第13話
廃墟都市。その中心部。かつて商業の要として賑わっていた場所には、今や瓦礫と焦げた風しか残っていない。
偵察を終えて帰還したルゥが、息を整えながら報告する。
「……ドラゴン。中心部の旧市街、崩れた聖堂跡で眠ってたよ」
テントの中。地図の上に数枚の偵察記録が並べられる。クラウスが地図に視線を落とす。
「初手は魔術師部隊で、翼を凍らせる」
レイナが腕を組み直しながら言った。遊撃部隊の指揮を任されている彼女の声には、迷いがなかった。
「機動力を削いだところで私たちの部隊の出番ってわけね」
シリルが静かに応じる。魔術師部隊の指示を担う彼女の瞳は、地図の一点を見据えていた。
「クラウスの話通りの巨体であれば、長時間動きを止めることはできないと考えておいてください」
ニードの肩が、わずかに揺れた。亜人部隊を率い、魔術師部隊の護衛を担う彼にとって、この作戦は軽いものではない。魔術師の魔術が止まれば、ドラゴンは暴れ出す。そのとき、前に出て身体を張るのは、自分たちだった。
クラウスは誰にも目を向けず、覚悟を決めるように口を開いた。
「この作戦は、ドラゴンが目を覚ます前に一気に決める。だが、それが叶わなければ……厳しい戦いになると思ってくれ」
静まり返った部屋の中で、クラウスは奥歯を噛みしめる。これから始まるのは、彼にとって未知の戦いだった。巻き戻る前の記憶には頼れない、予測不能な現実が待っている。
ルゥとイグニスは、クラウスの不安を和らげるように、そっと笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。みんなが力を合わせれば、きっとうまくいくよ」
「例え相手が伝説上の生き物が相手でも、私が必ず守ってみせます」
その言葉に、クラウスはわずかに眉を動かしたが、何も言わなかった。
「私が来てあげたのよ? それに、ルシアンくんやシリルちゃんもいる。指揮官のあなたが不安になれば、周りのみんなも不安になるわよ」
レイナはクラウスの方を軽く叩くと、静かに笑う。
「そう弱気になるなよ。物語じゃ、ドラゴンと勇者が出会えば、勝つのは勇者って決まってるんだ」
ルシアンに託されたのは、ただひとつ。仲間が命を張って時間を稼ぐ間に、ドラゴンの首を落とすこと。よくある物語のように勇者の見せ場だ。でもこれは物語じゃない。彼の失敗は、仲間たちの命に直結していた。
それでもルシアンは、笑って応じた。不安を悟らせないように、それが当然の役割であるかのように。
仲間の言葉が、クラウスの胸の奥に静かに届いた。迷いが、少しずつ輪郭を失っていく。クラウスはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、覚悟が宿っていた。
標的はひとつ。
眠れる災厄。
ドラゴン。
廃墟都市の骨組みが、風で軋んでいる。魔物の声ひとつなく、曇天が空を覆い続け、奇妙な静けさだけが広がっていた。
ルゥは瓦礫の上から手を振り、静かに魔術師たちへ合図を送る。凍結魔法の詠唱は、ほとんど音にならないほどの呟き。静寂な空気の中、魔力の気配だけが微かに揺れていた。
一方、勇者ルシアンとレイナは、その後方で静かに剣を構えていた。目を閉じたルシアンの周囲には、微かな魔力の風が集まり始めている。それは刃へと凝縮されていき、静かな殺気が、空気を震わせていた。
レイナは呼吸を整えながら、剣の柄に指先を添えて集中力を高めていた。どのような状況になっても自分が何とかしてみせる。彼女の纏う張り詰めた空気はその覚悟を表していた。
この静けさが、いつ暴風に変わるかは誰にも分からない。ドラゴンが暴れ出す可能性は、決して排除できない。二人はそのことを理解していた。
さらにその後方。亜人種の部隊が、耐熱布と鉄板で覆った装備に身を包み、物音ひとつ立てずに待機していた。本来なら最前線に立つはずの彼らが、今は後衛に控えている。その並びに身を置きながら、ニードはどこか落ち着かなさを覚えていた。
