる相手など……)


 脳内で自己完結し、生徒会の経理のプリントをまとめて持っていく最中、パラパラと落としてしまった。


「落としたよ、黒桐さん」


「申し訳ありません、太刀川先輩」


「そうかしこまらなくてもいいのに。黒桐さんがそんな風にミスをするのは初めてだね。何か考え事? 私で良ければお話聞くよ?」


 生徒会長である太刀川美遥たちかわみはるは祐美にとって少し苦手な相手だった。

 女性ながらに生徒会長という人々を導く立場にありながら、彼女の校風は自由。

 それは些か窮屈に思えた。祐美にとって自由意志など無駄な事だと教わって生きてきたからだ。

 だから美遥は対極にある存在として祐美は『設定』していた。


 しかし書記として生徒会長に反目する理由はない。単位稼ぎなどする必要もないが、だからといって無意味に落とすのも祐美の教義に反した。


「少し、考え事をしていまして……」


 思い切って打ち明ける事にした。

 多くは出さず、少しづつ小出しにお伺いする。だのに生徒会長は楽しそうに祐美に情報を渡した。

 むしろ聞いてもいないことまで嬉々として渡し、なぜか今度一緒に遊ぶ約束までしてしまっていた。


「えっと、会長?」


「どうしたの、黒桐さん?」


「お誘いは嬉しいのですが、私は時間が合いませんので」


「えー、いーじゃん。私と黒桐さんの仲でしょ? 固いこと言いっこなしだよ、はいコレ」


 そう言って手渡されたのが、【Imaginationβrave】というゲームだった。

 手のひらに乗るサイズの四角い箱。

 祐美はそれを唸る様に見つめた。


「コレは、どうすれば良いのでしょう……」


「黒桐さんゲームやったことないの?」


「残念ながら全く……」


「仕方ないなぁ。いつ暇?」


「え?」


「お休みだよー。いつ頃だったら時間空いてる?」


 祐美は美遥の言葉の意味が理解できず、ポカンと間の抜けた顔をした。




 結局押し切られるまま、美遥を日曜日のお昼に自宅へ迎える事になった。


 同じ学校の生徒会長という肩書きは両親を騙すのに申し分ない威力を発揮した。

 祐美にとって初めての出来事。

 悪いことをしている様な気持ちになって、少しドキドキしながらも美遥の一挙手一投足に注目する。



「それで、太刀川先輩」


「美遥でいーよ」


「そういう訳にもいきません。どこにどんな目が潜んでいるかも分かりませんし」


「んもー、そんなことばかり考えてて疲れない?」


「これが私の日常ですので」


 カラカラと笑う美遥に祐美は気疲れしたようにため息をつく。


「それで先輩……」


「何かな?」


「私の部屋に着くなりベッドの下や本棚を念入りに探しているのはどうしてでしょうか?」


「あー……いや、黒桐さんの隠れた可能性を探しにね」


「それは見つかりそうですか?」



 祐美の真面目な質問に対し、美遥は天井を見上げながらぽりぽりと頬をかいた。

 どうやら祐美の未来の可能性はそこら辺には転がっていないらしい。


 ◇


 気を取り直してVRマシンの設定に取り掛かる。



「お、最新型じゃん。これ高いって聞くよー。さっすが、お金持ちだね」


「そうなんですか? 必要なものだからと買い与えられたのですが」


「そうなんだ~。やっぱそのまま眠れるベッド型って良いよね。うちの家族はゲーム出来れば良いってタイプが多いから。ほいっと設定完了。これでいつでも始められるよ。これ本当にオススメだから! 是非やってね!」



