カワウソはうそつき

@zeong

第1話 嘘つきなぼく①

「ねえ、私の話、聞いてる」

 ぼくはちょっと考えごとをしていた。きみの誕生日に、ぼくは結婚を申し込むつもりでいる。そのときの贈り物をどうしようか考えていたのだ。流行りはガラスの靴だという。フラワージュエリーのボックスとか、バラの花束も人気らしい。

 けれども、流行にとらわれることなく、きみにふさわしいものを贈りたいと思っている。ちょっと変わったもので、ほかの誰も思いつかないようなものを。

 そんなことを考えていて、途中からきみの話に上の空だった。

 顔を上げると、マスターと眼があった。たしなめるように少し眉を顰め、首を振っている。

 バーのカウンターには、ぼくときみのほかには、もうひとり男がいるだけだ。ジャスが流れているけれど、ほどよい音量で、会話の邪魔をしない。

「聞いてるさ、もちろん」

 きみは口を尖らせた。

「ホントに? 会社を守るために口を閉ざすか、会社の陰謀を明るみに出すかって話なのよ」

 きみは面白がっているようだった。茶目っ気たっぷりに、指でピストルを作って、撃つ素振りをする。

「正義の話ってわけだ」

「地球の話よ」

「SDGs?」

「そう。だって、絶滅した動物の話だから」

「そうなの?」

 きみは眉を吊り上げた。

「やっぱり、聞いてないじゃない」

「ごめん、ごめん。なんだっけ。恐竜の話?」

「そんな話してない。カワウソ」

 コツメカワウソは水族館で見られるし、ペットとして飼ってる人だっている。でも、きみが話したいのは、それとは違うのだろう。

「日本のカワウソはは一九七九年に、高知県須崎市で目撃されたのが最後なんだって。だから、環境省はニホンカワウソは絶滅したって言ってるの」

「淘汰されたんだ」

 きみは首を振った。

「人間が滅ぼしたのよ。毛皮や肝臓を目当てに乱獲したり、生け簀の魚を食べられないように駆除したりして」

「滅んでから駆除したこと、悔やんだってなあ」

「実は、いまでも全国各地に目撃情報はあるの。ただ、あやふやなものばかりなので、環境省は認めていない。岩戸市でも目撃情報があって、一時、大騒ぎになった。そのカワウソを殺したのは、三遠信さんえんしん精機かもしれない」

 きみの話に面食らった。

 きみは三遠信精機東京支社、総務部の所属だ。けれど、出身は岩戸市じゃない。岩戸市に生まれ育った者にとって、三遠信精機がどれだけ特別のものなのか、想像できるだろうか。

 きみが知っている通り、岩戸市は三遠信精機の企業城下町だ。三遠信精機の歴史は明治期に遡る。最後の藩主・丹波(たんば)忠(ただ)亮(あき)が創業した製糸所が原点だ。昭和に入って業種転換し、軍需品の製造を始めた。戦後はシンクロ電機で急成長し、本社工場の周りには協力企業がいくつもできた。

 岩戸市は三遠信精機とともに繁栄してきたんだ。三遠信精機の歩みはそのまま岩戸市の歩みだ。どの家庭も、下請けや孫請けに家族の誰かしらが勤務しており、三遠信精機とつながりのない家は一軒もないと言っていい。岩戸市民は、敬意と親しみを込めて、三遠信精機を御所と呼ぶ。

「カワウソ騒動で、三遠信精機は売り上げを大幅に落としたのよ。知ってた?」

 もちろん。

 天明の大飢饉の後、村人たちは、七代藩主・丹波忠稠(ただししげ)に新田開発を命じられて井筋を開削した。 岩戸には、岩戸山脈に端を発する水流があったものの、水量に乏しいものだった。西山を下る間に土に浸透して伏流水になってしまっていたのだ。

 漆喰と石を敷き詰める大工事が十年がかりで行われ、西山から下る三本の縦堰ができた。その後も工事が続けられ、縦堰に交差して南北にゆったりと流れる七本の横堰ができた。それらを総称して岩戸疏水という。市内を縦横に走る堰が美しい水郷の景観を作り出した。

