第7章「記憶の交差」

漆黒の闇。


無限に広がる虚無の中で、太郎はただ漂っていた。時間の感覚も、方向感覚も失われている。ただ意識だけが、かすかに残っていた。


「ここは…どこだ?」


太郎は問いかけたが、声は出ない。いや、声というものの概念すら曖昧になっていた。体もなく、ただ思考だけが浮遊している感覚。


「私は…死んだのか?」


その瞬間、太郎の意識に光が差し込んだ。まるで閉ざされた扉が開くように、ぼんやりとした映像が見え始めた。


それは海だった。太郎がよく知る、故郷の海。波の音、潮の香り、そして遠くに見える村の姿。すべてが懐かしい。


「戻れたのか…?」


太郎は喜びを感じようとしたが、すぐに違和感を覚えた。自分はこの光景を見ているが、同時に光景の中にもいる。海辺に立ち、波を眺めているもう一人の自分がいるのだ。


「あれは…私?」


太郎の意識が混乱する。彼は観察者であると同時に、観察されるものでもある。この奇妙な二重性に戸惑いながらも、太郎は必死に状況を理解しようとした。


「タクトの言っていたことか…パラレルワールド?別の時間軸?」


時間が流れるにつれ、太郎は次第に理解し始めた。彼の意識は過去に戻ったが、体は与えられていない。彼はまるで幽霊のような存在として、自分自身の過去を見ているのだ。


海辺に立つ太郎—過去の太郎—は何も気づいていない様子だ。彼はただ、いつものように朝の海を眺め、村のことを考えている。乙姫との出会いはまだ先のことだ。


「伝えなければ…」


未来から来た太郎の意識が焦った。


「過去の自分に、これから起こることを伝えなければ!」


太郎は必死に過去の自分に声をかけようとした。しかし、声は届かない。彼は手を伸ばそうとしたが、手など存在しなかった。彼はただの意識、観察者でしかないのだ。


「どうすれば…」


太郎は絶望的な気持ちになりかけたが、ふと気づいた。過去の自分が、不意に海の方を振り向いたのだ。まるで何かを感じたかのように。


「聞こえるのか?感じるのか?」


太郎は集中して、自分の思いを過去の自分に向けて放った。思念の力だけで伝えようとした。


過去の太郎は首を傾げ、少し困惑した表情を浮かべたが、すぐに肩をすくめて歩き出した。村の方角へと。


「だめだ…完全には伝わらない」


しかし、太郎は諦めなかった。彼は過去の自分に寄り添い、村での一日を共に過ごした。評議会での議論、村人との会話、夕暮れの海辺での物思い。すべてを観察しながら、絶えず思いを送り続けた。


「気づいてくれ…海の民は敵じゃない…疫病は自然現象だ…海賊に備えて…」


時々、過去の太郎が立ち止まり、首をかしげる瞬間があった。まるで誰かの囁きを聞いたかのように。しかし、それ以上の反応はなかった。


日が暮れ、太郎が寝床に就くと、未来から来た太郎の意識も休息を求めた。しかし、眠ることもできないその存在は、ただ暗闇の中で考え続けた。


「このままでは変えられない…別の方法を考えなければ」


未来の太郎は何か物理的な方法で干渉できないか模索した。彼はこれまで見えない存在として過去の世界を漂っていたが、何か小さなことでも現実世界に影響を与えられないだろうか。


翌朝、太郎は浜辺に向かった。波打ち際の砂浜で、彼は全集中力を振り絞り、砂に線を引こうとした。最初は何も起こらなかったが、何度も何度も試すうちに、砂粒がわずかに動いたような気がした。


