第20話墜落と失墜

《星海side》


 星海は考えていた。


 自分の運命の歯車がズレ始めているのを確かに感じていた星海は、恨みの矛先を学園一の美少女に向けている。


 自分がこうなったのは自分の選択のせいなどではない。

 ましてや、日向のせいでもない。

 如月燐火という女のせいなのだと。


 今や彼女は自分に暗示をかけるように堂々巡りな思考を張り巡らしている。完全なる被害妄想に過ぎないことを指摘してくれる人間は、彼女の周りには存在していない。


 どうにかして日向ともう一度向き合いたい。

 ちゃんと謝って、ちゃんと胸の内を話せばなんとかなる。星海はそう信じている。


 日向に接触しようにも、立ちはだかる壁がある。

 

 日向が教室にいる際には如月の監視の目が光る。星海を見つければ、日向の視界から排除することは容易だろう。


 ならば如月がいない時間に、という安易な考えは金髪天使に破壊される。

 天音の援護射撃はどこからだって届く。話しかけようとすれば、どこからともなく日向を奪い去っていく天音はある意味如月よりも厄介な存在と言えるだろう。


 手早く接触し、邪魔の入らない、二人きりの空間で。

 星海は手の限りを尽くして策を練る。

 手段は問わない。できる限りを尽くして、それた自分の運命を正しい方向へと修正する。


(きっと話せば分かってくれる……はず)


▼▽


「如月さん、ちょっといい?委員会の事で話があるんだけど……」


 数人の生徒と教室を去っていく如月の背中を見送り、日向は次の授業の準備を始める。

 

「日向くん、ちょっといい?」

「俺?なんか用事?」

「その、呼んでる人がいて……」


 クラスメイトの視線の先を辿ると、出入り口に立つ星海の姿があった。

 クラスメイトに呼ばれた手前、無視することもできなかった日向は重い腰を上げて星海の元へと向かう。

 

「……なんだよ」

「……その、二人で話せないかな?」


 二人の間に漂う気まずい空気。周りから向けられる視線も耐え難いものがあった。

 日向は星海の案内で教室から離れ、技能科目で使う特別教室などがある北棟へと移る。

 

 静寂に耐えながら階段を上る。つかつかという足音だけが二人の間を繋いでいた。

 少し建付けの悪い扉を開いて、屋上へ出る。


 北棟の屋上は南棟に比べて老朽化が進んでおり、生徒も寄り付かない。一応、立ち入りは禁止されていないため、物好きな生徒はここを使用することもある。


 手を伸ばしたら届くぐらいの距離を開けて、二人で向かい合う。

 重い空気の中で、先に口を開いたのは星海の方だった。


「……その、ごめんなさい!」


 星海が腰を折って、頭を下げる。その一連の所作に、日向は目を見開く。


「……私、自分の事を優先して、日向くんの気持ち考えてなかった。正直、都合の良い相手だと思ってた。ごめん」

「……そんなことだろうと思ってたよ」

「でも、私日向くんと過ごした時間は楽しかった。他の人と過ごした時には感じられなかった感覚だった。これは嘘じゃない」


 星海は精一杯言葉を紡ぐ。自分の胸の内を、ありったけつぎ込んで、失われた日向との関係を繋ぎ止めるように。


「二人で見た映画も、二人で行ったカフェも、全部楽しかった。……失ってからやっと気づいたの。あの時は断っちゃったけど、こんなこと言うのは常識外れだって分かってるけど、私と付き合ってほしい」


 星海は手を伸ばす。立ち尽くした日向の手へと。


 だが、止まった。


 星海の瞳は映し出した。日向の悲しく歪んだ表情を。


「……なんだよ、それ。嘘じゃないだの、失ってから気づいただの、そんな体の良い言葉ばっかり並べて、結局自分の事が可愛いだけじゃん」

「ちが、そんな……」

「失ってから気づくんじゃ遅いんだ。お前が後悔してるなら、それは失った部分があまりにも大きすぎて、自分にとって価値のあるものだったからだ。それを自ら捨てた挙句に傷物にしたのは、お前だ」


 どくり、と星海の心臓が大きく跳ねる。

 途端に気持ちの悪い汗が額を伝い、手が震え始める。それは日向につつかれた部分が図星だったからだ。


「負った傷も、失った時間も、元には戻らない。俺を傷つけて犯した罪だって、お前には残ったままだ。最近になってようやく誤解は解けたけど、元に戻せるなんて都合の良いこと、できるはずない」


 その言葉には重みがあった。

 星海がその重みの正体に気づくことはない。彼の背負う十字架の重さなんて、他人が容易に察せるモノではない。


「無理だよ。前に戻るなんて」


 自分の幸運と欲に甘えた星海の一度の失態は、一生の過ちとして残ってしまった。

 

 星海はようやく気付いた。自分の失態が、一度や二度の謝罪で到底許されるものではないということを。

 それと同時に見てしまった。首元にくっきりとついた、キスマークに。

 

