第19話甘噛みと証拠

 玄関で天音と別れ、教室へと向かう______前に、トイレに立ち寄る。


「ふぃ~……」


 今日は確か一時間目から体育だったな。この後は更衣室に行って着替えないと……ていうか、二時間目古典だったよな?課題やってくるの忘れてた……


 そんなくだらないことを考えていると、つかつかという足音と共に誰かが入ってきたのが分かった。

 知り合いだったら挨拶ぐらいはしておこう。なんて、呑気な考えはすぐに吹っ飛ぶことになる。


「日向くん」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?き、如月!?!?」


 なんの躊躇いも恥じらいもない、堂々たる表情で如月が立っていた。

 黒く淀んだその瞳で俺を痺れさせ、じりじりと近づいてくる。


「如月さん!?!?ここ男子トイレなんですけど!?!?」

「どうでもいいじゃない、そんなこと」

「よくなぁぁぁぁい!!ぜんっっっぜんよくなあああああああああいい!!ちょっと、落ち着いて!!」


 そんな俺の叫びも虚しく、如月は止まらない。


 如月の顔に張り付いたのは____狂気的な笑み。そこから読み取れるのは、ありえないほどの殺気。それも、俺に向けられている。


 ついに壁に追い込まれた俺は逃げ場を失う。

 追い打ちをかけるように、如月の両手がバンと俺の顔の真横を叩いた。いわゆる、壁ドンの体勢で如月の麗美な顔が迫る。

 吐息が触れ合いそうな距離で、如月が言った。


「……つら、貸しなさい」

「ひゃ、ひゃい……」


▼▽


 如月にずるずると引きずられながら空き教室に連れ込まれた俺は、椅子に座らされる。


 がちゃり、がちゃりと施錠音が響いた後に如月が俺の膝の上に座る。ふわりと香る甘い香りと、妖艶に光る唇。


 動揺する暇もなく、如月のしなやかな手が俺の両頬に這う。

 長いまつ毛の彼女が俯く姿は実に絵になる。狂気的なまでに、美しい。


「き、如月……?」

「私の目を見て正直に話してほしいの。……なぜ私が怒っているか、分かる?」

「いや、まったく____」


 と言いかけたところで脳裏をよぎった。小悪魔的に笑う、天音の姿が。


「……気づいた?」

「いや、なんのことだか……」

「なぜ天音あの子と一緒に登校していたの?」


 ばくんと心臓が大きく跳ねた。

 途端に手に汗が滲んでくる。呼吸は浅く、心拍音は間隔を狭めて加速していく。


 ……まずい。


 天音との関係は誰にも打ち明けていない。それは面倒ごとを避けるためでもあり、誰であろうと例外は無い。

 ここで我が身惜しさにバラすのは良くない。後に面倒になるのが目に見えている。どうにかして誤魔化さなくては。


「えーっと、朝偶然出会って……」

「いつも乗ってくる方面とは反対方向の電車から降りてきたのに、偶然?」

「そ、それは……」


 如月の懐疑の視線が突き刺さる。

 確かに今日はいつもとは違う方面の電車に乗ってきた。誰かに見られることを考えれば、時間帯をずらすのが正解。

 我ながら不注意だった。如月に見られる可能性なんて、いくらでも考えられただろうに。


「……ねぇ、日向くん。本当のことを教えて欲しいの。どんな事を言われても、私は拒まない」

「……ちなみに、付き合ってるって言った場合は?」

「今すぐ襲う」


 口を噤んだ俺に、如月は豊満な胸を押し付けてきた。

 俺の胸板に当たってぐにゃりと形を変えるそれは、触ればさぞかし心地よい感触なのだろう。

 欲情を煽られながらも、俺は唇を噛んで耐える。ここで負けては、男が廃る。


「……脱いで」

「へ?」

「脱げ」


 如月に脅され、俺はブレザーを脱ぎ捨て、ワイシャツのボタンをプチプチと外す。

 如月の手がワイシャツと俺の肌の間に滑り込んでくる。そして離れないようにがっちりと掴むと、俺の首筋を舐めた。そして____


「かぷっ」


 如月が俺の首筋に歯を立てた。

 痛くもなく、かといって心地よいとは言えない感触が続き、次第に吸い上げられる痛みに襲われる。

 如月の口が離れた時には、俺の首筋には赤い跡ができていた。如月が最後の仕上げにぺろりと舐める。


「ご馳走様……ねぇ日向くん?私が貴方を逃がすと思う?」

「もう捕まっちゃってると思うんですけど」

「これはマーキングよ。私の獲物であることを、くれぐれも忘れないようにね」


 どうやらこれが如月なりの落としどころだったらしい。如月がそれ以上天音のことに関して言及してこなかったのは幸運なことだった。

 ただ、如月はすぐには離れてくれなかった。


「……あの、如月さん?HR始まっちまいますよ?」

「……意外と筋肉質なのね。細いように見えるのに、こうして抱きしめるとがっちりしてる。好きよ」

「そりゃどうも」


 さわさわと体を這いまわる如月の手が、なんだかくすぐったい。耳元で愛を囁く如月の声は少しだけ跳ねていた。


 結局、如月の機嫌が直るまで空き教室にいた俺と如月は、HRに遅刻した。

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