「できるかもしれない…」


太郎は更に集中し、砂浜に一本の線を引いた。それはかすかな線に過ぎなかったが、確かに彼の意思で描かれたものだった。


「これならば…」


太郎は新たな希望を見出した。浜辺なら、わずかながらも物理的な痕跡を残せるかもしれない。彼は過去の太郎が海に来るのを待った。


その日の午後、過去の太郎が一人で浜辺を歩いていると、奇妙な文字を見つけた。砂浜に書かれた文字は風でほとんど消えかかっていたが、かろうじて読める状態だった。


「亀…救え…」


過去の太郎は首をかしげた。


「亀?」


未来の太郎は喜んだ。


「伝わった!」


しかし同時に、文字を書くだけの力を振り絞るのは極めて消耗する行為だと気づいた。この方法も限界がある。


それでも、太郎は諦めなかった。浜辺で短いメッセージを書き続け、過去の自分の夢にも働きかけた。少しずつ、過去の太郎の中に変化が見られ始めた。海への関心が深まり、乙姫との出会いの日が近づいていた。


そして、運命の日。過去の太郎は亀を見つけ、迷わず救った。乙姫との出会いも予定通りだった。しかし、ここからが重要だった。未来の太郎は砂浜にメッセージを残し続けた。


「疫病来る」 「海賊警戒」 「服を確認」


過去の太郎はこれらの謎めいたメッセージに困惑しながらも、何か重要な意味があると感じていた。そして、疫病が村に広がり始めた頃、彼は浜辺で見つけた「服を確認」という言葉を思い出した。


「服の中に何か入っている…?」


過去の太郎は自分の着物の内側を確かめた。すると、不思議なことに小さな金属製のケースが見つかった。


「これは…いつの間に?」


未来の太郎は喜びに震えた。


「見つけた!」


それはタクトから受け取ったナノマシンのケースだった。どういうわけか、過去の太郎の持ち物として時空を超えて現れたのだ。


過去の太郎はケースを開け、中の小さな装置を調べた。それは彼にとって見たこともない代物だったが、どこか使うべきものだと直感していた。そして、疫病で苦しむ村人たちを見ながら、彼はひらめいた。


「これは…薬?」


過去の太郎は恐る恐るナノマシンを最初の患者に投与した。効果は劇的だった。わずか一日で青い斑点が消え、熱も下がり始めた。その患者から次の患者へ、ナノマシンは自己複製しながら広がっていった。


村では奇跡が起きたと噂された。太郎の名声は高まり、彼の言葉に耳を傾ける者も増えた。太郎は村人たちに語った。


「この病は海の民の仕業ではない。彼らも同じ病に苦しんでいるはずだ!」


彼は乙姫に治療法を伝え、海の民の世界でも疫病は急速に収まっていった。未来の太郎は希望を抱いた。歴史が変わり始めたのだ。


…しかし。


喜びは長くは続かなかった。疫病の危機が去ったまさにその時、勘助が海賊と接触していることが発覚した。彼の両親は体力もなく、ナノマシンでも完治まで間に合わず、亡くなってしまった。その怒りを海の民に向けていたのだ。


