初恋リフレイン ― Melody of First Love

梵天丸

第1話 避けたままの唇  — Lips We’ve Been Avoiding

 あの日まで、二人はただの幼なじみだった。

 小学校から高校、そして大学まで同じ道を歩いてきた。——そう信じていたのは、桐谷湊のほうだけだったのかもしれない。


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 大学の教室。昼下がりの光が差し込み、窓はいつもより澄んで見えた。前の席に座る朝倉陽真の背中は、ほんの数メートル先にあるのに、湊には遠く感じられる。昨日の出来事が、その距離を隔てていた。



 昨日、歩道橋の上で。

 陽真は急に真顔になり、言った。


「……好きだ」


 たったそれだけの言葉に、湊は息を呑む。

 陽真は苦笑いをして続けた。


「もし今のが冗談だったら、楽なんだけどな」


 そう言って、冗談みたいに顔を近づけて——唇が触れた。


 けれど、唇が触れた瞬間に分かった。これは、冗談なんかじゃない。

 驚いた湊の目が閉じるより早く、陽真は気まずそうに目を逸らした。


 湊の胸には混乱だけが残った。嫌ではなかった。それなのに怖かった。

 一度のキスで、呼び方も帰り道の並び方も、もう変わってしまう未来を想像してしまったから。


 その夜からずっと、湊は言葉を探している。

 謝るべきか、伝えるべきか、黙っているべきか。どれを選んでも二人の関係は揺らぐ気がして、結局何もできなかった。


 一方の陽真も、返事のない沈黙を「拒絶」と受け止め、心の奥で焦りを抱えていた。


 結局、湊は耐えきれず、陽真に背を向けて、その場から逃げ出した。

 そして、そのことをずっと後悔している。



 翌日。講義が終わり、学生たちが一斉に席を立つ。湊はタブレットの電源を落とし、黒い画面に触れながら小さく息を吐いた。


(昨日逃げたこと、謝ることはできる。でも、それで終わってしまったら……)


 廊下に出ると、陽真が振り返った。

 待っていてくれたことに、少しほっとする。

 でも、視線が交わる寸前…湊は咄嗟に下を向き、会釈だけを返した。


「……おつかれ」


 掠れた声。いつもの明るさを隠した声に、湊は短く「うん」と返した。

 その返事はあっという間に人混みに溶け、踏まれて消えていった。


 陽真は小さく唇を噛んだ。冗談に見せかけた昨日の言葉を、彼は本気で悔やんでいた。



 夕方、空が急に暗くなり、激しい雨が降り出した。二人は偶然にも同じタイミングでラウンジに駆け込み、向かい合う形で腰を下ろした。


 傘はない。出て行くこともできない。

 テーブルを叩く雨音だけが響いていた。


 沈黙が重く続いた。


(言わないと…何か言わないと…昨日、逃げたのは僕なんだから…)


 このまま黙っていたら、もう取り返しがつかなくなるかもしれない…湊はそう思った。


「……昨日のこと」


 湊が口を開いた。喉は渇き、声は掠れていた。


 陽真が顔を上げる。射抜くような視線に、湊の心臓が大きく跳ねた。


「嫌じゃなかった。ただ、どうしていいか分からなくて」


 湊は必死に言葉を繋ぐ。


「ごめん。黙って逃げたこと、謝る」


 陽真の肩がふっと緩んだ。彼は握り締めていた拳を解き、深く息を吐いた。


「俺も……あんなふうに冗談めかしたけど、本気だ。おまえのこと、好きだ」


 再びの告白に、湊の胸が熱くなる。そっと手を伸ばすと、陽真の手の甲に触れる。驚いた顔のあと、彼は迷わずその指を絡め返した。


 雨脚は強まり、ラウンジの窓を打ちつける。

 二人の距離は、昨日よりもずっと近い。


「もう一度、してもいい?」


 陽真の問いに、湊は小さく頷いた。


 次の瞬間、唇が触れ合った。昨日とは違う。避けていた時間を越え、ようやくたどり着いた確かなキスだった。


 湊はもう逃げなかった。


 外の雨はまだ止まない。けれど、二人の関係は、ようやく始まった。


************


今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「避けたままの唇」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫


「避けたままの唇 — Lips We’ve Been Avoiding」はこちら⇒ https://youtu.be/lVTjAgBxLGs

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