 美遥はそう言いながら祐美に笑いかけた。なんでも最近ハマっているゲームなのだが、とにかく人が少なくて先の短いゲームなのだとか。

 なぜ美遥がそんなゲームを勧めて来たのかも謎であるが、祐美にはそんなことはどうでもよかった。


 ずっと乱されっぱなしのペースがようやく安定する。

 それだけが祐美にとっての幸福なのだと『設定されている』のだから。



 ◇



「先輩、本日は詳しくありがとうございました。また困ったことがあったら頼りにさせてもらいますね」


 深々とお辞儀をする。

 美遥はそれを受け取って「じゃーね」と手を振って帰路に着いた。

 玄関先で見送って、ふぅと深いため息を吐く。

 押しかけてきたときはどうしようと思ったが、終わって仕舞えばなんてことはない。



「っと、もうこんな時間。早く塾に行かなきゃ」



 必要な情報は揃った。

 先輩には悪いけど、今後の予定は時間の都合が取れないことにして辻褄合わせをしてしまおう。

 玄関を潜る時にそんなことを思って祐美は出かけた。


 部屋の片隅ではVRマシンの稼働音が静かに響いていた。






 美遥を家に呼んでから3週間が経ち、祐美の生活は特に何も変わることなく過ぎ去って行った。


 その為かVRマシンにゲームが設定されていることなどとうの昔に記憶の彼方だ。


 故にそれは、アクシデントの一つとして再び祐美の前に現れることになる。


 ◇



 それは世間が長期休暇に入って2日目になった頃。

 詰め込み気味のスケジュールに追われていた祐美がVRの塾に通おうと決定して飛び込んだ時に起きた。


 いざ出陣! ベッドに寝転ぶ様にして、瞳を閉じると世界が切り替わる。


 久しぶりに味わうVRの空気は祐美に新鮮な空気を与える……どころじゃなかった。



 ◇



(ええぇ……、これは一体どうした事でしょうか!?)


 目の前には『Imaginationβrave』のタイトルロゴがドーンと展開され、ゲームスタートの文字だけが明滅している。

 本来ならばログイン、ログアウトの文字も入るのだが、それは一度登録するまでは現れず、そんな事も知らない祐美にとってはただ前進あるのみだ。もしかしたら進んだ先に見知った風景があるかもしれないと思い込んでいるのかもしれない。


 声に導かれながらも闇雲に前に突き進み、求められた項目を埋めていくとこんなものが出来上がった。



 [アバターをこの設定で決定しますか?]


 【名称】『ただの』ノワール

 【特色】髪色:黒 / 瞳色:白

 【種族】精霊ドライアドLV:1

 【称号】なし

 【HP】10

 【MP】510

 【知力】100

 【特性】武器/防具装備不可、道具使用不可、硬貨入手不可、精霊眼、MP自然回復、状態異常耐性、火属性ダメージ10倍、陽・光・水属性ダメージ吸収、地属性ダメージ無効、移動不可

 【性格】5歳児

 【固有スキル】ノック

 <ワードスキル:3/3>

 ・糸:対象に糸の特性を付与

・編:対象を任意の形にする

 ・針:対象をその場へ固定

 <スキルポイント:0>


 脳内に響くのは祐美の周りでは聞くことのできない優しい声色。すっと入ってきて心地よく染み渡るよう。


 その耳に気持ちのいい声に促されるように祐美はYESを選択した。


 そして最後に現れた文字列に困惑の表情を浮かべる。

 そこには……





(ええっと、スタート地点の選択?)



 始まりの街:イマジン

 森林フィールド:エリア4


 なんとなしに思考は人の少なさそうな場所に引き寄せられる。


(人混みは慣れているけど、お華の先生の時のように持ち合わせていない質問に答えるのは煩わしいし、やっぱり森かな?)



 選んだのは樹の精霊ドライアド。

 木を隠すなら森の中というように、擬態できるかもしれないと祐美は考えたのだ。


 それを選ぶと、優しい声は遠くに行ってしまい、自分に意識も次第にゆっくりと遠くなっていった。

 それはまるで眠りに誘われるよう。

 既に塾の事など頭からすっぽりと抜けていた祐美は、自分は一体どんなところに送られてしまうのだろうと期待に胸を膨らませていた。



 ◇



 そこはまるで大自然だった。

 自分の体の何十倍もあるほどの大木が、そこかしこから天に向かって背を伸ばしている。遠くから聞こえる鳥の声が妙に体の芯に心地よく、木々の隙間から漏れ出る木漏れ日が祐美……ノワールの思考をクリアにさせていく。



(うわぁ……なんだろう、ここ)



 リアルで見たら薄気味悪いと感じてしまうほど鬱蒼としているのに、今ノワールが感じているのはまるで自分の部屋のように落ち着ける空間に思えた。


 もうすこし向こうに行ってみよう。

 そう思って足に力を入れる。

 しかし足と思われる部分からは思ったような反応は返ってこない。



(あ……そうだわたし……)



 ドライアドになってるんだった。

 改めてメニューと呼ばれるものを引っ張りだすと、確かにそこには『移動不可』の文字が!