「勘助、何をしたんだ!」太郎は怒りを込めて問いただした。


「村長様が海の怪物どもと手を組むから、俺が正義を行うしかなかったんだ!」勘助は憎しみの目で答えた。


太郎が止める間もなく、海賊の襲撃が始まった。村は炎に包まれ、海の民も攻撃を受けた。未来の太郎は絶望的な気持ちで見守るしかなかった。


「またか…また同じことが…」


「お願いだ、止まってくれ」


過去の太郎は必死に村人たちを避難させ、海の民にも警告を送った。彼の機転で犠牲者は大幅に減ったが、結局、運命の瞬間は訪れてしまった。


海賊との激しい戦いの中、乙姫は太郎を守るために飛び出し、短剣に貫かれてしまったのだ。


「乙姫!」過去の太郎の悲痛な叫びが浜辺に響いた。


未来の太郎も同じ悲しみを感じた。何度試みても、乙姫の運命は変えられないのか。彼女の犠牲は時間の中に刻まれた絶対的な事実なのか。


乙姫は太郎の腕の中で息絶え、彼に玉手箱を手渡した。過去の太郎は悲しみに暮れながらも、乙姫の最期の願いを叶えるため、箱を開けた。


白い煙が立ち上り、過去の太郎を包み込んだ。その瞬間、未来の太郎も意識的に煙に近づいた。


「もう一度…もう一度チャンスをくれ…」


彼も煙に包まれ、意識が遠のいていった。そして再び、漆黒の闇の中へと沈んでいった。

太郎が目を覚ますと、そこは見覚えのある場所だった。


「カフェ・ノスタルジア」の店内。窓の外には未来都市の風景が広がっている。


「戻ってきた…」太郎は呟いた。


「あら、気がついたのね」


振り返ると、ミラが微笑みながら立っていた。前と同じミラだが、どこか雰囲気が違っていた。


「ミラ…」


「え?私のこと知ってるの?」彼女は驚いた表情を浮かべた。


太郎は混乱した。


「前に会ったはずだが…」


「初めて会ったわ」ミラは首を傾げた。


「あなた、突然店の前で倒れてたから、助けたのよ」


太郎は痛みを感じながら頭を抱えた。何が起きているのか。これはまた別の時間軸なのか。タイムループなのか。


「乙姫を救えなかった…」彼は呟いた。


「えっ?」ミラは驚いた様子で太郎を見た。


「何を言ってるの?」


太郎は深呼吸をして、落ち着こうとした。


「もう一度…やり直さなければ」


太郎は状況を理解しようと努めた。どうやら彼はまた未来に戻ってきたが、ミラとは「初めて」会ったことになっているようだ。パラレルワールドなのか、時間の修正なのか。


「ミラさん…」太郎は慎重に言葉を選んだ。


「信じられないかもしれませんが、私はあなたと会ったことがあります。別の時間軸で」


「え?」ミラは目を丸くした。


「何を言って…」


太郎は着物の懐に手を入れ、小さな布の袋を取り出した。


「これを見てください」


ミラはその袋を見て、息を呑んだ。


「それは…」


「あなたが私にくれたお守りです」太郎は静かに言った。


「旅の無事を祈って」


ミラは震える手でそれを受け取った。袋の色合い、縫い目の特徴、そして裏側に縫い込まれた小さな模様。それはまぎれもなく彼女特有の作り方だった。


「こんなの、私しか作れないわ…」彼女は呟いた。


「私、本当にあなたに会ったことがあるの?でも覚えていない…」


「座ってもいいですか?長い話になります」太郎は申し出た。


ミラは無言で頷き、店内の奥のテーブルへと太郎を案内した。カフェの営業はまだ始まっておらず、二人だけの空間だった。


太郎はすべてを話した。一千年前の村と海の民、乙姫との悲劇的な愛、そして玉手箱で未来に来たこと。「前回」のミラとタクトとの出会い、クロノス・ゲートを使った過去への挑戦、そして失敗。


「私は乙姫を救えなかった」太郎は悔しさを込めて言った。


「何かが足りなかったんだ。もう一度、チャンスが欲しい」


ミラは複雑な表情で太郎の話を聞いていた。普通なら信じ難い話だが、お守りの存在と太郎の真剣な眼差しが嘘ではないと語っていた。


「信じたい…」ミラは静かに言った。


「でも、どうして私は前回のことを覚えていないの?」


「タクトの言っていたパラレルワールド理論かもしれません」太郎は考え込むように言った。「時間の流れが少し異なる世界線に戻ってきたのかも。だから前回とは少し違うミラさんなのでしょう」