 その岩戸疏水に、絶滅したはずのニホンカワウソが棲息しているという話が広まったのは、ぼくがまだ十歳のときだった。

 嘘か真か、半信半疑な噂というのは、人々の創造力や興味をかき立てるのだろう。七本の横堰に沿う道路にカメラやビデオがぎっしりと並んだ。縦堰は流れが速く、カワウソの棲息には向かないと思われたが、それでも少なくない三脚がこちらにも並んだ。三脚の数は日に日に増え、週末の道路は県外ナンバーばかりになった。

 テレビや新聞が画像データを高値で買い取るという噂が出て、熱狂に拍車がかかった。捕獲したら、動物園だか国の研究所だか知らないが、とにかく関係機関が一億円で買い取るなんて話もあった。ワイドショーが連日特集を組むようになり、ブームに乗り遅れるな、とばかりに日本じゅうから人々が押し寄せた。

 岩戸市民には災難だった。というのも、完全に交通が麻痺してしまったからだ。

 城下町の名残で、道路は複雑に入り組んで狭い。「喰い違い」という敵の侵入を阻む防御構造をそのまま残しているのだ。車のすれ違いにも神経を使う。そのうえ、企業城下町として発展したため、観光には力を入れてこなかったので、駐車場の整備が遅れた。

 そんな街に人々が殺到したらどうなるか。岩戸疏水に沿う県道は、たちまち路駐の車だらけになった。駐停車禁止の標識があるのに、それを守ろうとする人はいなかったのだ。

 最初は誰かが軽い気持ちで路駐したのだろう。それを見た人が、自分も路駐しなければ損だと思ったのだろうか。通行を阻んでしまうのに、次々に路駐の車が現れた。

 岩戸疏水の橋という橋、県道に接続する市道、交差点の際にまで、路駐する車が連なって、大渋滞を引き起こした。警察が慌てたときには、手遅れで、交通整理の出動もできなかった。無法者の集団相手では、警察だって機能しないのだ。

 渋滞を引き起こした本人たちも困惑することになった。週明けから自分たちの生活に戻らなければならないのに、車を動かせなくなったのだ。仕方なく、車をそのままにして、電車で帰って行った。翌日か、せいぜい翌週、取りに戻るつもりだったのだろう。けれど、甘かった。カワウソ目当ての車は平日にも来て、路駐する車をさらに増やしていたから。

 ついには、トレーラーやトラックの輸送路として建設された広い道路にまで路駐車が溢れ出した。どこの工場にも、材料や部品が届かなくなり、製造が止まってしまった。下請けの製造が止まれば、当然、三遠信精機のラインも回らなくなる。製造工程が大幅に狂った。

 コロナ禍のとき、サプライチェーンが止まって、稼働停止する工場があっただろ。あれと同じことが、岩戸ではカワウソ騒動のときに起きていたんだ。

 カワウソ騒動は、製造部門だけじゃなく、ほかの部署の通常業務も止めてしまった。社員が出勤できなくなってしまったから。地方都市では、誰もが自家用車で出勤しているからね。路駐の車が道路を塞いでしまえば、大抵の社員は出勤できない。

 いまなら、リモートワークで乗り切るのだろうけど、当時は、オンラインで業務をするなんて検討すらされなかった。だから、三遠信精機も、関連工場も下請けも、どこも仕事ができなくなってしまったんだ。

 困ったのは工場だけじゃなかった。農家の人たちも困っていた。トマトやスイートコーンを収穫したって、出荷ができないんだから。それだけじゃなかった。

 カワウソ目当てにやって来た人たちは、道徳の欠片すら持ち合わせていなかったんだ。勝手に畑に入って、トマトをもいで食べた。どうせ、出荷できないだったら、俺たちが食べてやるよ、と言わんばかりに。怒り心頭に発して、無法者を鎌で追い払おうとして、逮捕されてしまった人がいたと聞いた。

 市民の困惑は怒りに変わり、やがて諦めに変わった。

 あの頃の岩戸の重苦しい空気を、いまでもはっきりと覚えている。大人たちは皆、陰鬱な顔をしていた。

 人はブームに乗りたがる。集団の一員でいたいという所属欲求の一形態なのかもしれない。他人が話題にするものに、取り残されてなるものかとばかりに、飛びつかずにはいられないのだ。鹿児島県指宿市のイッシーとか、山形県鶴岡市の人面魚がブームになったように、岩戸市ではカワウソが人びとを呼び寄せた。

