第21話 絆創膏、疑い、また降る雨

「あれ、随分と可愛いのつけてるな」

 

 次の日。

 昼休みに教室でパンを食べていたところで声をかけてきたのは石橋だった。

 俺は咄嗟に左手を下ろして、見られないようにする。


「別に隠すことないだろ。怪我でもしたのか?」

「茶碗洗ってる時に切っちゃっただけだよ。大して深くも無いからリレーとかにも支障は無いし」

「おっ。それは安心だ。大事なリレーメンバーだからな。しっかり頼むぜ~」


 親指を立てながら眩しい笑顔を向けてくる。

 基本的に日陰で生きている俺からしたら眩しすぎるくらいに。

 柚木さんとはタイプが違うけど、石橋は人気者である。

 クラスのお調子者というポジションと言っていいだろう。


「ところで、清水は今日も練習は来れるか?」

「ああ。大丈夫」

「え~。石っち~。今日も練習あるの~?」


 男だけのむさくるしい会話に、フワフワとした声が紛れ込んできた。

 どこからか話を聞いて来た澤田さんだった。


「当たり前だろ? 体育祭までそんなに時間無いんだから」

「でも今日この後雨っていう噂っだよ~? それなら最初から中止の方が良いんじゃない~? ねえ、水っち」

「え⁉ あ、どうだろ……」


 まさか話を振ってくるとは思わず、当たり障りのない言葉を返して教室の窓を見る。

 空に浮かんでいる雲が確かに黒い。

 雨が降りそうと言えばそうなのかもしれない。


「このくらいの天気なら大丈夫だろ! 何も問題ない!」

「え~。石っちの予報って当たった試しがないじゃん」

「ちょっと飲み物買いに行ってくる」

「あ、水っち行ってら~」


 2人の言い合いに巻き込まれないように席を外す。

 嫌いなわけじゃない。

 むしろ話を聞いているだけなら割と好きな方だ。

 でも当たり前のように話題を振ってくるのには慣れない。


「枠外の人間なのに……」


 ボソッと呟きながら廊下を曲がろうとした時だ。

 前からもちょうど曲がってきた人がいて、見事にぶつかってしまった。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 ドンっとぶつかって尻餅をつく。

