第30話 再び味わう、あの視線
恐怖と絶望の体育祭が、刻一刻と近づいてきていた。
もう、明後日だ。
ダンスパフォーマンスに出る俺たちは、今日も体育館で練習に励んでいる。
「左側〜! ここでしゃがむ!」
リーダーの号令に合わせ、全員で動きを揃えていく。
……しかし。
「わっ、わっ……あ……!」
相変わらず、運動神経最悪な俺。
どうにも集団行動は苦手だった。
「前川さん、ちょっと遅れてるね」
「ごめん……気を付けます」
自分のミス一つで、全体の流れが悪くなる。
幸い、前野裕介だった頃の体育の授業みたいに、露骨に責められることはない。
……これは、俺が“女子”だから、なのか?
でも
視線、表情、空気。
どうしても、みんなが内心では落胆しているんじゃないかと、想像してしまう。
ギュッ……
胃がきりきりと痛んだ。
この、責められていないのに追い詰められる感覚。
トラウマが、自然と顔を出してしまうのも無理はない。
――少し休憩。
「ゆかっち、ドンマイ!」
「なはは! 気にすんな!」
「最初の頃より、ずっと良くなってるよ。裕香さん」
「……うん……」
だけど。
こういう時ばかりは、
いつもの友達の言葉さえ、心に届かなかった。
練習が終わると、俺は逃げるようにトイレへ駆け込んだ。
「ふぅ……こういう時、個室って便利だな……
メンタル病んだ女子がトイレに行くのも、よく分かる……」
少しでも気持ちを落ち着かせようとした、その矢先だった。
「明後日楽しみだね〜! 体育祭!」
「それ! てか、絶対優勝したい!」
……クラスメイトの声だ。
「うちらのダンスパフォーマンス……イケてるよね?」
「みんなすごい練習したからね!
……でも、前川さんが少し足引っ張ってるかな」
「…………!?」
鈍器で腹を殴られたような感覚だった。
「転校してきてさ、真桜さん達と一緒にいる時以外、なんか静かだよね。あんまり絡みないし……」
「わかる。人見知りなんだろうけどさ……
ダンスパフォーマンスに入った以上、もうちょっとコミュニケーションしてほしいというか……」
「………………」
この二人も、まさか個室に俺がいるなんて思っていないのだろう。
心が痛かった。
シンプルな陰口や悪口なら、まだよかった。
「うるせー!」って、心の中で突っぱねられたから。
でも違った。
この二人は、本気で困っているんだ。
俺の要領の悪さに。
まるで、
ミスの多い部下と仕事をしている会社員みたいに。
だからこそ、その言葉は
真正面から胸に突き刺さった。
俺は、
ギリギリまで個室から出ることができなかった。
重い足取りで、教室へ戻る。
「ゆかっち! もう授業始まるぞ!」
桐谷さんが、いつもの明るい声で呼びかけてきた。
「……うん……」
結局、あの気分のまま放課後まで過ごしてしまった。
三人には、ずっと気を遣わせ続けてしまった気がする。
それが、ただただ申し訳なかった。
これ以上、心配させるのも良くない。
そう思って、今日はひっそりと自宅へ帰ることにした。
家に着き、ソファに身を沈める。
そのまま、全身の力を抜いて――
「はぁ〜……あの空気……嫌だなぁ……」
みんな、練習には本気だった。
真面目に、楽しそうに、体育祭に向き合っていた。
それに比べて俺はどうだ。
不純な動機で参加して、
ついていけなくて、足を引っ張って――
本当に、情けない。
「調子に乗ってたなぁ……」
あの時、ちゃんと断っていればよかった。
そう思っても、もう遅い。
明後日には本番だ。
当日、またミスをしたら――
そう考えるだけで、胸がぎゅっと締めつけられる。
「うぅ……休もうかな……」
一瞬、そんな弱気な考えも浮かんだ。
でも、それはそれで迷惑をかけるだけだ。
逃げたところで、何も解決しない。
しばらく、ソファの上でうずくまっていたが
やがて、俺は小さく息を吸い込んだ。
「……参加したなら……責任、取らなきゃ」
腹を決める。
ダメ元でもいい。
今できることを、やるしかない。
俺はスマホを手に取り、
震える指でメッセージを送った。
神宮寺家・トレーニングルーム。
「やっほ〜! ゆかっち!」
「あ……真桜さん…ごめん、時間取らせて……」
少し申し訳なさそうに言うと、
真桜さんはにっと笑った。
「いいって!ゆかっちが真面目に取り組もうとしてるの、私すごく嬉しいし!付き合うよ!」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
俺は真桜さんと一緒に、
自主練をすることにした。
逃げないために。
少しでも、みんなに追いつくために。
音楽をかけて、さっそく復習
頭では分かっているはずなのに何でだろうかな?
「えっと……あ、あわわ!」
足がもつれ、タイミングがずれる。
「ドンマイ! もっかい行こっか!」
「う……うん……!」
何度か繰り返してみるが、
やっぱり音に合わせて体を動かすのが致命的に苦手だ。
「うぅ……練習してるのに……運動神経、恨むべきかな……」
「ふ〜む……なるほど、なるほど……」
真桜さんは腕を組み、じっと俺の動きを見ていた。
何かを考え込んでいる様子だ。
(俺のために、時間も労力も使ってくれてるのに……)
それなのに、成果はほとんど出ていない。
情けないし、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
(こんなんで……本番、間に合うのか……?)