 ひとたび火が点くと、集団は予想外の方向に動きだす。国の経済を破綻させてしまうことだってある。昭和金融恐慌は、銀行が危ないという噂を信じた人たちが銀行に殺到したから起きたという。高校生の冗談がきっかけで、取り付け騒ぎが起き、金融機関が倒産しかけたこともあったらしい。紙がなくなると聞いてトイレットペーパーの買い占めが起き、本当に店頭からトイレットペーパーがなくなってしまったのは有名な話だ。過熱したブームはパニックになるのだ。

 岩戸のカワウソは、人びとの射幸心を煽って、パニックを招いた。

 実のところ、岩戸市民の中にだって、カワウソ騒動に乗り遅れたくないという人はいた。だが、最初だけだ。ほんの数日の内に、平穏な日常生活を奪われ、誰もが辟易としてしまった。市民の誰もが、カワウソなんて消えてしまえと思うようになっていた。

 連日連夜、見張っていても、気配すらつかめず、カワウソなんてデマだと確信すると、岩戸を蹂躙した人たちは、波が退くように消え去った。優にひと月、麻痺していた交通がようやく回復することになった。

 テレビは、デマを流したのは誰なのか、犯人捜しを始めて、岩戸市民をさらにイラつかせた。人気タレントが、岩戸市民の嘘に日本じゅうが踊らされ、迷惑を蒙ったと言ったのには、全く閉口した。

 カワウソ騒動が収まると、リーマン・ショックが起きた。さらなる追い打ちで、三遠信精機の決算は大幅な赤字になった。翌年も、その翌年も、減収減益が続いた。当然、関連会社や下請けに仕事が回らなくなり、倒産、廃業するところが出た。

 カワウソがきっかけで、岩戸市は長いトンネルに入ったのだ。

「三遠信精機にカワウソを恨む理由があるのはわかる。でも、カワウソなんていなかったんだろ。いないものを、どうやって殺すって言うんだ」

 きみは、カクテルをひと口すすって、グラスを置く。

「殺したからいなくなったとしたら?」

「どういうこと?」

「資料室に標本がある。ホルマリン漬けの」

 ぼくは興味津々で、耳を傾けた。

「百四十周年で、社史を刊行することになり、東京に編纂室を置いたの。編纂委員会は、会社の古い資料だけじゃなく、丹波家の古文書まで収集したの。社史が刊行して、編纂委員会が解散した後は、収集した資料を東京で保管することになった」

「それが資料室ってわけだ」

 きみはうなずく。

「岩戸に地域高規格道路ができることになったでしょ」

 岩戸市はカワウソ騒動で、道路整備の必要性を実感した。県と一緒に、建設省、国交省に地域高規格道路を要望し、新東名高速道路に直結するルート案が計画路線に指定されることになった。

 県は岩戸市に三つの詳細ルートを示した。Aルートは水田を潰すので、地権者に代替地を用意しなければならない。Bルートは山林を削るので、豪雨になれば岩戸疏水に土砂が流入し、堰き止められた水が浸水被害を起こすおそれがある。Cルートは岩戸疏水に橋脚を立てるので、水勢が変わり、水田が干上がってしまうかもしれない。

 いずれも難点があり、市民の意見も割れたたため、市は、詳細ルートの検討を棚上げしてしまった。

 いつまでも未定にはしておけない。しびれを切らしているのは、岩戸市民だけではないのだ。期成同盟会に名を連ねる近隣市町村が、早期のルート決定を岩戸市に迫った。

 それで、最近になってようやく、三つのルート案のそれぞれについて、環境影響評価と都市計画の調査を実施することになった。

「三遠信精機にも意見を求めてきたの。それで、本社が古い資料を欲しがってる。過去に洪水があった記録はないかとか、土砂崩落の記録はないかとか。編纂委員会が解散してるから、総務部で対応することになった。日常業務だってあるのに、突然、これこれの資料が欲しいって言ってくるのよ。それを探すのだってひと苦労」

