第16話家族と傷跡
夕方の駅前は人通りが多い。
サラリーマンに、部活帰りの中学生。
友と談笑する高校生に、周りの事なんて見えてないんじゃないかと思う程に人目をはばからずにいちゃつくカップル。実に多様な人種が溢れている。
駅から出て、一直線に向かう先はいつも帰る自宅ではない。予定よりも電車が遅延したためか、少し遅れそうだ。
速足になって目的の住宅地に向かうと、金髪の少女が佇んでいるのが見えた。俺の姿を確認すると、ぶんぶんと手を振って駆け寄ってくる。
「浮気デートは楽しかったですか?せ~んぱい」
「今からするところだよ。これ、お土産」
天音に紙袋を渡す。中から出てきたのはイルカのぬいぐるみ。
天音はぬいぐるみを集めるのが好きだと以前に聞いていた。今もその趣味があるのかは不明だったが、ぱあっと明るくなった表情を見るに、杞憂だったようだ。
「わぁ……これ、私のために買ってきてくれたんですか?」
「うん。お前のために買ってきた」
「ふふ、分かってるじゃないですかせんぱ~い!さ、行きましょう。もうご飯できてるんですから!」
天音に手を引かれて、俺はマンションのエレベーターに乗り込む。
ここのマンションは現在天音と音葉さん、そして俺の父親が住んでいるところだ。
本来ならば俺もここに帰ってくるべきなのだが、我が儘を言って一人暮らしをさせてもらっている。
4階でエレベーターを降り、一つ二つと扉の前を通り過ぎて『403』と記された扉を開く。
「ママ~!お義兄ちゃん来たよ!」
「いらっしゃい蓮人くん。待ってたわよ」
天音の呼びかけに、奥の方からおっとりとした様子の女性がやってくる。
いわゆる狸顔の彼女が音葉さん。俺の父親の再婚相手で、事実上は俺の『母親』。
「お邪魔します……はおかしいか。ただいま、ですね」
「ふふ、おかえりなさい。さ、入って入って」
タイル調の玄関に靴を揃えて上がる。月に一度は訪れているこの場所も、もう見慣れたものだ。
リビングへ向かうと、見覚えのある眼鏡の仏頂面の男がこちらに視線を向けてきた。眉間にできた深い皺も、なんだか懐かしい。
「ただいま、父さん」
「……蓮人か、おかえりなさい」
「……なんか老けた?」
「遠慮も躊躇いもないな……お前も身長が伸びたんじゃないか?前よりも目線が高くなってる気がする」
「あら、ほんとだ。まだ成長期だものね~」
「ん~?そう言われてみれば確かに……」
……俺ってまだ成長してるんだ。
「……あっ、そうだ。これ、今日水族館行ってきたからお土産」
「あぁ、ありがとう。まずは、母さんの所にあげてきなさい」
リビングを出てすぐにある小さな畳の一室。俺は写真の中で笑う母さんの前にお土産のクッキーを供えて手を合わせる。
母さんは父さんとは対照的に、笑顔が眩しい人だった。
いつも笑っていて、俺が何かをすると必ず褒めてくれる。
悪いことをすれば、しっかり叱ってくれる。
困っていれば手を差し伸べてくれた。今考えてみれば、模範的な善人だったと言えるだろう。
『誰かのために戦える人間になりなさい。誰かを守るために、戦うのよ』
母が何度も俺に言い聞かせるように言っていた言葉だ。今も心の中に強く根ざしている。
(母さん……俺、ちゃんと成長できてるのかな)
俺の問いかけに母さんが脳内に直接_____なんてことは無く。写真の中の母さんは笑ったままだ。
「……ふぅ、よし」
「お義兄ちゃん、早くご飯食べましょ~」
「あぁ、今行く」
リビングに戻ると、テーブルには盛り付けられたハンバーグが並べられていた。
「ふふ~ん、今日はママと私で作ったんですよ!愛情たっぷりです」
「そりゃ楽しみだな。可愛い義妹の手料理、じっくり味わわせてもらうよ」
「ふふ、二人とも仲良しさんね~……冷めないうちに食べましょ」
「「「「いただきます」」」」
四人でテーブルを囲み、手を合わせる。いつも一人で食べている晩御飯、今日はなんだか賑やかだ。
「先輩、どうですか?おいしいですか?」