不安が、静かに心を締めつけていた
「ゆかっち、音ゲーしたことある?」
「音ゲー……?一応、スマホでアイドル系のゲームなら……」
「それそれ!ダンスを“運動”だと思ってるからダメなんだよ!」
「踊りをね、ゲームとしてやってみよ!」
「ゲーム……?」
「そう!ゆかっち、頭の中でイメージしてみて。
振り付け自体はシンプルなのばっかりだからさ」
「動きを6色のコマンドに分けるの。
音楽に合わせて、タイミングよく“押す”感じで体を動かす!」
「……なるほど……」
「移動はスライド、両手を上げるのはロングノーツ、
ポンポン振るのは連打そんな感じ!」
「わかりやすい……やってみる」
正直、まだ不安はあった。
でも――
(俺は、ダンスをしてるんじゃない……音ゲーをしてるんだ)
そう、無理やり思い込ませる。
音楽が流れる。
移動、ストップ、ポーズ。
色付きのコマンドが、
頭の中でリズムに合わせて降ってくる。
曲が終わる。
「……出来て……る?」
「うん!バッチリグー!!」
満面の笑みで、真桜さんが親指を立てた。
(……あれ……?もしかして……いける……?)
ほんの少しだけ、
光が見えた気がした。
なんてこった……!!
考え方を少し変えただけで、
こんなにも理解が深まるなんて……!!
元々ゲームが好きだったのもあって、
そこからの応用は思った以上に早かった。
ゲーム好きで、本当によかったなぁ
「や……やった!!ついにノーミスでできた!!」
「やったぞー!えらいぞゆかっち!! よく頑張った!!」
真桜さんは、嬉しそうに俺の頭をよしよししてくる。
……そ、そんなに喜んでくれるのか。
「これで明日の最後の練習もバッチリだね!」
「うん……!これなら……なんとかやれる……かも」
時計を見ると、もう夜の八時を過ぎていた。
気づけば、真桜さんと二時間半くらい練習していたらしい。
少しだけ不安は残っている。
けれど、これ以上時間を取らせるわけにはいかない。
今日は、ここまでだ。
「真桜さん……
こんな遅くまで時間を使ってくれて……ありがとう。
本当に助かりました。
ゲームみたいに……きっと、明日も大丈夫……!」
「ふふふ…!ゆかっちのアイドルプロデュース、成功だな!
私、優秀かも〜? 笑」
「プロデュース……あはは……」
「汗かいたでしょ?ここのシャワー使っていいよ。
先に入って!」
「あ、うん。じゃあ、お先に失礼します」
脱衣所で服を脱ぎ、シャワールームへ向かう。
ここはシャワー室が七部屋に分かれた完全個室タイプで、
設備もやたらと充実している。
温水をひねり、汗をかいた身体を流す。
ボディソープを手に取り、機械的に身体を洗いながら、ふと考え事をしてしまう。
「ふぅ…音ゲーに…アイドルプロデュース、か……
真桜さん、ほんとなんでも知ってるな……」
「……このままだと、
俺が真桜さんに恋心抱くルートに入っちゃうんじゃ……?」
スマホゲームのキャラに置き換えて、くだらない想像をしてみる。
真桜P……悪く、ないかも?
思わず、ひとりで笑ってしまう。
「はは……あの人がプロデューサーなら、楽しくやれそうだな……」
ほんの少し、気持ちに余裕が生まれたのか、
そんな馬鹿なことまで頭をよぎる。
――でも。
すぐに、不安が胸の奥から湧き上がってきた。
あの空気
あの視線
大勢の前で俺は、本当にちゃんと踊れるのだろうか。
目立たず、静かに生きていくつもりだったのに。
いつの間にか、変に注目される立場になってしまった。
……怖い
正直、すごく怖い。
ネガティブな思考が、じわじわと押し寄せてくる。
「……とりあえず、身体洗おう……」
これ以上考えたら、潰れてしまいそうだ。
泡と一緒に、不安も流れてくれればいいのに。
そう思いながら、身体を洗っていると――
ガラッ
「おっじゃまー!」
「!?!?!?!?!?」
「まままままま真桜さん!? なんでここにっ……!?」
当然のように開けられた扉の向こう。
そこにいたのは、やはりというか、相変わらずというか。
湯気に濡れた綺麗な肌、モデル級のスタイル
高校生離れした身体を一切の躊躇なくさらけ出した、完全無防備な真桜さんの姿だった。
俺は弾かれたように、泡だらけのまま後ろを向いた。
「なんでって、私も汗かいたしシャワー浴びたいし」
「先に入って」って言ったはずなのに?!
それに個室は他にも空いているはずなのに、なぜわざわざ俺と同じブースに……!?
