第12話

 風に混じる金属臭と硫黄の匂いが鼻を刺す。クラウスは馬上から、荒れ果てた大地を見下ろしていた。かつては鉱山都市として栄え、交易の要所でもあったこの地。今では、焼け焦げた岩肌と崩れた石の残骸が広がるばかりだ。


「ようやく辿り着いたか」


 この場所に辿り着くまでに、丸一年を要した。幾度もの戦場を越え、何度も仲間に命を救われ、同じように救ってきた。そして今、ようやく辿り着いたこの地は巻き戻る前の世界で、決定的な敗北を味わった場所だった。その記憶は、今も鮮明にクラウスの脳裏に焼きついている。


 この地で、異形の魔物が現れた。それは『ドラゴン』だった。伝承では世界の果てに潜むと記された幻獣。そして、御伽噺だと思われていた伝承は事実だった。ドラゴンは鉱物を喰らい、鱗を硬化させ、剣も弓も通じない。灼熱の炎は、一瞬で前衛を焼き尽くした。


 その圧倒的な力に抗う術もなく、軍は前線を大幅に後退させるしかなかった。そして今、クラウスは再びこの地に足を踏み入れる。かつての敗北を超え、勝ち筋を見つけ出すために。


「……問題は2つ。1つは、ドラゴンをどうやって地上に引きずり下ろすか。もう1つは、決定力に欠けていること」


 地上に引きずり下ろす策については、過去の記憶を頼りに進めることは不可能ではない。だが、クラウスの部隊ではもう1つの問題。決定力の不足を補う手段が無かった。


「せめてレイナ級の実力者が欲しいところだが……欲を言えば、勇者の力が欲しい」


 打開の糸口が見えないまま、クラウスは思考を巡らせていた。そうしているうちに、王都からの召集が届く。宛てはクラウス、ルシアン、シリルの三人。 添えられていたのは、転移魔法の高位スクロール。


 それは、本来なら王族が戦場で命を落とさぬよう持たされる、希少な魔道具。召集のために使われるような代物じゃない。それでも王家は、それをクラウスに託した。彼に、それだけの価値を見ているということだった。


 転移魔法の光が治まると石造りの回廊が視界に広がる。壁には王家の紋章が幾重にも刻まれ、警備兵の視線が無言のまま彼らを追う。足音すら吸い込む厚い絨毯の上を、クラウス、ルシアン、シリルの三人が進んでいく。


 謁見室の扉が開く。天井の高い円形の大広間。白金の柱、魔石で飾られた窓。そして玉座には、国王と王妃の姿があった。


「よく来てくれた。転移の酔いで辛かろう。どうか、楽にしてくれ」


 国王の言葉に、三人はそれぞれわずかに動いた。勇者は肩を落とし、聖女は目を伏せ、クラウスはほんの一瞬、膝を緩めた。転移による魔力酔い、これが戦場でこの魔法が使われていない理由だった。


「まずは礼を言おう。亜人部隊の戦果は、予想を超えるものだった。勇者殿の部隊も、各地で大きな働きをしてくれたと聞いている。この国の王として、深く感謝する」


 三人は静かに頭を下げた。そして、それぞれが賛辞に応えるように口を開く。


「兵たちがよく動いてくれました。彼らの力あってこその成果です」


「王の手厚い支援があったからこその戦果です」


 王妃はクラウスに目を向け、ふわりと微笑んだ。そして、少し声を落として言った。


「……クラウス、行き過ぎた謙遜は無礼となりますよ。この結果は、貴方に与えられた褒美をすべて部隊に費やした、その選択の賜物でしょう」


 その言葉にルシアンは、驚きの表情を浮かべてクラウスを見る。


「それって……今までずっと……?」


 クラウスは応えなかった。ただ視線を伏せ、王妃の発言の意図を考えていた。そんなクラウスを無視するように王妃は続ける。


「貴君は実に六度に渡り、自身の褒美を部隊に充てた。兵糧、薬、衣類や装備、救護馬車。そして最後には、負傷者への就職の手当まで。我々はその行為に、改めて褒美を与えたいと考えております」


 王妃の言葉にルシアンは小さく息を飲んだ。亜人種を奴隷のように扱う暴君。クラウスに向けられていたその噂は、王妃の静かな言葉によって、静かに否定された。


 そして、国王がクラウスに問いかける。


「我が国として、改めて貴君には褒美を与えたい。望むものはあるか?」


 クラウスは、一拍間を置いてから答えた。


「次の戦場で、勇者をお借りしたい」


 空気が静かに震えた。それは単なる戦術的な要請ではなかった。一貴族が、国の象徴である勇者の力を借りたいと口にした。その言葉の重みが、場に新たな緊張を生んだ。


 王妃が目を細めて口を開く。


「……どうせその言葉の真意は説明できないのでしょう?」


 クラウスは何も言わなかった。だがその沈黙こそが、答えだった。王女の探るような視線に、クラウスの意識は記憶の中の庭園へと向かう。


 紅茶の香りがふわりと広がる。白薔薇が咲き誇る一角は、王宮とは思えぬほどの静けさに包まれていた。


 クラウスは薄手の礼装に身を包み、王妃の向かいに座っていた。ふたりの間に置かれた白く上質なテーブルには、王家の紋章入りティーセットが並ぶ。香り立つ紅茶の湯気が、静かな空間にゆるやかに溶けていく。


