第6話 日常

「理久くん。勉強教えてよ!」


「勉強⋯⋯? いいけど」


 学校の補習終わりに、彼女が言った。



「わー、これ子どもの頃に読んでた絵本だ! ⋯⋯懐かしいな」


 一夏は、絵本を広げて、子どもみたいに笑った。

 僕は、参考書を開いたふりをしながら、視線の半分を彼女に奪われていた。


「本っていいね。ここにあるのは、全部、私の知らない世界」


 そう言う彼女の目は、文字の向こう側を見ていた。僕は本を読むふりをやめ、彼女の横顔ばかりを追っていた。時間が止まればいいと、そのとき思った。


「勉強するよ」


 ページをめくる指先の白さ。小さく開いた唇。そんな何気ない瞬間が、胸を締め付けるほど愛おしかった。



 図書館を出た後、二人で喫茶店に立ち寄った。レトロな店内、回る扇風機、古いカウンター。彼女はアイスコーヒーに浮かぶ氷をストローでつつきながら笑っていた。僕は彼女のその横顔ばかりを見ていた。言葉にしようのない焦燥感が胸に広がっていく。

 余命一年。一夏が笑うほどに、その残酷な響きが強くなるのだった。



 さらにある日、一夏は突然「料理がしたい」と言い出した。

 一夏の家にお邪魔になった。


「あら、一夏。お友達? ⋯⋯男の子?」


「うん。いつも話してた人が、彼だよ」


「一夏がいつもお世話になってます。理久さん、だったかしら? ゆっくりしていってね」


 一夏の母親は、すごく彼女に似ていた。

 気を使わせてくれたのか、母親はどこかに出かけていった。

 台所に立ち、エプロン姿で玉ねぎを刻む姿は、どこかぎこちなくて危なっかしかった。涙を流しながら「目にしみる〜」と叫び、僕は思わず笑ってしまった。

 結局、形のいびつなカレーが出来上がり、二人でテーブルを囲んだ。味は意外と悪くなかった。

 二人だけの空間で、心臓がすごく、ドキドキした。なぜだろう? いつもは何ともないのに。



 また別の日には、二人で近所のスーパーに買い出しに行ったこともあった。

 夏休みで混み合う店内、一夏はアイスの棚の前で真剣に悩み、「チョコ味とバニラ、どっちがいいかな」と僕に訊いた。

 僕は適当に答えたが、結局両方買って帰ることになった。公園で半分ずつ食べながら、「二人なら二倍楽しめるね」と笑う彼女を見て、胸が締め付けられた。

 


 些細なことが、どうしてこんなにも楽しいのだろうと不思議だった。

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