 鈍い痛みが尻に響くが、そんなことを気にしている場合ではない。

 ぶつかった時に聞こえた声。

 声色からして女子だ。

 それなら俺よりも吹っ飛んだに違いない。


「すみません! 大丈夫ですか?」


 目の前で尻餅をついていたのは見覚えのある淡い赤髪。

 着崩した制服に、おられたスカート。

 少し焼けて黒い肌。


「……あ、清水」

「如月さん」


 ぶつかったのは柚木さんと仲の良い如月さんだった。

 同じギャル友達という感じで、柚木さんよりも見た目が派手目でかなり怖い。

 しかしとにかく友達思いで優しい性格だと言うのが分かった。

 俺と柚木さんの関係が戻ったのも、彼女の言葉あってこそと言っても過言ではない。


「ごめん如月さん。怪我とかしてない?」

「別に大丈夫。あたしもちゃんと前見てなかったし」


 そう言って起き上がろうとする彼女に左手を差し出す。

 一瞬だけ固まったが、素直に手を取ってくれたので俺はグッと引っ張って如月さんを立ち上がらせた。


「ありがと」


 これまた素直にお礼を言ってきた。

 本人には絶対に言わないけど、こうやって見た目に似合わないことをしてくるから調子が狂う。


 もっと言うと可愛いなと感じることがある。


「何かその目やらしい」

「そ、そんなことないだろ」


 鋭い指摘をされて、心臓がドキッとする。

 もしかしたら如月さんはエスパーなのかもしれない。


「そ、それじゃあ俺は飲み物買いに行くから」

「……ねえちょっと聞いていい?」


 逃げようとしたところで如月さんに声をかけられる。

 振り返ってみると彼女は俺の左手を指差しながら尋ねてきた。


「その絆創膏どうしたの?」

「え、ああ。これ? ちょっとうっかり茶碗を割っちゃってさ」

「ふーん……」


 納得が言っていないような雰囲気の相槌を打たれる。

 しかしこれは紛れもない真実だ。

 それにいくら如月さんと言えど、柚木さんに直接貼ってもらったなんて言えるわけもない。

 もしバレたとしたらとんでもないことになってしまうことだろう。


「ま、いーや。じゃあね清水」

「お、おう」


 教室の方へ戻って行ったけど明らかに疑念が残っているような感じだ。

 もしかしたらこの先も注意深く監視されるかもしれない。


「気をつけないと……」


 そう思い、俺は自販機の方へと向かった。



 放課後。

 俺たちリレーメンバーは体操着に着替えてグラウンドへと向かった。

 黒い雲はいつの間にかどこかに消え、快晴が広がっていたのだ。

 つまり石橋の予想が的中したことになる。

 そしてバトンを持ってグラウンドにやってきたわけだが……。


「……雨だね~」


 上を見上げながら澤田さんがボソッと呟く。

 さっきまでの快晴はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。

 そして雨雲はどこから湧いて来たのだろうか。

 そう思わずにはいられないほど一瞬の出来事に、俺は唖然とするしかなかった。

 すると石橋は俺たちの前にやってきて、華麗な土下座を決める。

 突然何かと思っていると、校舎全体に響き渡るほどのデカい声で叫ぶ。


「皆すまん! 言ってなかったが、俺……雨男なんだ!」

「「「「じゃあお前のせいじゃねえか!」」」」


 俺と烏野さんと雨宮さん以外の声が重なる。

 ちなみに雨宮さんはアワアワしているだけで、烏野さんに関してはまた眠たげな眼で空を見上げてる。


「水たまりだったらたい焼きも泳げるかな……」


 うん。今のセリフは聞かなかったことにしよう。

 本当に烏野さんが1番、何を考えているのか分からない。 


「じゃあとりあえず解散する~?」

「そうだな。俺も部活あるし」

「俺もプロテインの時間だ」

「わ、私もちょっと……この雨じゃ……」


 どうやら終わる流れのようだ。

 自分が意見を出さずにとんとん拍子に展開が決まるのは楽で助かる。

 こうして今日のリレー練習は中止となった。

 しかし1番の問題は、俺が傘を持っていないことである。


「どうしようかな……」


 憎むようにして雨を見ながら呟く。

 くそ、こんなことならちゃんと天気予報を見ておくんだった。

 つくづく俺も雨運がない。

 さっき石橋が自白してたけど、俺も結構雨男の感じがあるのだ。

 2人も雨男が揃っていたら確かにいきなりの雨でもしょうがないのかもしれない。


「うーん」


 それにしても雨が降っているとなると、どうしても思い出してしまう。

 柚木さんが初めて俺の家を訪ねてきた日のことを。

 ずぶ濡れになっていて、今にも風邪を引きそうな感じで……。


「待てよ……」


 今日は傘を持っているのだろうか。

 もし持っていなかったら当然、体が冷えることになる。

 つまり早く風呂に入らないといけない。


「早く帰らないと!」


 そう思いきった俺は濡れることを恐れずに雨の中走り出した。

 地面を踏みしめる度に段々と水が染み込んでくる。

 ジャージも雨が含んで重くなっていく。

 それでも俺は走ることを止めずに走り続けた。

 肺が苦しくなって息が乱れてきても、口の中に血の味が広がってきても、足が重くなっても。

 俺は家に向かって走った。


「はあ……はあ……はあ」


 大きく息を乱しながらアパートに到着し、重たい足取りで階段を登る。

 俺が1歩進むごとに小さな水たまりができていった。

 そしてアパートの廊下に行くと、ちょうど柚木さんが自分の家に入るところだった。


「え、ちょ、待って。清水君凄いずぶ濡れじゃん!」


 そう言いながら駆け寄ってきた柚木さんは全く濡れていない。


「……あれ? 柚木さん濡れてないの?」

「え? だってウチは折りたたみ持ってたし」

「……マジかよ」


 じゃあ俺はただのずぶ濡れ損ってことか?

 ……いや、元々傘持ってなかったからどの道濡れてはいたんだけど。


「もしかして清水君、ウチが傘持ってないって思って走って帰ってきたの?」

「……」


 答えはしなかった。

 俺は黙ったまま視線を逸らす。

 すると、背中をバシッと叩かれる。

 かなり水を含んでいたからか、バチュっと妙な音が響いた。


「いった! え、なに⁉」

「えへへ~。何でだと思う~?」


 妙にニヤ付きながらこちらを見てきた。

 ……よく分かんないけど変なことを考えているのだけは分かった。


「とりあえず清水君、お風呂入った方がいいよ? そのままじゃ風邪引くし」

「分かってるよ。じゃあ後でな」

「うん。あ、今日はね唐揚げ作るよ~」

「おっ、マジで? やった!」


 思わず喜んでしまった。

 しかしそれは仕方のないこと。

 だって柚木さんが作る唐揚げはめちゃくちゃ美味いのだ。


 醤油ベースにほんのりきいたにんにくと生姜。

 サックサクの衣にしっとりとジューシーな肉。

 まさにご飯泥棒。いくら米があっても足りない。

 唐揚げの日は大盛りご飯3杯行ける。


 楽しみだな~と思いながらドアノブを回すと、階段を登る音が聞こえてきた。

 このアパートの2階に住んでいるのは俺と柚木さんだけ。

 一体誰がやってくると言うのだろう。


「え、誰か来る感じ?」


 どうやら柚木さんの耳にも届いたらしい。

 俺も階段の方へ顔を向ける。

 そして少しすると、びっしょりと濡れた淡い赤髪が姿を現す。

 ……赤髪?


「ああもう~。マジ、ちょー濡れた~」


 濡れた制服と髪を絞りながら近づいてくる。


「あ、恵奈~。ちょっと濡れちゃってさ~。雨宿りついでにシャワーを……」


 柚木さんに気が付いた彼女はパーっと笑顔になって話出すが、俺の存在に気が付くと一瞬で静かになった。


「え、あれ? 何で清水がいるの?」


 そう疑問を投げかけてきたのは柚木さんの友達である、如月さんだった。

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