第38話変化と心労

 球技大会が終わり、終業式までは残り数日。

 迫る夏休みに心を躍らせる生徒たちの瞳は輝かしい。例に漏れず、日向も心を躍らせていたわけだが、如月はそうではなかったようで。


「もうすぐで夏休みだな……如月?」

「……んぇっ?な、何?」


 いつもの空き教室での日向との昼食も、如月は上の空。

 大好きな日向の声すらも耳を通り抜けていく現状は如月にとって異常だった。

 

 如月の頭の中で常に思考を搔き乱してくるのは先日の日向の言葉。


『俺は如月とは付き合えないよ』


 奈切との会話の中での一言は、如月の心に傷を残すには十分すぎる切れ味を持っていた。

 今までの行動すべてをやり直したくなるほどに如月の心の中では不安が大きくなっていく。

 事の真相を知りたいとは思うものの、探れずにいる現状が如月にとってはむず痒く、情けなさからくる無力感に悩まされていた。


「……如月、なんかあったか?」

「……へっ?」

「悩んでるときの横顔してるぞ。中学の時に嫌って程見た」


 日向も如月の些細な変化に気づけるぐらいには彼女と多くの時間を過ごしている。ましてや、彼女の心境の変化を見過ごす日向ではなかった。


 如月は日向に自分の胸の内を見透かされたことを驚き、そして恐れた。

 この先に踏み込んで自分の想像するような破滅が待っているとしたら、と想像する如月は恐怖に震えた。


 その結果の選択が、だった。


「……ごめんなさい。少し夏休みの予定を悩んでて……」

「何かやりたいことでもあるのか?」

「貴方との結婚式よ」

「気がはえーよ。色々とすっ飛ばしすぎだ」


 幼いころから両親の顔色を窺い、当たり障りのないようにと自分を偽ってきた如月にとって、自分を偽り演じることなど容易い。

 こうして自分を偽り、悩みを先延ばしにする。如月はこれが自分の悪いところだとは思っていなかった。


 堂々巡りな考えは自分の中で押し殺す。そうやってこの関係を少しでも先延ばしにできたら良いと如月は結論付けていた。


 そんな二人を教室の外から見守る従者が一人。


▼▽

≪天音side≫


「はぁーっ!?二人が別れそう?」

「はい。……このままでは、破局してもおかしくはないかと」


 如月と日向がいつも昼食を摂る空き教室とは別の空き教室にて、天音の呆れたような、驚愕したような、複数の感情が入り混じった声が響き渡った。

 天音の前には、カチューシャをつけた一人の白髪の少女。感情を読み取らせない抑揚のない声色で言い切った。


「いやいや、先輩と如月先輩が別れるわけ……っていうか、あの人ら正確に言えばまだ付き合ってないけど」

「そうなのですか……?私はてっきり、マイロードの心は既に奪われてしまったのかと……」

「いや私も不思議なくらいなんだけど……ともかく、それは確かな情報なのかいアリスちゃん?」

「はい。我が主の従順なしもべとして、この曇りのなき眼で確認致しました」

(んー……ま、アリスちゃんが嘘つく必要もないしなぁ。最近なんか悩んでるみたいだったし、すれ違いでもあったのか……?)

「……如何致しましょうか天音様。何か対策を講じるというのは……」

「……いや、放っておこう」


 天音は考えるような仕草をやめ、きっぱりと言い切る。アリスは表情には出さずとも、瞳の動きで驚きの感情を露わにした。


「……よろしいのですか?二人の恋の成就は、天音様の願いでは……?」

「いや、認めたくはないけどそうなんだけど……この程度の問題、二人で解決できるでしょ。そうじゃなきゃ、あの人は先輩に相応しくない」

「ですが……!」


 アリスは食い下がろうとするが、出過ぎた真似だったと自覚したのか、喉まで来ていた言葉を噛み殺した。


「……珍しいね。先輩のことが不安?」

「……はい。我が主には、傷ついてほしくないのです」

「そっか。それは私も同感。だけどさ、痛み無しに成長なんてできないんだよ。痛み無しに得られた快感は、一時の成功体験に過ぎない。……あとで苦労することになる」

「それでは、私はどうすれば……」

「見守る。……私の知ってる先輩はこんな事で折れるほど弱い人間じゃない。アリスちゃんの思う先輩は、こんなに弱い人?」

「……違います。我が主は、お強い方です。我が主は絶対です」


 拳を大きく突き上げたアリスを見て、天音は笑う。

 かつて傷つき、折れかけた日向を見ている天音だからこそ、今の彼が折れることはないと強く信じている。


 また、それと同時に最悪の展開へと転んだ場合には如月あの女を許さないと黒い感情を心に宿している天音がいるのも確かな事だった。


(……ダメダメ。最悪の事ばかり考えるのは良くない。先輩が前を向こうとしてるんだから、私も前を向かないと)