「ほほ〜う……ゆかっち。私の身体にはもう慣れたんじゃなかったのか?」
背後から、楽しそうな、それでいて獲物を観察するような声が響く。
「い、いや……! それは水着とか、着替えとかの話であって……!!」
やっぱりこの人の感性、どこかぶっ飛んでいる。羞恥心のネジが一本どころか全部外れているんじゃないだろうか。
「な……なんで、わざわざここなんですか……っ」
「だって〜……ゆかっち。明日が不安で、泣きそうな顔してたからさ元気つけてあげようかなって!」
そう言って、彼女は泡まみれの俺の背中に、何も気にせずぴったりと密着してきた。
「ひゃうっ!?」
背中に伝わる、柔らかくも重量感のある感触。真桜さんの豊満な胸の形が、薄い泡の膜を介してダイレクトに脊髄を刺激する。
「お肌すべすべ。しっかりキープしてるね!……ふふ、そろそろ『初心者女子』は卒業かな?」
初心者女子…そういえばそんな単語もあったかな
真桜さんの手が、泡の滑りを利用して俺の背中から腰、そして臀部へと這っていく。
それだけでは飽き足らず、彼女の指先が、俺の前の方へと滑り込んで――
「ななななな……なっ!?!?」
久しぶりの、この強烈なコンタクト。
慣れるわけがない。こんなもの、何度経験したって心臓が保つはずがない。
「大丈夫だよ、ゆかっち。明日は自信を持って踊ればいいんだから」
「へ……へ……?」
耳元で、吐息混じりの囁き。
「もし、失敗しても。誰かに責められても。私がこうして、ちゃーんと慰めてあげるから。おぉ〜、よしよし可愛い私のゆかっち……」
愛おしむような手つき。けれど、その指先の動きはあまりにもいやらしく、マッサージなのかエロいちょっかいなのか判別がつかない。
いや、きっとその両方だ。
「ほ……ほへぇ……」
「自分が思ってるより、ゆかっちはちゃんとしてるんだから。体育祭は堂々とね?」
励まそうとしてくれている、その意図は伝わってくる。
不安に押しつぶされそうになっていたはずの心は、
今や真桜さんの過剰なスキンシップによって強制的に塗りつぶされ、真っ白になっていく。
……不安になる余裕すら、今の俺には残されていなかった。
謎めいたスキンシップもひとまず終わり、
真桜さんと別れて、俺はなんとか自宅へ帰り着いた。
「…………すごかったな……やっぱり……」
「いや、そうじゃいって!……真桜さんって、本当に何を考えてるんだろ…」
真桜さんは、間違いなく良き友達だ。
親身になってくれて、頼りになって、明るくて、優しい。
ただ……たまに距離感が独特というか、
思いがけない接し方をしてくるから、こっちの調子が狂う。
ドキッとするし、落ち着かないし、
どう受け止めればいいのか分からなくなることもある。
「……でも」
布団に腰を下ろし、今日一日を思い返す。
「おかげで、不安はだいぶ消えたな……」
あれはきっと、真桜さんなりの励まし方だったのだろう。
少し強引で、荒療治みたいだったけど
確かに、心は軽くなっていた。
明日の最終練習
できることは限られているけれど、
今の自分にできるベストは尽くそう。
そう心に決めて、
俺は静かに眠りについた。
そして翌日――
再び体育館に集まった。
「それじゃ、最後の練習、張り切っていこう!」
リーダーの声が響く。
なんとなく分かる。何人かが俺をチラチラと見ている。
不安なのか、様子をうかがっているのか……
俺はそっと真桜さんの方を見る。
グッ!
真桜さんは、親指を立ててグッドサインを送ってくれた。
大丈夫!
真桜Pがプロデュースしてくれた俺は新人アイドル
踊りは音ゲー
昨日のことを頭の中で復習しながら、体を動かす。
音楽が鳴り、ダンスが始まった。
―――――
終了
自分の中では、ミスはなし
ベストは尽くせたはずだ。
「すごい! 最後、みんなバチッと合ってた!」
リーダーの声をきっかけに、
その場は安堵と笑顔に包まれる。
……ああ、良かった。
本当に、練習してきてよかった。
すると、隣にいたクラスメイトたちが声をかけてきた。
「前川さん! 今日ノーミスだったね!
昨日と全然動きが違ってて、すごく良かったよ!」
「正直、私ちょっと不安だったんだ〜。前川さん静かだし
声かけようにも、どう言えばいいか分からなくて……。
でも今日で安心した!」
多分、この二人。
トイレで話していた、あの二人かもしれない。
そんな彼女たちから、こんな言葉をもらえるなんて。
「あ、ありがとうございます……!
みんなに迷惑かけないように、昨日、真桜さんと自主練を……」
「え〜! そうだったんだ?
ダンスには消極的なのかと思ってた。
明日も頑張ろうね、前川さん!」
「……はい!」
今日は、前川裕香として確実に成長できた日だった。
友達以外のクラスメイトと自然に話せて、
ダンスもうまくいった。
おかげで、少し自信がついた。
「それじゃ、明日は優勝するぞー!」
「「「おーー!!」」」
「お、おー!」
明日は体育祭。
俺も、確かな青春を手に入れるんだ。
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