道化師と偽善者
藤宮神楽
見た事で思う事
受験をさほど頑張らず、周りからは軽蔑のへ目線を向けられるような高校だが、クラスの中で一際目立つ彼は面白かった。彼がいると空気が一段階明るくなった。ふつうなら一日一つを一週間一発ギャグして下さいと言われても気が狂ってしまうのに、彼は一日に何回もしてみせた。そんな彼をみんな尊敬していたし、彼はとても愛されていた。そして、何かが起きれば彼に頼ろうという雰囲気だった。彼はいつだってそんな雰囲気を味方につけるほどの準備が出来ていた。
人前で話す事はまだ出来るが、人前で芸をするなんて絶対に出来ない僕からすると、彼はとても頼りになる存在だった。でもそれは、彼に本当の尊敬を抱くまでのふんわりとした感情だった。
教室内に良くエアコンの効いた夏の日。教室から出ると、外の暑さに頭痛がして、ふらつきそうになるほどの暑い日だ。放課後、僕は定期テストで赤点を取った生徒に課される追課題を職員室に取りに行くために教室に残っていた。誰かに追課題を取りに行くのを見られるのが嫌なら、そもそも赤点を取らないように勉強すれば良いのに。と心のどこかで自分が言っている。そんな事を毎回のテストで思うが、やはり、勉強はせず、やはり、追課題を取りに行くのは見られたくない。放課後が過ぎ、なんと言うべきかは分からない時間帯。『君の名は。』の中で、片割れ時といってただろうか。グランドの方からサッカー部がホイッスルに合わせて声を出し、野球部が号令走をしている声が聞こえる。この学校は少し辺境ににあって、最寄り駅から都心へつ向かう電車は一時間半に一本しかない。部活生以外は帰りの会が終わると、素早く帰る。部活動に力を入れているわけでもないし、学校の周辺に人が住めるところはあまり無いので、帰りは電車の時間に合わせて人がいなくなり、校内は一瞬で静寂が訪れる。教室に人気が無くなったタイミングで荷物をまとめ、職員室へ向かう。直射日光とアスファルトに挟まれた事務棟への渡り廊下を通ると、日はだいぶ傾いているのに溶けそうになるぐらい暑い。汗だくのまま追課題を受け取り、足早に学校を去ろうとした時、明日提出になっている定期テスト振り返りシートを教室に忘れている事に気がついた。三階まで階段で上がるだけで汗でシャツが張り付く、もう一度プリントを持ってないか確認しながら廊下を進んでいると、「あぁー、もう。くそっ。」という怒号が聞こえた。本能的に忍び足になり、ゆっくりと教室を覗き込む。教室の左後ろで自分の机に向かう彼の姿があった。机の上に置いたノートと睨めっこしてるようだった。彼に話しかけられないわけでもないし、仲が悪いわけでもないが、彼が怒っているのは分かったので、ドアの影に隠れてじっとしながら、入るべきかどうか悩んでいた。しばらく静かになって、椅子を引く音、上靴が床に擦れる音。彼がドアからか現れるのではと思ったが、鼓動が早くなるより先に教壇に上がるドンッドンッという足音が聞こえた。垢で少し汚れたドアのガラス越しに覗き込むと、黒板を背にして教卓の前に立つ、彼の精悍な横顔が見えた。彼がゆっくりと教室を見渡し始めたので急いで顔を引っ込める。
「じゃあ、一発ギャグいきまーす。」僕が驚く間もなく彼のネタが始まった。
「あぁ、はやばいな〜。あれもこれもなわやる事が多すぎるよ〜。どうしても時間がない。時計に相談したら、秒で断られました。どうも、ありがとうございました」彼の声が静寂の教室にさ少し響いてい消えていった。
僕の鼓動は彼が早足で席に戻るのより何倍も早かった。ゆっくりと覗くと、彼は席について、ノートにペンを走らせていた。ペンを置き、ノートを眺める。もう一度教壇へ上がり、その工程を繰り返す。一発ギャグはどれも同じネタだが、声を張るところや体の動きを入れ方などが毎回違った。僕はそんな彼を小一時間見ていた。
これを見て、日頃から振られた時に咄嗟に人前に出て笑わせる事が出来る才能を彼が持っていると言う人はいないだろう。だが、見てない人からすれば彼には才能があって、天才だと思うだろう。彼は周りにそう思わせるほど、努力し、技術を磨いてきていた。この瞬間から自分の中で彼に対するす尊敬の形が変容しているのを感じた。。次の日、蒸し暑くて誰もいない放課後の廊下で聞いていたギャグを彼がみんなの前でやり、拍手をもらった時には泣きそうだった。