「……報告の件、拝見しました。功績は見事です。ですが、恩賞の使い道には驚かされました」


 王妃は紅茶に静かに口をつけながら言った。声は柔らかいが、その驚きは隠されていなかった。その言葉に、クラウスは少し目を伏せ、静かに応える。


「彼らに約束したんです。『生きて戻れば、家族に会わせてやる』と。俺が欲を出せば、その約束が守れなくなるかもしれない。それだけです」


「約束を守るために、自身の褒美を全て手放すと。……王国の貴族もまだ捨てたものじゃないのかもしれませんね」


 王妃は、目の奥が静かに揺れた。その視線は、言葉よりも深く、クラウスの言葉の奥を見通しているようだった。


「……私は、亜人種差別について、ずっと悩んでいました。正すべきだと思いながらも、貴族たちの反発を気にして動けなかった。あなたのような人が王国にいてくれること。心から感謝しています」


 そして、王妃は深く、静かに頭を下げた。クラウスは思わず立ち上がる。


「いえ、それは……妃殿下が、私のような者に頭を……」


 王妃はそっと笑みを浮かべた。


「ここは公式の場ではありません。私は一人の人間として、あなたに敬意を示しただけです」


 少し間を置いて、王妃は続けた。


「クラウス。私は、あなたを信じています。そう思えたから、こうしてお茶を淹れたのです」


 クラウスは言葉を失い、ただ彼女を見つめた。彼は王族など、自己保身にしか動かないものだと思っていた。だがこの人は、違う。守るべきものを持ちながら、それでも他者に歩み寄ろうとしている。そう感じていた。


「今は何も聞きません。私はクラウスを信用します。この期待……裏切らぬように」


 その言葉を胸に刻みながら、クラウスは静かに椅子を離れ、膝をついた。そして、深く頭を下げる。それは貴族や軍人としてではなく、一人の人間としての礼だった。


 王妃の小さな咳払いが、クラウスの意識を謁見の間へと引き戻した。


「陛下、よろしいのではなくて?」


 静寂を裂くようなその一言に、謁見の間がわずかに揺れる。国王は唇を引き結び、しばし目を伏せた。その表情には、明らかな葛藤が滲んでいた。


「……クラウスの功績は、確かに王国にとって比類なき価値を持つ……ゆえに……」


 言葉を噛み砕くようにして、国王はしぶしぶ頷く。


「……勇者ルシアンの一時的な貸与を、許可する。貴君の部隊へ随行させよ」


 その瞬間、謁見の間に再び沈黙が訪れた。ルシアンは事態を飲み込めず、国王の顔とクラウスの背中を交互に見つめながら、戸惑いの声を漏らす。


「……え、どういう……こと……?」


 一方、シリルは動揺を隠せず、袖を握る手がわずかに震えていた。


「ま、待ってください。勇者殿を一貴族に貸与するなど、保守派の反発は避けられません。信仰派からも、聖なる加護の私物化と糾弾される恐れが!」


 王妃は静かに微笑み、シリルの言葉を遮るように告げた。


「もちろん、形式上は勇者殿の部隊の下にクラウスの部隊を置く形となります。保守派・信仰派双方への配慮として、必要な措置です」


 シリルはわずかに眉を寄せ、息を吐いた。王妃の配慮は的確で、反論の余地はない。


「しかし、それではクラウスに対する褒美になりません。そこで護衛として王国騎士団よりレイナ・フォル=ディールを追加で派遣します」


 その名を聞いた瞬間、クラウスの目がわずかに揺れた。レイナの参戦。巻き戻る前の世界では、彼女の合流は半年以上先のはずだった。


 それが今、王妃の口から当然のように告げられる。あまりに都合が良すぎる。まるで、すべてがクラウスの思惑通りに進んでいるかのようだった。


「……クラウス。信じていますよ?」


 王妃の視線がクラウスに向けられる。その瞳は、真意を見通すように、まっすぐ彼を捉えていた。クラウスは一歩前へ進み、深く頭を下げる。その動きに迷いはなかった。信頼に応えてみせるというという覚悟だけが、静かに滲んでいた。


 謁見を終え、回廊を歩いていると、背後からルシアンの声が届いた。


「クラウス。どうして次の戦場に、俺の力が必要だってわかるんだ?」


 クラウスは足を止め、静かに振り返る。


「……冗談に聞こえるかもしれないが、次の戦場にはドラゴンが居る」


 短い返答。だが、その瞳には確かな決意と懸念が宿っていた。


「……大物だな。この件は、訓練所で一位を譲られた件で帳消しにしておくとするよ」


 クラウスは答えず、再び歩き出す。ルシアンはただ、その背を追いながら黙っていた。


 その夜、シリルは手紙に筆を走らせながら、唇を噛み締めていた。


「一貴族に勇者を貸し出すだなんて……国王勅命とはいえ、議会から突き上げがくるわ。議員の反発、保守派の弾劾。勇者を神格化する信徒の抗議も……」


 筆を止め、ふと机に突っ伏す。


「でも……王妃さまはクラウス様を信じた。私も、彼が何かを守ろうとしているのは知ってる……」


 シリルは再び姿勢を正すと手紙にペンを走らせる。貴族派、信仰派、議員。それぞれの立場に配慮した文面を、何度も書き直す。


「この決断が正しかったと証明される日が来るなら……私も、彼に賭けてみようか」


 気づけば、窓の外に朝の気配が滲み始めていた。シリルは静かに息を吐き、インクの乾き具合を確かめながら、ようやく椅子にもたれた─。

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