第17話

「あまりにも君の様子がおかしくてついてきてしまったが、そのせいで迷惑を掛けてしまった。こんなにも傷だらけになってしまって……」

「うっ、ううん。全然平気だよ。あんなのいつものことだから」


 スラックスの裾を捲って蹴られた脛を確かめると、ストッキングが破れて内出血していた。

 出血しなかったのは幸いだが、傷痕が消えるまでは目立つに違いない。しばらくスカート類は避けるべきだろう。


「それにしたって、君はもう少し反論したって良いはずだ。いったい君の家族は何様のつもりなんだ! 姉は我が儘放題で、両親はその言いなり! 君のことなんて無視して動物以下の扱いじゃないか!」

「仕方ないよ。あの人たちにとって大切なのは双子のお姉ちゃんの爽月で、妹の私はただのおまけみたいなものだもの。爽月は頭が良くて運動もできて、顔も良いからみんなに好かれているんだ」


 昔――姉妹仲がまだ良かった頃、爽月は彩月の自慢の姉だった。

 なんでもできて可愛い双子の姉。みんなに好かれる人気者の姉。「爽月ちゃんが姉で羨ましい」と同級生に言われた時は少しだけ誇らしい気持ちになった。

 何も秀でたところを持たない彩月が唯一自慢できる、とびきり素敵な爽月お姉ちゃんだと。


「一昨年には芸能事務所からスカウトされてモデルもやっているんだよ。ほら、これを見て」


 先程爽月に投げつけられた雑誌を拾うと、響葵が見えるように抱き上げて膝の上に乗せる。

 彩月に当たった衝撃でぐちゃぐちゃになり、花瓶の水が染みてよれてしまったものの、彩月たちの年代に人気の女性向け雑誌の表紙に写っていたのは人当たりの良さそうな笑みを浮かべた爽月だった。

 雑誌を置いてその場でパンツスーツとストッキングを脱いでブラウスだけになってしまうと、先に響葵を洗ってしまおうと洗面所に向かう。

 洗面台に響葵を乗せて蛇口を捻ると、ドブ川で汚れてしまった黒毛の身体にお湯をかけたのだった。


「爽月がSNSに投稿しているショート動画を見た事務所の社長さんが直々に声を掛けてきたんだって。今では世界中にファンがいるんだよ」


 話しながらも備え付けの石鹸を手に取ると、響葵の手足や身体を洗っていく。ガラス片で切った指先の傷に染みてピリピリと痛むが、次第に慣れて何も感じなくなった。

 橋の上で彩月と遭遇するまでどれくらい外に居たのか分からないので、響葵の手足まで念入りに洗ったが彩月ほど汚れていなかった。

 普段から飼い主の男性が手入れをしているのだろう。


「それでも君には君の良さがある。双子の姉と比較して貶める必要はないはずだ。君の両親も……」

「私はね、失敗作なの。爽月のようになりたくて勉強も運動も頑張ったけれど、何一つとして敵わなくて。爽月と同じ合格率が低いトップクラスの難関大学を受験したんだけどそれも不合格だったの」


 小学校に入るまでは家族との仲はここまで酷く無かったし、爽月ともそこそこ良い姉妹関係を築けていたと思う。爽月ほどでは無いが、スポーツや芸術面でもそれなりに成果を挙げて、テストでも良い成績を維持した。

 爽月と一緒に県内有数の進学校に入学してからも、遊びの誘惑や寝る間も惜しんで勉強に充てて、秀才な爽月に追いつこうとした。

 そんな彩月と家族の関係が決定的に崩れてしまった原因は、凡才な彩月が分不相応にも爽月と同じ国内屈指の難関大学を受験したこと。

 爽月が合格したのに対して、彩月は不合格であった。


「合否が発表された日、初めて爽月との決定的な差を見せつけられて、ショックで打ちひしがれていると、お父さんとお母さんに言われたの。『所詮お前は爽月以下で、何の価値も無い』って。やっぱり私には無理だったの。爽月みたいになりたいなんて……」


 彩月たち双子の命運を分けた大学の合格発表の日から、両親は優等生の爽月だけを寵愛して、彩月のことはあからさまに無視するようになった。

 元々彩月たちが幼い頃から両親は爽月ばかり優遇しているところがあったが、それが顕然になったとも言えるかもしれない。


「君は試験に落ちただけだろう。たった一度不合格だっただけで、こんなにも天と地ほどの差を受けるものなのか?」

「うちは普通じゃないから。そもそも物心ついた時には爽月ばかり両親から可愛がられていたの。昔から目立つのは爽月で友達も多くて何人もの異性から告白されて。同じ双子でも妹の私とは大違いで……」


 もしかすると彩月が気付かなかっただけで、本当は生まれてからずっと誰からも愛されていなかったのかもしれない。家族以外も爽月の“おまけ”で相手をしていただけで、彩月のことは何とも思っていなかったのだろう。

 それに全く気付かず、彩月は爽月のように優れていたら愛してもらえると勘違いをして、同じ大学に合格できたのなら、爽月にばかり夢中になっていた両親が関心を寄せてくれると思い込んでいた。

 あんな両親の元で何年も生きていて気付けないなんて、滑稽にも程がある。

 そうやっていずれ誰からも忘れられてしまうのなら、せめて自分が存在していた記録をどこかに残しておこうと、昨年の誕生日が過ぎた時に推しであるキョウくんの布教を兼ねて始めたSNSに自分の誕生日を登録したのだった。

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