「タクト…」ミラは呟いた。


「私の弟のこと、よく知ってるのね」


「彼の協力なしでは、過去に戻れませんでした」太郎は頷いた。


ミラは窓の外を見つめ、しばらく黙っていた。やがて、決意したように太郎を見つめた。


「今、タクトに連絡してみる」


彼女は小さなデバイスを取り出し、何かを操作した。やがて通信が繋がり、スクリーンにタクトの顔が映し出された。


「姉さん?珍しいね、こんな朝早くに」タクトの声が聞こえた。


「タクト、すぐに来て欲しいの。カフェに。信じられないことが起きてるわ」


「何?また変な客?」タクトは半分冗談めかして言った。


「時間旅行者よ」ミラは真剣に言った。


「浦島太郎という名前。あなたのプロジェクトと関係があるみたい」


タクトの表情が一変した。 「すぐ行く。誰にも話すな」


通信が切れると、ミラは太郎をじっと見つめた。


「弟の反応を見れば、あなたの話が本当なのね」


太郎は安堵の息をついた。「ありがとうございます、信じてくれて」


「まだ完全には信じてないわ」ミラは正直に言った。


「でも、これからタクトも交えて話を聞かせてほしい」


約束の時刻から30分後、タクトがカフェに駆け込んできた。彼の表情は緊張と好奇心が入り混じっていた。


「姉さん、彼が…」


タクトは太郎を見て言葉を失った。まるで幽霊でも見たかのような顔だった。


「どうしたの?」ミラが尋ねた。


「彼は…」タクトは震える声で言った。


「私が博士論文で理論的に証明した『時間跳躍者』の特徴を持っている。体から放出されるクロノン粒子の波形が…」


彼は小さな装置を取り出し、太郎の方へ向けた。すると、装置が奇妙な音を発し始めた。


「間違いない。彼は時間を移動してきた」タクトは興奮した様子で言った。


「しかも複数回。体の中に時間のエコーがある」


「時間のエコー?」ミラは首を傾げた。


「同じ魂が複数の時間軸を行き来した痕跡だ」タクトは説明した。


「理論上は可能だが、実際に確認されたのは初めてだ」


彼は太郎に向き直った。


「あなたは、本当に時間を超えてきたんですね」


太郎は頷いた。


「あなたの助けを借りて」


タクトは目を見開いた。


「私が?」


「別の時間軸の、あなたが」太郎は説明した。


ミラはテーブルに三人分のコーヒーを置き、座った。


「太郎さん、もう一度最初から話してもらえる?今度はタクトも一緒に」


太郎は再び自分の物語を語った。今度はより詳細に、特に前回のタクトから受けた科学的説明や、クロノス・ゲートについての情報を中心に。


タクトは時折メモを取りながら、真剣に聞いていた。話が終わると、彼は沈黙の後、静かに言った。


「信じられないほど正確だ。クロノス・ゲートは極秘プロジェクトで、その詳細を知っているのは研究チーム内の数人だけ。あなたが言った調整方法や座標設定の方式まで、すべて現実と一致している」


「つまり、彼の話は本当なのね」ミラは呟いた。


「ほぼ間違いない」タクトは頷いた。


「だが問題は、どうやって過去に戻るかだ。前回と同じ方法が使えるかどうか…」


「お願いします」太郎は真剣に言った。


「もう一度チャンスをください。今度こそ乙姫を救いたい」


タクトは考え込んだ。「理論的には可能だが、リスクは極めて高い。特に二度目となると、時間の修正力はより強く働く可能性がある」


「どういうこと?」ミラが尋ねた。


「時間は自己修復する性質がある」タクトは説明した。


「太郎さんが過去を変えようとすればするほど、時間の流れは元の軌道に戻ろうとする。二度目ともなれば、その抵抗はさらに強まるだろう」


「それでも挑戦します」太郎は決意を込めて言った。


タクトはミラを見た。「姉さん、どう思う?」


ミラは複雑な表情を浮かべていた。彼女は窓の外を見つめ、沈黙した後、ようやく口を開いた。


「私には、よくわからないわ」彼女は正直に言った。


「でも、太郎さんの目を見て。この人が嘘をついているとは思えない」


彼女は太郎に向き直った。


「それに、乙姫さんのために命をかける覚悟…それが本物だということは感じる」


ミラの瞳には、何か特別な感情の光が宿っていた。太郎はそれに気づき、胸が熱くなった。


「ありがとう、ミラ」


タクトは決断したように立ち上がった。


「わかった。協力しよう」


彼は太郎に向き直った。 「だが、前回よりもさらに慎重に準備する必要がある。一度失敗した時間軸に再び干渉するということは、時空のファブリックにさらなる歪みを生じさせる可能性がある」


