第5話 俺が正しい
なんと物騒なタイトルだと思われたに違いない。
もし、違ったら、それは申し訳ないことをした。
おわび申し上げる。
それはさておき、タイトルの通りだ。私はこのスタンスで執筆を行っている。私が正しいのであり、私に反抗する者は等しく逆賊であり、私を賛美する者は等しく素晴らしい(お世辞ですよ)のだ。何度も言っていることだが他者の言うことに耳を傾けて左右されることは良くない。そうなら執筆を辞めてしまえということだ。
私も創作を始めた最初期はボコボコにされた経験を有する。感想が来ても酷評ばかりだった。作品に与えられる評価は軒並みが低評価が占めて爆撃を受けたこともある。それはそれは傷ついたが「あれはあれでよい経験だった」と思っている。そんなわけがないだろ。インターネットだからと好き勝手に言いやがってと憤慨した。これより「いいさ。俺の好き勝手にやってやる」と決めたのである。
こういうことを書くと「お気持ち表明」など揶揄されるがどうでもよいことだ。なんでも「俺が正しい」のだから雑音である。この精神を持てとは言わないが、あまり他に惑わされることも考え物であり、どうせなら自分を貫き通してほしいのだ。私は祖父から「〇〇は優しいから流されてしまうね。それはそれでいいことだが自分を捨てたらいけないよ。常に硬い信念を持って、譲っていけないところは譲らず、鉛筆のような人になりなさい」と言われた。鉛筆は固い芯に柔らかい木を纏う。つまり「固い芯を中心に据えて絶対に譲ってはならず。柔らかい木のように他者を受け止めてあげなさい」という。
したがって、これを体よく理解して自己中心的な活動を続けていた。最初にボコボコにされた故の反骨精神と幼少期からの自己中心的な思想が原動力である。なんとひどい話だ。皆様は私のように捻くれた信条にならないよう努力を重ねていただきたい。かと言って、他社の言うことばかり信じることもいただけない。
カクヨムだけでないが「あなたの作品よみます」や「あなたの作品評価します」といった甘言に溢れた。コミュニティを形成して相互に高め合うことは崇高である。小説家たちが合宿することに共通するのかもしれない。しかし、私はこれを毛嫌いしていた。なぜ他者の意見を求めるのか理解ができない。特にインターネットの言説は根拠なき知識ばかりだ。なんにも取るに足らない声を拾いに行くとはご苦労様と言おう。別に否定はしていない。ただ単に嫌いなだけだ。
そんなことをすれば自分を疑ってしまうだろう。自分を疑った時点でおしまいだ。
君が正しい。
他者が間違っている。
自分を信じるんだ。
そして、ただ書くことに集中しよう。
そう、書くんだ。
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