その日から、放課後に居残っては彼の努力の一部始終を見ていた。 でも、見ているうちに気がついた。彼は一切楽しそうではな無かった。
ネタをノートに書いている時も、試したネタがどうだったかを見極めている時も、唯一楽しそうだったのはネタをやっている時だった。彼がちょっと前にお笑い芸人になりたいと言っていたのを疑った。もしかしたら、テレビで見るお笑い芸人もカメラの前では楽しそうにやってるのかもしれないと思った。
いつものように帰るふりをして、教室に戻ってくる。ドアの影に腰をかけ、教室の中から聞こえてくる声に耳を傾ける。毎日、次の日のネタ
を聞いているのでみんながいる場で僕は笑っていないかもしれないが、 僕はもっと大切なよものを見ている気がして鼻が高かった。
塾の帰り。点々と置かれた街灯の下だけ少し明るくなっている夜道で、身体中に疲労を感じながら歩いていた。角を曲がると、僕が一番嫌いな夜道に入る。道の両側にはブロック塀が積まれ、やけに奥まで続く一本道。おまけに高架下なので、月明かりも一切届かない。前後からヤクザのようなものが来ればひとたまりもない。ここを通る時は少し前後から人の目を感じる事がある。鼓動が少し早くなるのを感じながらなんとか突き当たりのT字路に出る。ここがT字路になっているせいでこの道は果てしなく続いているように見えるんだといつも思う。左に曲がるのが家への順路だが、右にある駐車場というか広場というか奥に土管がない空き地から聞き覚えのある声がした。街灯は道沿いにしかなく、広場の奥までは見えなかったが、声と薄っすら見える動きで誰であるか分かった。
「小田君。こんな所でも練習してるんだ」振り向いた小田君の目にあったのは驚きと焦りが浮かんでいた。少し間が空き、「こんな所でもって事は、教室で練習してるの見られてたんだね」とても弱った顔をしたのでどうしたらいいのか分からなくなった。「たまたま教室を通りがかった時に見えてね」何か話したい事を持っていたわけではないので、この場所が珍しい場所であるかのように周りを見て誤魔化し、ほとんど何も見えない空間を数秒間見つめていた。
「教室とかでしギャグの練習してる事、出来ればみんなに言わないで欲しいな」あまりにも力ない声にこちらが驚いた。
「教室で練習してるのを何度か見たけど、今まで誰にも言ったことないよ」
さっきまでの表情が緩み、安堵が垣間見えた気がした。
小野君は僕が邪魔に入ったせいか、練習の手を止め、雑草と土が入り交じった地面に腰を下ろした。小野君の持ち上げた水のペットボトルは少し暗くても常温ということが分かった。真夏とはいえ夜なので、冷やして持ってきた、もしくは買ってきたペットボトルの水が完全に常温になるまで少し時間がかかるはずだ。あと一口で飲み切れそうな水を何回かに分けて飲んでいるのを努力の結晶というのは少し野暮な気がした。
小野君の横に向かい合わないように腰をかけ、パラパラと見える弱々しい星あかりを見つめて、ふと頭に浮かんだ事を聞く。
「なんでこんな大変な思いをしてまで皆んなの前で何かしようとするの?確かに、皆んなに言われて、同調圧力でどうしようもないのは分かるんだけど、全て誰かの声に応える必要はないんじゃない?」
小田君は水を啜りながら笑った。
「驚き。そう思ってる人いるんだね。確かに大変な事は少なくないけど、なんだかんだで慣れたよ。皆んなが笑ってくれてるならそれで良いよ」
「もし、そうだとしても、人の欲ばっか満たそうとして、自分の意思がないんじゃないの?」
そう言うと、小田君の目がこちらに真っ直ぐ向けられたのが暗い中でも分かった。
「自分の意思だよ。最初は少し嫌だったけど、今では芸人になりたいとさえ思ってる」
「本当にそれで良いの?」いつも皆んなの囃し立てを受けて前に出てゆく小野君の笑顔の後ろに潜む暗い何かが見えるあの瞬間が頭をよぎる。
「もちろん」暗いせいなのか。彼の目に光が見えないのは。
これ以上口を開いても、余計な事しか言わない気がしたので静かにしていた。僕が帰ろうかと迷い始めた時、小田君は口を開いた。