「どんな危険があるのですか?」太郎は尋ねた。


「最悪の場合、時間の裂け目が生じ、あなた自身が時空から消滅する可能性もある」タクトは厳しい表情で言った。


「それでも挑むつもりですか?」


「はい」太郎は迷いなく答えた。


「乙姫のためなら、命をかける覚悟はできています」


ミラは言葉少なに立ち上がり、窓際へと歩いた。彼女の背中は何かを抑え込むように少し震えていた。


「準備には時間がかかる」タクトは言った。


「今回はより精密な座標設定と、時間固定装置が必要だ。1週間ほど時間をくれ」


「わかりました」太郎は頭を下げた。


「ありがとうございます」


タクトは姉を心配そうに見つめたが、何も言わずに店を出た。残されたのは太郎とミラだけだった。


「ミラさん…」太郎は静かに呼びかけた。


ミラはゆっくりと振り返った。彼女の目には涙が光っていた。


「なんでこんなに命を懸けるの?」彼女は震える声で問いかけた。


「あなたは二度も未来に来たのに、また戻ろうとする。ここにいれば安全なのに」


「乙姫を見捨てることはできません」太郎は静かに答えた。


「でも、彼女はもう…」


「もしも大切な人が未来であなたを待っているとしたら」


太郎は真剣な眼差しで言った。


「あなたは行きませんか?」


ミラは言葉を失った。彼女は太郎の近くに来て、テーブルに座った。


「ごめんなさい」彼女は小さく呟いた。


「自分のことばかり考えていた」


「いいえ」太郎は優しく言った。


「心配してくれて、ありがとうございます」


二人の間に静かな沈黙が流れた。やがてミラが口を開いた。


「太郎さん、1週間、うちに泊まってくれる?」彼女は少し恥ずかしそうに言った。


「前回のように」


「ありがとうございます」太郎は微笑んだ。


「お世話になります」


その夜、ミラのアパートで太郎は客間に通された。前回とは違う部屋だが、どこか懐かしさを感じさせる空間だった。


「お茶を持ってきたわ」ミラがトレイを持って入ってきた。


「ありがとう」太郎は微笑んだ。


ミラはテーブルにトレイを置き、太郎の向かいに座った。彼女は少し躊躇いがちに、質問を始めた。


「あなたの世界の話、もっと聞かせてもらえる?」


太郎は喜んで答えた。彼は村の様子、海との関わり、そして人々の暮らしについて語った。ミラは時折質問を挟みながら、熱心に聞いていた。


「乙姫さんは、どんな人だったの?」ミラが静かに尋ねた。


太郎の目が遠くを見るように変わった。


「美しくて、聡明で、優しい人でした」彼は懐かしむように言った。


「海と陸の壁を越えて、すべての人の幸せを願う心を持っていました」


「本当に愛していたのね」ミラの声には、かすかな羨望が混じっていた。


「はい」太郎は迷わず答えた。


「今でも」


ミラはしばらく黙っていた。彼女の目には、複雑な感情が浮かんでいた。


「太郎さん」彼女はようやく口を開いた。


「もし…もし次も上手くいかなかったら、どうするの?」


太郎は少し考えてから答えた。


「それでも、諦めません。乙姫を救うまで、何度でも挑戦します」


「でも、それは危険すぎるわ」ミラは心配そうに言った。


「時間が壊れるかもしれないって、タクトも言ってたじゃない」


「それでも、試さなければなりません」太郎の声には、揺るぎない決意があった。


ミラは何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。そして、ふと思いついたように立ち上がった。 「ちょっと待っててね」


彼女は部屋を出て、数分後に戻ってきた。手には小さな木製の箱を持っていた。


「これ、あげる」ミラは箱を差し出した。


「新しいお守り」


太郎が箱を開けると、中には前回よりも精巧に作られたお守りが入っていた。青と緑の布で作られ、細かな刺繍が施されている。


「青は海、緑は陸」ミラは説明した。


「二つの世界を繋ぐ架け橋のように」


太郎は感動して言葉を失った。 「ミラ…ありがとう」


「必ず成功させて、みんなを幸せにして」ミラは真剣な眼差しで言った。


「約束して」


「約束します」太郎は胸に手を当て、頷いた。


二人は静かに微笑み合い、そして別々の部屋へと引き上げた。太郎は新しいお守りを手に、窓から見える未来都市の夜景を眺めながら考えていた。


「今度こそ、乙姫…」


その夜、太郎が眠りについた後、ミラは一人リビングで考え込んでいた。彼女の胸には、生まれたばかりの感情が膨らみ始めていた。初めて会ったばかりなのに、まるで長い間知っているかのような親しみと、それ以上の何か。