(どうしよう……ここからどうやって移動しよう……そうだ!)



 思い立ったら即行動。

 精霊特有の無邪気さがノワールの思いつきを形で表した。その結果、



(ひゃわぁあああああああ!!)



 ノワールは空を飛んでいた。

 それはたった一つの思いつき。

 固有スキルを利用できないか? という考えを実行───そしてそれは想像を絶する形で裏切られる事になる。



(きゃぁああああああ!!)



 心の中で力一杯叫ぶ。

 着地のことなど考えてない。

 だって、今最高に楽しい気持ちでいっぱいだったから。

 数回のバウンドをしながらコケにまみれた大地へと着陸する。

 不思議と痛みは感じず、ただ、次はうまく調整してやろうという気持ちでいっぱいになっていた。





 何度も飛び跳ねれば自然と力加減というものがわかってくる。それは威力だったり、角度だったり。


 普通ならそう考えるものだが、ノワールは感情の赴くままに空を駆けた。

 もはや空を飛ぶことになんの躊躇もない。


 押し込めた感情が爆発したように、その表情は晴れ晴れとしていた。

 今、ノワールの思考は子供になっていた。

 今ならなんでもできそうな気がするという万能感に包まれて、視界の端から端を縦横無尽に駆け巡る。



 ◇



「キュウッ、キュキーーッ」



 ノワールは道中、助けを求める声をキャッチした。

 人の声ではない。けれど不思議とそれが助けを呼ぶ声だと感じたのだ。


 現場へ駆けつけてみると、大きな罠に動物……見るからに仔ウサギが罠に掛かっていた。

 まだ若い個体なのだろう、後ろ足にトラバサミが深くが食い込んでおり、とっても痛そうだ。


(今助けてあげるからね!)


 声は届かない。けれど態度で示せばきっと大丈夫だ。

 ノワールはスキルの『糸』を目に見える魔力に付与して、ゆっくり伸ばしていく。

 そこへスキルの『編』で絡み付け、罠をくるんで、ゆっくりと開いた。

 さっき空を飛んだ時と同じような力加減を要したけど、必死だったノワールは奇跡的に最善の力加減で罠を解除することに成功した。


 (これで脱出できるよ)


 しかし手負いの仔ウサギはぐったりとしており、動く事が出来ないようだ。

 そこでノワールは『ノック』を使って子ウサギを掬うように持ち上げてやった。


 同時に二つの事をやったからか『糸』の方に集中していた気持ちが離れ……


 子ウサギを持ち上げたすぐ下からガチン、と勢いよくトラバサミが閉じる音が聞こえた。


 間一髪。

 そう自分に言い聞かせながらもノワールは内心ドキドキとしていた。


 未だ苦しそうにする子ウサギに、ノワールはどうにかしてやれないかと考え込む。


 そして怪我をしている足に注目した。

 罠の力が強かったのだろう、見れば仔ウサギの足の形が変形してしまっている。

 これでは助けてもこの子は元の生活を送ることもできないだろう。


(なんとかしてあげなくちゃ……)


 しかし自分の力で出来ることなど……そこでノワールはある方法を思いつく。

 上手くいくかどうかはわからない。なんの保証もない。


 でもやるだけやってみようとノワールは命の火を絶やそうとしている仔ウサギの手術に取り掛かった。


(わたしの考えが当たっていれば、きっとこれで助かるはず!)