「片端からPDFにして、メールで送れば?」

「ばかなこと言わないで。何千ページにもなるわよ。スキャンしきれない。それに、古文書は光を当てることが禁じられてる」

「じゃ、どうやって送るの?」

「宅急便を呼んでる」

「無難だね」

「古い資料を探しててわかったんだけど、大正時代には、岩戸疏水にカワウソが棲息していたみたい」

「それじゃ、資料室の標本ってのは、そのころ捕獲したものなんじゃ?」

「そうかもしれないし、違うかもしれない。ホルマリン漬けのガラス瓶は、段ボール箱に入れられてるんだけど、緩衝材として詰め込んだ新聞紙の日付は二十年前なの」

「二十年前って?」

 きみはうなずいて続ける。

「カワウソ騒動があったころ」

「なんだか、痺れるね。編纂委員だった人たちはどう考えたんだろう」

「生物標本なんて、社史編纂には必要ないから、興味なかったんじゃないかしら。だから、段ボール箱に入れられたまま、隅に追い遣られていたのよ」

「カワウソだって思わなかったのかな」

 きみは頷いた。

「たぶんね。うちの課長なんて、イタチの標本だろうって言ってる。先々代の社長が狩猟を趣味にしてたんだって。そのときの獲物だろうって」

「なんだ。じゃ、イタチだ」

 きみは思い出したように、バッグを漁ってスマホを取り出した。画面をタップして、テーブルに置く。

「どう? イタチだと思う?」

「どうかな? フェレットじゃないか」

「違うわよ。フェレットは顔が白い。頭の形も違う」

 きみはキラキラした眼でスマホを覗き込んだ。

「イタチかな? でも、かわいい。飼いたいかも」

 眼を細めたきみの声はフルートの音色のように、とても優しく温かだった。

「じゃ、飼いなよ」

「プレゼントしてくれたら」

「何をばかな」

 きみはバッグを膝に乗せ、中からビニル袋を取り出した。

「それは?」

「標本の毛。こっそり切り取ってきちゃった」

 きみはいたずらっ子のように舌を出した。

「無茶なことするなー。資料室で埃をかぶっていたって、一応、会社の資産だろ。横領とかになるんじゃないのか」

「専門の機関にDNA鑑定してもらおうと思って。ニホンカワウソかどうか、はっきりするでしょ。もしかしたら、捕獲した時期だってわかるかも」

 ぼくは少し訝った。

「そこまでする意味あるのか。先々代が捕獲したイタチだろ?」

 きみは真顔になった。

「でも、新聞紙はカワウソ騒動のころのものなのよ。気になるじゃない? 社員の誰かが、最後のニホンカワウソを捕獲したのかもしれない」

「そんなこと、疑うか、普通」

 君は俯き加減になった。

「ちょっと心配性なのかもしれない。でも、うちの社員がカワウソを捕獲して、絶滅させたとしたら、とても悲しいことだから、そんなことはなかったって、はっきりさせて安心したいの」

 ぼくはきみを見つめる。

 きみは顔を上げた。

「イタチだってわかれば、安心できるでしょ」

「なるほど」

 DNA鑑定をしたら、標本はイタチだということが、はっきりするだろう。それで安心するのなら、好きにすればいい。

 テレビはカワウソの出所を探し回ったけれど、結局、どこから湧いた話なのか、突き止められなかった。

 たぶん、市民の誰かが別の生物を見間違えて、ブログで発信し、あまりの騒動に恐くなって、投稿を削除したのだろう。アカウントだって消してしまったのかもしれない。概ね、そんなところだろう。

 カワウソのことは、岩戸の者にとって思い出すのもつらい、嫌な出来事だ。交通を麻痺させた人たち、畑を踏み荒らした人たち、無責任にブームを煽って面白がったマスコミたち。いまだって彼らを許せない。

 僕だって、そう。ほかの岩戸市民同様、カワウソの話題を避けてきた。三遠信精機だって、きっとそうだ。

 だが、きみがイタチをかわいいと言ったのは、ちょっと意外だった。僕の中にちょっと違う風が吹いた。イタチがきみと僕に、新たな絆をもたらしてくれる。そんな予感がした。

 そうだ。イタチにしよう。プロポーズの贈り物はイタチだ。

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