「……あの、天音様」

「何?」

「……表情が、あまり明るくないように見えるのですが」

「……だってぇ。ほんとは私が先輩と結婚したいも~ん!朝は先輩のキスで目覚めて、一緒にイチャイチャしながら朝ごはん食べて、昼は仕事で離れちゃうけど……夜は二人でひたすらイチャコラして一日の疲れを癒しながらベッドインして、日付が変わるぐらいまで愛しあって……抱き合って眠りたいんも~ん!」


 天音がそうやって欲望を吐露し終わった時には、既にアリスの姿はなかった。

 音もなく去っていく姿は暗殺者アサシンのそれ。一人空き教室で愛に頭を悩ませる現状に、天音はなんだか虚しくなった。


「面倒な気配察知して逃げやがった……くそう、ちょっとぐらい私の我が儘聞いてくれたっていいじゃんかぁ……!」


 天音の呟きも虚しく、時間は過ぎ去っていくのだった。


▼▽

≪如月side≫


「……ただいま」


 無駄に広い家に、如月の呟きが虚しくこだまする。

 いつも孤独感を感じるこの広い家。今日はいつになく広く感じる。


 母方に拾われた如月はこの家を自宅としているが、それなりの愛着があるわけではない。

 普段は一人で過ごし、孤独な時間を過ごすこの家は自宅と言うよりも、独房と言った方が正しいだろう。


 週に何度かハウスキーパーは来るものの、来訪時間は如月が学園にいる日中。顔を合わせたのは数回ほどだ。


「疲れた……」


 荷物を放ってソファに飛び込む。メイクで隠した目元のクマをなぞり、一つため息をつく。

 彼女の脳内を支配しているのは、こんな時でも愛しの日向だった。


『俺は如月とは付き合えないよ』


 数日前に盗み聞きしてしまった言葉が、彼女の心に呪縛のように張り付いている。


 孤独に悩まされていた如月を救ってくれた日向。彼との繋がりを失うことは、孤独への回帰を意味する。それだけは絶対に避けたい如月は、聞かなかった事として自分を演じていたのだが……


(流石に聞かなかったことにはできないわよ……)


 最悪の事を想像しては、心の中に存在する破滅を恐れる如月が叫びだす。見て見ぬふりなど、彼女にはできない。


 もとより、如月が日向へのアプローチを恐れていたのは、破滅を恐れていたからだった。

 両親の破滅を目にし、孤独を恐れた如月は日向へ自分の想いを打ち明けることを恐れた。そうしてくすぶって爆発した結果が今の如月だ。


「……あれ」


 一度思考を切り替えようと起き上がると、キッチンのテーブルに何かの袋が置かれているのが分かった。

 立ち上がって手に取って見ると、袋の中には高そうな弁当。恐らく如月の母が置いていったものなのだろう。


 如月の母は月に何度か帰宅しては、こうして弁当を置いていく。娘に何を話すわけでもなく、ただ帰宅して去っていくだけ。そこに愛は存在しいていない。

 いつもなら恨みを込めてゴミ箱に叩きこむところだったが、今回は違った。

 少しだけ、ぬくもりを求めてしまったのだ。


 レンジに入れて温め、蓋を開けて食べる。中身はシューマイ弁当。

 温かい弁当と冷たい家庭。如月の孤独を恐れる心が膨れ上がって、体が重くなっていく。

 

 今まで自分が向けていた好意が恐ろしくなってしまう程に如月の心は揺らいでいた。


「はぁ……」


 再びため息が漏れ出たその時だった。

 テーブルに置いていた如月のスマホが揺れた。手に取って見てみると、映し出されたのは日向からのメッセージ。内容は夏休みの課題を一緒にやらないかという誘いだった。


 日向を求めるほどに如月の恋心は膨れ上がり、それと同時に彼を自分のモノにしたいという欲望が溢れ出てくる。

 孤独感に苛まれていた最中の彼からの連絡。如月のやることは決まっていた。


『ウチに来ない?』

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