 ノワールが子ウサギに施したのは、怪我を負った足の再生治療だった。


(うまくいったみたいで良かった~)


 魔力の『糸』を子ウサギの体に通し、必要な器官を『縫』いあわせる。

 普通であればなんの医学の経験もない一学生がすべき行為ではない。

 だが今のノワールならできるという確信もあった。

 それが精霊にあらかじめ備わっている『精霊眼』と呼ばれる器官だ。


 これを使えば肉体を透過して見ることができるのだ。意識を集中すれば、怪我をした部分を拡大することだって出来た。


 だからやってみた。


 祐美の頃だったら絶対に躊躇していただろう出来事に、ノワールはなんの躊躇もなく飛び込んだ。

 それは多分、考えすぎてしまう祐美にはできないことだった。


 しかし子ウサギの状態は未だ悪いままだ。

 痛みの原因を取り除くことに成功はしても、その結果陥った衰弱の効果は未だ消えないまま残っていたのだ。

 これでは元気を取り戻せたとは言い難い。


 そこでノワールは驚きの行動に出る。


(今ご飯捕まえてくるから! ここで待っててね!)


 きっとお腹が空いてるんだ、という考えに辿り着いたノワールは、仔ウサギをその場に残し、恐るべきスピードでその場を離れた。


 思い立ったら即行動。

 本来の祐美には備わってない行動力に、ノワールはなんの躊躇いも感じず我が道を突き進んだ。







(よいしょ、これでどうだ!)


 [プレイヤー:ノワールによって森林フィールドボスが討伐されました]


  <ノワールのLVが6になりました>

  <知力が600になりました>

  <MPが3060になりました>

  <固有スキル『スリップ』を取得しました>


(ピョン吉はきっとたくさん食べると思って一番大きいのを倒してきたよ。LVって言うのが上がったみたいだね。ところでLVって何だろう? まぁいいや。それよりピョン吉に早くこれ持って行ってあげなきゃ!)


 ノワールは仕留めた大きなイノシシを傷つかないように『糸』で玉状に包むと、そのままいっしょに空を飛んで置いてきたピョン吉の元へと急いで戻った。

 ピョン吉と言うのはさっき助けた仔ウサギのことだ。ノワールの中では既に名前がピョン吉で定着していた。

 本ウサギの意思など無視して。



 ◇



 さっきの場所に戻ると仔ウサギ、ピョン吉はさっきよりも随分と痩せ細って見えた。


(ほら、ピョン吉、お食べ)


 ノワールは面倒見のいいお姉さんのように振る舞う。

 しかし痩せ細った仔ウサギには自分よりも20倍以上でかいサイズの遺体を差し出されても困ったように目を瞬かせるだけで精一杯だ。



(あ、このままじゃ大きすぎるのかな? なら、こうだ!)



 ようやく肝心なところに気づいたノワールは、納得したとばかりにポンと手を叩くと、なんでもないように『ノック』でイノシシを上空30メートル付近まで吹っ飛ばした。


 だが数千トンはあるであろう巨体はそんなに高く上がらず、すぐに落下してくる。

 そこでノワールは落下地点に『糸』を展開した。

 マスの目に張り巡らせた糸に対し『針』を使用。

 そこへイノシシが落下すると、固定された糸の大きさ通りにイノシシは分断された。


 しかしそれで出来上がるのはイノシシの細切りである。口の小さな仔ウサギが食べるのには些か大きすぎた。


 それを何回か繰り返すうちにミンチ肉みたいになってしまい、うまくいかないなぁと悩んだ末に、それを『糸』で『編』んだ手で掬うと、流し込むようにして仔ウサギの口に添えた。


 ゆっくりとだが仔ウサギの口が動き、飲み込んでいる姿が見えた。

 生きている。まだ生きていたいと必死に口を動かしている。



(あはは、食べてる食べてる。まだいっぱいあるからねー。ゆっくりとお食べ)



 ノワールは母性本能がくすぐられたのか、仔ウサギの食事風景を見守りながら穏やかな気分に包まれていた。


「ケプッ」


 もうお腹いっぱいと言うように、仔ウサギはゲップを吐き出す。

 見ればお腹が先ほどよりも随分と膨らんでいた。



  <ウルフラビット/個体名:ピョン吉がノワールに忠誠を誓いました>


<ドライアドの加護下に入れますか?>


(もちろんYES)


 こうしてノワールに新しい家族が出来た。


(あれ、ピョン吉ってばなんか体大きくなってない?)


「ギキュィー」


(気の所為だって? まぁピョン吉はピョン吉だしいっか。行こう、こっちに水飲み場があるんだよ!)