「言いたい事はすごい分かるよ。でも、周りの圧力に押されて行動してるのは僕だけじゃないよ。二組の林って奴分かる?」
「分かるよ。少し天然でバカな奴でしょ」身長が少し低くて、坊主頭をしてるので、みんなから可愛いがられている野球少年。といった具合の印象だ。
「林の事を下に見る皆んなのその態度が気に食わないんだよね」
「なんで」
「中学時代の林はあんな感じじゃなかった。高校に入って、周りのためにバカな事をやったり、先生を怒らせるような真似をした。僕から見れば、林が周りの顔色を窺って自分を押し殺してるようにしか見えない。多分、君から見た僕も同じように見えるのかもしれないけど、本人は気づかないんだよ」
さっきまで聞こえなかったコウロギの鳴き声が聞こえ、少し肌寒さを感じた。
「林君は無理してるのかな?」
「知らない。高校に入って林が変わってから話してない。もし、君の心に情けの心があるなら、僕らの代わりをしてくれればし良いのに。僕らを囃し立てずに皆んなを止めてくれれば良いのにって思う」
「やっぱり苦しいんだ」
「苦しめてる側の人間が何を言ってるんだか」
小田君は残った水をグイッと飲み、荷物を持って足早に去っていった。
草負けした足を掻きながら彼の正論を丸ごと飲み込もうとする。たった一人で飲み込むにはあまりにも大きくて残酷な食事だった。
また日が昇って地を温めてゆく。教室内の冷房が直接当たる特定の場所に人がたむろしている。最も涼しいと言われている教卓前におしゃべり女子がいるので教室前方から絶え間なく内容の薄い話し声が聞こえてくる。
小田君はいなかった。いつもいる時間に現れず、ついにはチャイムが鳴った。
体が冷たくなるのを感じた自分の中で罪悪感が膨れ上がり押しつぶされそうだった。自分が昨日踏み込んだ話をしすぎたからだろうな。早い心拍が響いてチャイムがとてもゆっくりに感じた。
ガラガラッ
「起立」学級委員の号令で皆が席に戻り、担任が教卓に立つことで、教室が収まる。
「礼。着席」自分の席に戻れていない人が三分の一はいるが、学級委員は強行突破する。
「えー。特に重要な連絡はありませんが、文化祭の前日祭でやるクラスの出し物を誰がやるのか文化祭実行委員が中心になって今日中に決めておくように。先生も準備時間が短いとは思っているけど、出し物はちょうど来週で日にちは動かせないのでしっかりとお願いします。以上、号令」
「起立、礼」先生が出ていくより先に男子が集まり、どうするのかを話し合い始める。
「TikTokで流行ってるダンスやる?」
「いや、踊るだけだと面白くないでしょ」
前日祭のクラスの出し物は毎度、クラスのひょうきん者たちが仮装し、音楽に合わせて体育館前方を右から左に移動するのをみんなで見るというもので、本来の目的はクラスで作ったTシャツを全校に見せるために始まったらしいが、おふざけが過ぎるうちに、Tシャツすら着なくなり、今ではクラス別の仮装大会みたいになっている。自分たちが決めた曲の切り取った四十秒間は完全に自由であり、先生は一切かかわらない学生だけの時間である。
「やっぱり小田にさせるか~」
「そうだな。そうしよう」
「でもあいつ休みだぞ」
「大丈夫。来た時に言えば何とかなるよ」
小田君がもう一度学校に来るのか疑っているのは僕ぐらいだろう。そして、男子の話が進むほど小田君が来る可能性が低くなっていく気がしてしれなかった。
次の日も、またその次の日も小田君は学校に来なかった。僕の精神は擦り切れていったっし、いつもならもっと盛り上がるクラスが静まり返っていて居心地が悪かった。いくら待っても彼が来ないので、もし来なかった時の代役となる男子の顔に焦りが見え始めた。自分に近しい感情を抱いている人がいるだけで少し安心感があった。
前日祭の当日、マスクをつけた彼が教室に入ってくると、教室中に割れんばかりの拍手と歓声が響いた。それを聞きつけたたクラスの人たちがのぞき気に来ては、小田君の存在に気づき、SNSより早い伝達網となった。僕はその光景をただ茫然と見つめながら、安堵して緩んだ顔が小田君に見られないようにした。どうしても小田君と話したかったが、それはできそうになかった。歓声が収まり、皆の目線が席に腰かける小田君に集まった時、「コロナだった」という小田君の声が教室中に通った。体中の筋肉が緩むのを感じ、眠気が襲ってきた。ようやく戻ってきた小田君の笑顔と僕の眠気を吹き飛ばしたのは、ある男子の言葉だった。