「うん、うまい。音葉さんが作ってくれたからだな」
「え~?私も手伝ったんですけど~?褒めてくれなきゃ、やーです」
「はいはい。ありがとな」
ぐりぐりと押し当てられる天音の頭を優しくなでると、天音は心地よさそうに口元を緩めた。
「ふふ、二人とも仲良しさんね~天音は甘えたがりだから、蓮人くん大変でしょ?無理に付き合わなくてもいいのよ」
「大丈夫です。俺も天音には色々と助けられてるんで」
「誰も私と先輩の
その後は、他愛もない世間話が続いた。
普段一緒に過ごしていない分、積もる話は多い。なんてことのない会話とくだらない内容でも、俺の心は確かな温かさを感じていた。
長らく感じていなかった、家族のぬくもり。心地よくて、その分失った傷に染みる。
「そういえば、学園ではどうだ。なにか困ったことはないか?」
「……特にないかな」
「先輩、最近フラれたんですよ」
「「えっ」」
「……お前なぁ」
天音に恨めしそうに視線を送ると、舌をぺろっと出しててへぺろしてきた。可愛いので許す。
「……蓮人、彼女欲しいのか?」
「そりゃ俺もそれなりに欲はあるよ……」
「意外に男の子なのね蓮人くん……てっきり、天音と結婚するのかと」
「いや天音はちょっと……」
「なんでですか!!!いいじゃないですか私でも!!!」
「……ほんとにお前は叩いたら鳴るな」
そんなこんなで久しぶりの家族の時間を楽しみながら、俺は心の傷を癒すのだった。
▼▽
「せんぱーい、一緒に寝ましょう!」
0時を過ぎた頃。
風呂に入り、もう寝るだけになった部屋でゴロゴロしていると、天音が入ってくる。
パジャマ姿の天音はクマのぬいぐるみを抱えながら俺の隣に座った。
「……部屋にベッドあるよな?」
「なんでも言うことを一つ聞く。……忘れちゃいました?」
「そういえばそんなこともあったな……このベッド、シングルだから狭いぞ」
「それがいいんじゃないですか~ふふ、ほらほら、可愛い義妹からのお願いです」
「自分で可愛いとか言うな」
「私可愛いくないんですか?」
「可愛いよ。……仕方ねぇな」
こうなった時の天音はてこでも動かない。眠気も限界だった俺は、観念して天音をベッドに迎え入れることにした。
リモコンで照明を落とし、二人でベッドに入る。
シングルだから当然だが、二人で寝るには狭い。天音が持ってきたクマのぬいぐるみが狭さに拍車をかけている。
「狭いな……」
「ふふ、そうですね。ほら、もっと体寄せてください。私落っこちちゃいます」
天音がずいずいと俺の胸元に入り込んでくる。向かい合って抱き合う形になり、天音は俺の胸の中で嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、先輩の匂いがします」
「ちゃんと体は洗ったはずなんだけどな」
「……先輩、今日ママ喜んでました。先輩と久しぶりにちゃんと話せたって。先輩は今日楽しかったですか?」
「……あぁ、楽しかったよ」
「……それでも、まだここには戻りたくないですか?」
「……まぁな」
薄暗いこの空間で、天音の表情は良く見えない。だが、彼女が悲しげに喉を鳴らしたのはかろうじて確認できた。
「先輩はいつでも幸せになっていいんですよ。何も不安になることはありません」
「……そうかな。どうも、俺は自己肯定感が低いからな」
「なら、なでなでしてあげます」
天音の手がすっと俺の頭に伸びてくる。そして俺の頭を優しく抱き寄せると、撫で始めた。
「よしよし。先輩は頑張ってます」
頭を撫でられていると、昔のことを思い出す。母さんも、よく俺の頭を撫でてくれていた。
「このまま眠りましょう。嫌なことは忘れて、夢の中に二人で」
「……おやすみ、あまね」
確かな安心感に、意識がふわふわと揺らいでいく。俺の意識はすぐに暗闇へと沈んだ。
▼▽
数年前、母さんが死んだのは俺のせいだった。
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