「キュィイイイ!」


 ノワールを追うようにして、もう子ウサギとは思えない巨体で後を追うピョン吉。

 なんだかその姿は親子というよりは、主従の関係のように見えた。






 [条件を達成しました]


 [DANGER!]


 [森林フィールドエリア4でユニークに進化したモンスターが現れました!]


 [近隣にいるプレイヤーはその場から撤退してください!]


 [条件を達成しました]


 [新たな森林フィールドのボスにピョン吉が任命されました]


 [情報が更新されました]


 [予測LV75]


 [討伐難易度★★★★★]



 その日、森林フィールドボスが討伐される良いニュースと新たに誕生したユニークが森林ボスに取って代わられるという悪いニュースがイマジンの街、または掲示板を賑わせた。





 あれからノワールはピョン吉と色々なエリアを駆け回っては遊びあった。

 しかし、そんな楽しい時間も夕暮れと共に影を射す。


「キュゥィイイ……」


 ピョン吉が申し訳なさそうに俯くと、ある一定の方角へ首だけ向けた。


(どうしたの、ピョン吉?)


「キュゥ、キュー」


(役目があるから帰るの? そっか。ピョン吉はお役目があるんだね。それなのに連れ回してごめんね?)


「キュゥ…ギキィイ」


(あはは、気を遣ってくれてありがとね。わたしは一人でも大丈夫だから行っておいで。またね!)


「キュィイイイ!」


 別れを惜しむように何度もノワールの方を向きながら、やがてピョン吉の姿は森の奥へと消えて行った。


(……帰る場所、か)


 ノワールはすっかり子離れできない母親の気持ちでピョン吉に別れを告げたあと、唐突に今の自分の立場を思い出す。

 思い出してしまった。

 自分がどのような状況下でこのゲームに入り込んでしまったのかを。


 詰め込みすぎたスケジュール……間に合わない塾……妥協してVR塾への打診……不本意のゲームログイン……ピョン吉との楽しい時間……うっ、頭が!


 ようやく思い出したノワールの表情は顔面蒼白だ。

 ドライアドは本来なら顔面の筋肉がないから表情は変わらないはずだが、全身をプルプルと震わせているのであながち間違いでもないだろう。


(あわ、あわわわわ……不味いよ不味いよー)


 メニューを開くとリアルタイムとゲーム時間は全く一緒だと言うことに今になって気づくノワール。

 急いでログアウトメニューを探しだし、見つけるやいなや慌ててログアウトした。


 ◇


 取り急ぎスケジュール帳を開くと予定していた塾どころか習い事もいくつかぶっちぎっていたことに気づいて悶絶する。


 両親が遊びなんて無駄な事であると常々言っていたのはこういう事なのだと今になって思い至った。


 すると身体は元気なはずなのに、辻褄を合わせるように次第に体調が悪くなっていく。

 思い込むだけでその通りになるなんてまるでゲームみたい……軽く自嘲しながら冷や汗で気持ち悪くなり、シャワーだけを浴びるとベッドにそのまま横になった。


 ◇


 塾の先生には今日は体調が悪くすいませんと連絡を入れておく。

 先生からは「お大事に」と返されて、この時ばかりは自分の不甲斐なさが許せなくなった。

 本来の生真面目さが、遊びこけてた祐美に牙を剥いてくる。


 人に嘘をついたのがその時が初めてだったけど、案外スラスラと出てくるものだなと祐美は自分の中に眠っていたポテンシャルの高さに感心した。


 しかしあとで確実に両親に咎められるだろうと憂鬱な気分になり、今からなんとか両親を騙す演技力が降って湧いてこないかなと身勝手に願っていた。


 いつもならこんな事は微塵も思わないのに。

 ノワールだった頃の記憶が違う選択肢を選びだしてきた。


 そしてゴロンと寝返りを打つと、内心で次にログインするときはもっとうまくやってやるんだからと祐美の中のノワールが新たな決意を燃やしはじめる。


 結局あのあと祐美は都合よく風邪を引き、両親からのお小言を免れることに成功した。


「自己管理がなってないからだ」と一言だけ漏らす父親に、娘よりも夫の機嫌が悪くなった事を危惧する母親が退室した時に密やかに布団の中でガッツポーズを取ったのは、お墓の中まで持っていく秘め事である。

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