 星海の中で、何かが崩れた。堰を切ったように喉の奥から、こらえきれない感情がこみ上げてくる。

 今まで感じたことのない喪失感と虚無感が星海を襲った。


「……んで」

「……?」

「なんで、なんでなんでなんで!なんでよ!好きって言ったのは嘘なの?あの時の感情は?時間は?」


 不安定な声色で星海が叫ぶ。

 涙と不安で歪んだその表情は、日向にとってひどく見覚えのあるモノだった。


「私の事は、助けてくれないの……?」

「……俺の言葉も感情も、嘘じゃない。けれどそれを無下にしたのは、お前だろ」

「っ……でも!」

「そこまでにしておきなさい。見苦しいわよ」


 凜とした声が、屋上に響き渡る。付け焼刃の策で止められるほど、如月の愛は陳腐なものではなかった。


 颯爽と現れた如月は星海と日向の間に立つ。

 如月の瞳は宝石のように輝いている。そこにうごめく複数の感情。主に色濃く出た怒りの感情は、星海の劣等感を煽った。


「もう十分話したでしょう?友達にあんな嘘までつかせて、心は痛まなかったの?」

「っ、邪魔しないで!」


パンッ


 乾いた音が、屋上に響き渡った。


 振りぬかれた星海の手のひらが、如月の頬を打っていた。

 やってしまったという表情の星海。立ち尽くしたまま動かない如月。

 悲しみから怒りへと感情を移した日向が星海に迫る。が、それを制止したのは如月だった。


「……いい加減にしなさい!」

「っ……」

「どれだけ周りの人間を傷つければ気が済むの?自分が良ければそれで終わり?ふざけないでよ!誰かを傷つける人間が、誰かに愛してもらえるはずないじゃない!」


 如月の言葉には、日向を傷つけられたことへの怒りが滲んでいた。

 それと同時に、口元は悲しみに震えていた。


「この人は……日向くんは、そんな人間でも愛してしまう、心優しい人間なの。だからそんな人の感情を無下にしないで。彼の優しさに甘えて自分の欲を優先したことを、恥じなさい」


 如月の言葉が決定打となり、星海は走り去っていった。直前の何かが崩れて決壊してしまった感情の爆発は、星海の中に悲しくも余韻を残していた。


 ほっと息を吐いた如月に、日向が駆け寄る。


「如月、顔……」

「大丈夫。このぐらい、日向くんの心の痛みに比べれば……」

「大丈夫じゃない!」


 声を荒げた日向に、如月は思わず目を見開いた。

 日向は赤く腫れた如月の頬に手を添える。さりげない接近に、如月の心は跳ねていた。


「……よかった、傷はできてない。綺麗な顔に傷でもできたらどうしようかと……如月?」

「……たまには悪くないわね。心配されるっていうのも」


 如月は思い出す。

 かつて母親に心配をかけるなと叱責され、それ以降如月は迷惑をかけないようにと研鑽を重ねた。

 成功が常になった如月を誰かが心配することなんてない。それゆえに如月は他人からの愛情を久しく感じていなかった。


 そんな如月に愛情を与えてくれたのは他でもない、日向なのだ。


「ていうか如月、よくここがわかったな」

「まぁ、愛よね」


 人差し指と中指で胸元に♡を作った如月は、ばちんとウィンクをかます。

 呆然とした日向を見て、如月は「冗談はさておき……」と続ける。


「あの子が教えてくれたのよ」


 如月の視線を辿ると、扉からひょっこりと顔を出した天音がいた。


「えへへ……捕まっちゃいました」

「天音……」

「呼び出しが嘘だって気づいてから教室に戻ったら天音さんがいて、捕まえたら渋々吐いてくれたわ。あっちに消えていく姿を見たって」

「いやぁ~、さすがにあの形相で睨まれたら黙ってられなくて……」


 如月がへらへらと笑う天音を一瞥すると、天音は肩を跳ねさせた。そしてそのまま日向へと視線を滑らせてじっとりと睨んでくる。


「……流石に、隠せないんじゃない?」

「うぐ……」

「……先輩、バラしますか」

「えっ、いいのか?」

「はい。……血痕は掃除して、残ったブツは山に埋めれば……一撃で沈めれば、如月さんも楽に……」

「そっちのバラすかよ!?」


 日向がつっこむと、天音は満足げに笑った。


「冗談はさておき。大丈夫ですよ。別にバレたら死ぬわけじゃないですし」

「そうか。……それじゃあ___」


キーンコーンカーンコーン


「……放課後にしておきましょうか。ファミレスで」

「そうだな。……それでいいか、如月?」

「えぇ。日向くんがそう言うなら」


 三人の意見が合致したところで、日向たちは教室へと戻る。


「じゃあ、楽しみにしておいてくださいね!私と先輩の蜜月の暴露を!」

「最後に不和を残そうとするな……」

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