「どうして、こんなに気になるの…」ミラは呟いた。


「まるで運命みたい」


彼女は窓に映る自分の姿を見つめながら、複雑な気持ちと向き合っていた。


翌日、タクトがアパートを訪れた。彼は太郎に新たな計画を説明した。


「前回よりも精密に座標を設定します」タクトはディスプレイに図を表示しながら言った。「そして、これが重要なポイントですが、時間固定装置を用意しました」


タクトは小さな腕時計のような装置を取り出した。


「これを身につけていれば、時間の流れの中であなたの存在をより安定させることができます。前回のような幽霊のような状態ではなく、物理的実体を保てる可能性が高い」


「本当ですか?」太郎は希望に満ちた表情になった。


「理論上は」タクトは慎重に言った。


「だが、それだけ時間への干渉も大きくなる。注意が必要だ」


三人は一日中、計画の詳細を詰めていった。太郎が過去でどのように行動すべきか、何を変えるべきか、細かく議論した。


夕食時、ミラは静かに尋ねた。


「本当に明日、行くの?」


「はい」太郎は頷いた。


「準備ができ次第」


ミラはテーブルの下で両手を強く握りしめていた。


「どうしても、行かなきゃだめ?ここにいれば安全なのに」


「ミラ…」太郎は優しく言った。


「わかってる」ミラは小さく頷いた。


「あなたは行くしかないのね」


「乙姫を救うために」太郎は静かに言った。


「そして、二つの世界の和解のために」


その夜遅く、太郎がベランダで星空を眺めていると、ミラが静かに近づいてきた。


「眠れないの?」彼女は優しく尋ねた。


「はい」太郎は微笑んだ。


「明日のことを考えていました」


ミラは太郎の隣に立ち、共に夜空を見上げた。満月が美しく輝いている。




「…月が綺麗ですね」




太郎はその言葉の意味を理解していなかったが、ミラの横顔に浮かぶ柔らかな表情に何か特別なものを感じた。


「ええ、とても」


「未来の月も、過去の月も、同じ輝きを持っているのでしょうね」ミラは静かに言った。


「はい」太郎は感慨深げに頷いた。


「変わらないものもあります」


二人は心地よい沈黙の中、夜空を見つめていた。言葉にはできない何かが、静かに二人の間で交わされていた。


次の日の夕方、三人はクロノス・テクノロジーの地下研究室に潜入した。タクトの協力で警備システムを一時的に無効化し、クロノス・ゲートの前に立った。


「座標設定完了」タクトがコントロールパネルから声をかけた。


「生体認証も確認済み」


太郎は時間固定装置を手首に装着し、ミラから受け取った新しいお守りを胸元に収めた。


「準備はいいですか?」タクトが尋ねた。


「はい」太郎は深く頷いた。


最後の瞬間、ミラが駆け寄ってきた。彼女は太郎の手をしっかりと握った。


「無事を祈ってる」彼女は真剣な眼差しで言った。


太郎も彼女の手を握り返した。


「ありがとう、ミラ」


彼はプラットフォームに立ち、覚悟を決めた。


「行きます」


タクトがカウントダウンを始めた。


「転送開始まで、五、四、三…」


太郎は未来を変える決意を固めながら、乙姫の顔を思い浮かべた。


「二、一…転送!」


まばゆい光が太郎を包み込み、彼の姿は徐々に透明になっていった。最後の瞬間、彼はミラに向かって微笑みかけた。


「今度こそ、成功させる…」


そう言い残し、太郎の姿は完全に消えた。彼の二度目の挑戦が、今始まろうとしていた。

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