第2話 夢のなか

 彼女と初めて会ったときは、孤児院の入り口だった。

 その子は母親らしき人に抱き着いて、泣きじゃくる。ぼたぼたと、大粒の涙が木の床に零れ落ち、シミを作っていた。

 母親は困り顔でいたが、目はうるみ、なるべくその子を見ないようにしている。

 見かねた孤児院の人はその子を離そうとしているが、がっしりと掴んだ子供を離すのは、意外にも力がいる――子供の意志の力か、不遇に思っているのか。


 結局は母親に諭されていた。

「ごめんね、本当にごめん。また迎えに来るから。追われているのに巻き込ませたくないの。だから……」


「いや、いやだよお母さん。私も一緒に逃げるから。絶対に迷惑はかけないから」


「あなたのことを思ってこの決断をするの。あなたは私なんかと離れて幸せな生活を送ってほしい――やってくれるんですよね?」


「ええ、しっかりとお世話をします。ねえ、大丈夫だよケイト・レンブランちゃん。みんなも楽しそうにしてるでしょ」


「ちゃんなんて言わないで、私は十歳になったのよ! お母さん!!」


 何歳も幼くなったようにじたばたと暴れているが、男の人が来て強引に腕を離された。母親は足早にこの場を去っていく。決して振り返りはしなかった。

 重い木のドアは無慈悲に閉じられ、一部始終を見ていた孤児院の子たちは、その場から離れていく。


 俺と彼女だけが残された。

 彼女の泣き声が壁にしみこみ、部屋中に響いている。俺は拳を握りしめて彼女に近づいた。黙って彼女の横に座り、手を握ると、熱い涙が俺の手に落ち、彼女の悲しみが伝わってきている。


 そのまま握りしめ続けていると話しかけてくれた。

「お母さんが行っちゃった。私って独りぼっちなんだ……お父さんはどこかに消えちゃったし、お母さんもきっと戻ってこない」


「――僕がいるから一人ぼっちにはさせないよ。あの、さ。ここでの生活を教えてあげるから立ち上がってみない? 無理そうならできる時になったらまた呼んで」


 一人にさせてあげようと部屋を出かけたが、彼女は立ち上がり、俺の後ろに立っていた。泣きはらした目は赤く、しゃくりあげた息で俺を呼んだ。


「一人ぼっちにさせないで」

「わかった」


 俺は彼女の手を取って固く握りしめ、足を前に進める。

 ――あれから七年後、あの頃を思い出して、俺は彼女を待っていた。彼女は医務室で診察を受けている。

 初めて見つかったのは三年前、魔力を取り込み過ぎると発症する病気にかかり、今も体をゆっくりと蝕む。完治させたいが、良い医者は貴族のお抱えだしお金もない。


 医者は病気を抑え込もうと魔力を込めるが、しょせん一時的なものに過ぎない。

治療が終わった彼女に、俺はうつむけた顔を上げ、笑顔を作って話しかけた。


「どうだった? 俺が何とかお金は工面してやるから、不安になりすぎるなよ」


「どの口が言ってんのよ。いっつも私の診察の時いる癖に……でも、ありがとう。私のためになんかお金を使わなくていいよ。どうせ一年ちょっとで死んじゃうんだから」


「悪い冗談はやめてくれ。青白い光に飲み込まれる君を見るのは苦しい」


彼女はこの雰囲気をなくすためか、俺の言葉を笑って反応してきた。


「ふふ、あの時の言葉覚えてる? 

 『僕は何にも見てないから、マジで見てないからな』――もしかしてあの言葉は嘘だったのかな。診察で服を脱いでいる最中入り込んできて、あの時は焦ったよ。君じゃなかったら、この拳で殴ってたかも」


「あの時は俺も焦ってたんだよ。その、マジで見てないからな。たまたま病気について調べているとき本で見ただけで、何のやましいことも――」


「ふーん。紳士だね、君は。どっちだっていいんだけど。それより時間は大丈夫? 新しい仕事始めたんでしょ」


 俺は時計を見てカバンを取った。もう十分もない。もっと一緒にいてやりたかったが、手を握りすぐに帰ってくるからと言った。

 彼女はまたかと言った感じで、あきれ顔を見せている。何かぎゃふんと言わせたかったが、何も思いつかなかったのでドアを開けた。


 このドアも小さくなったもんだ。

 急いで待ち合わせ場所まで向かい、路地裏を走る。道の橋には酔いつぶれた人が横たわり、滑り抜けるように避けた。道を完全にふさいでいるときは助走を決めて飛び越した。


 待ち合わせ場所に着くと、絹で包まれた四角い何かがあった。周りを見渡すと、紙と歯が置いてあり、

『これを三番路地のレンブランにおいてこい。そこに報酬は置いてある。その歯をよく覚えとけ』

と、書かれていた――明らかに怪しいが、報酬が良かったので我慢して運ぶことにする。


 取られないように警戒しながら道を進む。なるべく大通りを意識して通り、どうしようもないところは小道を使った。

 

 やっとの思いでたどり着くと報酬の入った袋があり、中身を確認する。金色の硬貨が詰まっていて、触ってみても本物と大差ないように重かった。

 俺は袋ごとカバンにしまい込み、荷物を放り投げるように置いて、来た場所に戻る。


 急いで戻ろうと小道を使った――お金の重さに浮かれていたのが悪かったのだろう。同じように大通りを使えばよかった。


 後ろから足音が聞こえたと思ったら、男たちに襲われた。力ずくでカバンを取られる。こいつらは手練れだ。

 俺なりに抵抗したが、相手は隙なく協力し、一人が俺を押さえつけ、もう一人がカバンを奪う。奪った瞬間彼らは逃げていった。


 しばらく呆然と後ろ姿を眺めていたが、体を起こして追いかけ始まる。あのカバンにはお金が入ってるんだ。


 なぜか、走ろうとするがうまく走れない。必死で体を動かしていると、緊張感ある場面に似合わないような声が聞こえてきた。


――『おーい、起きてくれよ。さすがに死んでないよな? ルーデルト、何か起こす方法知ってる?』



 

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