「小田。今日の前日祭の出し物頼むぞ」
教室で僕以外の全員がいつものように小田君がなんともない顔でやってくれると思っていた。代役の男子たちも先ほどまで白熱していた打ち合わせは二度と開く気はないようだった。誰も知らない。いつものようにギャグをやるというのなら小田君の中にレパートリーがあったかもひしれない。だが、出し物となると話が違う。
徐々に教室のはやし立てるボルテージが上がっていくのを肌で感じた。
小田君は石像のように固まって動いていない。マスクで顔が半分隠れていても、青白くなっていっているのが分かった。頭の中で何とか答えを出そうとしているんだろうと思ったが、病み上がりの努力家には厳しいものがあると感じた。
少しずつ迫ってくる皆の期待と興奮で押しつぶされそうになっているのは小田君だけではなかった。
たまらなかった。耐えられなかった。
「もうやめろよ。それ以上小田君を苦しませないでください。」急に立ち上がって大声を出した自分に驚いて、語尾が弱弱しくなった。クラスの視線が例外なくこちらを向いている。
「小田君に今日何かをやらせようとするのはやめてください。病み上がりだし、準備はいります。なので、お願いします。やめてあげて下さい」
すっきりとした気持ちは羞恥心に勝てなかった。
静まり返った教室に担任が入ってくる。
「どうした?お前が立ってるなんて珍しいな。そろそろ体育館に移動してくれ」
担任の声で我に返ったクラスが体育館へ移動を始めた。僕にとって地獄としか言えなかった。全校生徒がすし詰めにされた体育館で永遠にも感じる時間を過ごした。代役の人たちが出し物をすることになり、小田君は僕の右斜め前に座って各クラスの出し物を見ていた。前日祭が終わると、僕はすぐに帰る用意をした。名目上は文化祭準備の時間になっていたが、準備が無ければ別に帰ってもいい自由な時間だった。荷物をもって階段を下っていると小田君が下から上がってきた。目は合ったが、そのまま黙って階段を下りる以外にできることはなかった。
文化祭の日の朝なのに体が布団から動かなかった。カーテンの隙間から差し込む光さえ何となく嫌で、遮光性能のない薄い布団を頭までかぶって何とか心を落ち着かせようとした。
文化祭が終わり、すべてが通常の時制に戻る日、ふらつく足で何とか学校にたどり着いた。何度か立ち止まり、後ろを向く事で帰りたい気持ちを何度か消化しようとしたが、学校に近づくにつれて学校へ向かう人の波に揉まれていき、正門が見えた頃には立ち止まる事すら出来なかった。教室は殺伐としていた。こんなにもたくさんの人が教室内にいるのに誰とも目が合わなかった。学校は何事もなかったように通常授業に戻った。僕の一言のせいか、誰一人として小田君をはやし立てることはなかったし、いじることもなかった。小田君はまるで存在しないかのように扱われた。もちろん僕も存在は空気と同等になった。
そんな生活に慣れてきたある日、担任がとても重苦しい表情で朝の教室に入ってきた。わざわざチャイムが鳴り終わるのを待つと、単調だが強い芯を持った声で「小野が自殺した。何か心当たりがあるやつは、教えてくれ」クラス中の視線が僕の方に向いた。それからの記憶はあまり定かじゃない。小田君の机の前を通るときは目を開けられなかったし、生徒指導室では担任と校長を前にして二時間は黙っていた。
SNSでいろんなことを書き込まれたり、学校の机に落書きされたりした。家には『人殺し』と書かれた手紙が何通も届いた。
次第に何も考えられなくなった。
夜半、台所に行き包丁を取り出した。どこに刺せば自分が死ぬのか分かっているのに、体が動かなかった。物音を聞いた母が飛んできて、僕の持っている包丁をはじいて、部屋の隅へ飛ばす。膝から崩れ落ちて泣いている母を見て僕はこう思った。
優しさが彼を殺した。
道化師と偽善者 藤宮神楽 @LostDinosaur
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