ニードの隣でイグニスが、小さく息を吐く。ニードは目だけを動かしてその仕草を確認すると、無言で腕を組み直す。誰も口には出さない。だが、この配置が、いつもの戦場とは違うという現実を突きつけていた。
全員が配置についたことを確認したクラウスが、右手を振り下ろそうとした――まさにその瞬間。
轟音と共に崩れた壁の向こうから魔物の群れが雪崩のように飛び出してきた。
牙を剥いた四足の獣、鎌脚で跳ね回る虫型の魔物、角を持つ巨体が砲弾のように突っ込んでくる。数十、否、百を超えるか。その量は圧倒的だった。
「右後方! 魔物多数!」
ルゥの言葉に、魔術師たちが一歩、二歩と後退する。詠唱のリズムが狂い、魔力の流れが乱れる。魔術師を守るためにルシアンとレイナが即座に飛び出した。クラウスは手を振り上げ、状況の急転を全員に伝える。
「防衛に移れ!」
戦場が切り替わる。ドラゴンはまだ目を開けていない。だが、あの寝息が止まりさえすれば――地獄が始まる。
瓦礫を弾く音、断末魔の叫び。魔物の咆哮が空を裂き、作戦は完全に崩壊していた。
魔物の群れは、どれほど切っても後退せず、逆に勢いを増していく。大小様々な個体が折り重なるように襲いかかり、地面は爪痕と返り血で染まっていた。
ルゥの短刀が、滑るように小型の牙獣の首元を裂いた。
「っ、数が多すぎる! 止まんないよ!」
跳ね回る虫型の魔物が、頭上から降りかかる。彼女は地面を転がって回避し、すぐさま跳ね起きて脚を切断する。刃が肉を裂く音が、喧騒の中に鋭く響いた。
ルシアンは直剣を構え、ゆっくりと息を吐き出す。意識を切り替え、魔物へと視線を向ける。
「前、抜けます!」
叫ぶと同時に跳躍。背の高い魔物の腕の間をすり抜け、両足を断ち切る。それは残像すら残さないほどの速さだった。
レイナはその隣で、剣を真横に振り払う。魔術師を狙おうとしていた爪獣の頭部が、音もなく地に落ちた。
「慌てないで! 私たちが守るから、離れないで!」
後方で詠唱していた魔術師の一人が、声を張り上げる。
「どうして俺たちばかり狙われるんだっ!」
クラウスの眼が、その叫びを捉えた。
「狙われてる……応戦できない者から順に!」
魔物たちの突撃には、目に見える意志があった。普段なら最も近い兵士へ飛びかかるはずが、今は術師や治癒班へ、一直線に走っている。
「イグニス! ニード! 前線を押し上げろ!」
「了解!」
イグニスが大盾を地に立てる。魔物の牙が大盾と衝突するが、踏み込みの姿勢は微塵も揺るがない。
「っらああっ!」
ニードの斧が振り下ろされる。跳躍した魔物を地面ごと叩き落とし、砕けた骨の音が周囲に響く。
「この雑種ども、数しか取り柄がねえのかよ!」
先ほどの一撃に巻き込まれて地に転がった魔物へ、容赦なく斧を打ち込む。同時に、部隊員へ号令を飛ばす。亜人種部隊が咆哮とともに並び立ち、鉄板装備が一斉にぶつかり合う。戦場は、火花と咆哮に満たされた。
クラウスは、飛びかかる魔物の胴体を斬り捨てながら、後方へ鋭く視線を走らせる。
「シリル! 負傷者の救助を急げ!」
「分かってるわよ! かの者の傷を癒したまえ――!」
シリルの魔法が負傷者へと広がる。魔力の光が、裂けた腕へと染み込んでいく。傷口が淡く輝き、傷口が塞がっていくのが見えた。
クラウスは、間合いを詰めてきた魔物の牙を直剣で払いながら、背後に気づく。ひとりの魔術師が転倒し、敵が迫っていた。
「ルゥ、援護だ!」
「任せて!」
ルゥが瓦礫の上を跳ね、一瞬の隙を突いて跳びかかる。短刀が魔物の目元に突き立てられる。崩れていた布陣が、少しずつ形を取り戻していく。
奇襲を乗り切った。全員がそう感じ始めた時。場の空気が、変わった。全ての生物がその威圧感に動きを止めた。
振り上げられた剣も。魔物の爪も。叫びも。
クラウスは耳を澄ます。戦場の中心、瓦礫の聖堂跡。そこから、微かな気配が立ち上る。
「ドラゴンの……寝息が……」
ドラゴンの、呼吸音。あの深く、重かった音が。
聞こえない――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます