はぐるまナポリタン
車の運転手は何度も弦谷先輩に礼を言っていた。どうやらブレーキが突然故障してしまって制御不能に陥り、暴走してしまっていたらしい。事故が起こってすぐに警察が駆け付けてきて、弦谷先輩に救急車は必要かと何度も聞いていた。弦谷先輩は苦笑しながらそれを断った。弦谷先輩は左腕をケガしていたが、そこからは血が出ているわけではなく、代わりに乳白色の液体がしたたり落ちていた。しばらく私たちは事情聴取やらで警察に拘束された。一通り私たちに起こった出来事を警察に伝え終えると、私たちは解放された。そして弦谷先輩が私たちにこう言ってきた。
「サイボーグなんて言われても、わけわかんないでしょ? だからさ、ちょっとあたしに身の上話をさせてよ。ご飯奢るから」
「いえいえ、助けてもらったうえご飯までご馳走になるなんて、恐れ多いですよ!」
私は両手を振って慌てて弦谷先輩の提案を断った。梓も頷いて「流石に申し訳ないです」と言った。そして私が言った。
「別に先輩に奢ってもらわなくたって、私は付いて行きますよ」
「そうですよ。私一安心したらお腹空いてきましたし!」
そう梓がお腹を擦りながら言った。すると弦谷先輩は微笑んでから、通りの向かいにあるファミレスを指さした。
「んじゃ、あのファミレスにしょっか」
私たちは弦谷先輩の後に続いてファミレスに入った。夕食を食べるにしては少し早い時間帯なせいで、店内の人は少なかった。席に着き、私がメニューを手に取って広げた。私はナポリタン、梓はオムライス、弦谷先輩はうどんセットを頼んだ。弦谷先輩がうどんセットを頼む、というのは私には少し意外だった。運動が大好きな人だし、食欲もそれ相応にあるのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。梓も気になったようで、弦谷先輩に尋ねた。
「先輩、そんなに食べないほうなんですか?」
「そうだね。あたしの身体の殆どは機械だから、そんなにエネルギーは必要ないんだよ。……ああそうだ、これについてちゃんと説明してなかったね」
そう言って弦谷先輩は左腕を見せた。先ほどまでは乳白色の液体がしたたっていたが、今はその液体は固まっていた。まさに白いかさぶたといった感じだ。乾いた餅のように前腕部にひっついている。白いかさぶたを指さしながら、弦谷先輩が言った。
「あたしの血は、赤くない。白色なんだ。サイボーグになると全身の血を人工血液に変える必要があってね、それで白色なんだ」
すると注文していた料理一式がテーブルに届いた。大学生くらいの年齢の店員さんが料理を並べる。弦谷先輩は両手を合わせていただきます、と言うと七味をうどんに振りかけて一口すすった。私もフォークに麺を巻き付けて頬張った。弦谷先輩が続ける。
「昔の話なんだけどね、大きな事故に遭ったんだ。そのときに、両足と左腕、そして左目を失った。酷い事故だったよ。そのときの記憶はかなり曖昧で殆ど覚えてないんだけど、そのときのあたしの姿は、さぞむごたらしいものだったろうね。結局、身体の大部分を機械に置き換えることにした。リハビリは大変だったよ。けどね、今思えば、事故に遭ったのも悪いことばかりじゃなかったと思ってる。今のあたしの両足と左腕はアスリートかそれ以上のパフォーマンスを発揮できるし、左目も人間に備わっているものより余程高性能。大好きな野球が楽しめるのも、この身体のお陰だしね。
この身体は年に三回メンテナンスをする必要があるんだけど、ちょうどメンテナンスに向かっている途中で二人を見かけたんだ。すると自動車が猛スピードで突っ込んできてたから、慌てて止めに入ったんだ。間一髪だったよ。もう少し距離が離れていたら、間に合っていなかったかも」
間に合っていなかったかも、という言葉を聞いて、私の背筋にぞくりと鳥肌が立った。私たちは運が良かった。もし弦谷先輩が助けに入ってくれなかったら、助けに入ってきてくれたとしてもそれが間に合わなかったら、きっと私たちはあの自動車に吹き飛ばされていた。ナポリタンを食べる手を止めて、改めて私は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました、先輩。先輩は間違いなく、命の恩人です」
「ほんとですよ。私、絶対お礼しますからね!」
梓が意気込んで言った。梓の言う通りだ、命を助けてもらったのだからお礼は必ずしないといけない。先輩が喜びそうなものといったら、やはり野球道具だろうか。グローブかバット辺りが無難そうだ。すると弦谷先輩が微笑んでから言った。
「大層なものは要らないよ。ふふ、けど楽しみにしとく」
ふと、思い出したように梓が声を上げた。
「あ! もしかして、先輩が右腕で片腕立て伏せしてたのって……」
そういえばそんなこともあった。私たちが弦谷先輩と初めて出会ったときのことだ。女の子が片腕立て伏せをしていることに驚いたし、その上読書も同時にこなしていたからなおのこと驚いた。弦谷先輩が答える。
「ああ、あれね。右腕と左腕で筋力の差が凄いから、何かと不便なんだよね。だから時たま右腕の筋トレをしてるんだ」
なるほど、そういうことだったのか。確かに左腕はアスリート越えのパフォーマンスを発揮できるのに、右腕は据え置きだからそのままだと扱いにくいのかもしれない。左腕は鍛えても何の意味もないから両腕立て伏せをする理由はない。梓がオムライスを頬張ってから言った。
「そういうことだったんですね! あともうひとつ気になってたんですけど、先輩の目の色が変わっているのも、もしかしてサイボーグだからですか?」
弦谷先輩の目の色が変わっている? 私の記憶ではそんなことはなかった。気になって私は首を傾げ、弦谷先輩の左目を見つめた。
「目の色? 私には変わってるようには見えないな……ん?」
私がためつすがめつ先輩の左目を見つめていると、ふと光の当たり方が変わったときに、先輩の瞳の色は翡翠のような色合いから、ネオンライトのような赤紫色へと変わった。すると弦谷先輩は恥ずかしそうに顔を背けた。
「や、やめてよ。これ、恥ずかしいんだから……」
「え、恥ずかしいって、何でですか?」
不思議そうに梓が尋ねる。弦谷先輩は少し頬を赤らめながら言った。
「だって、中二病の男の子みたいじゃないか……」
「えーそんなこと気にしてるんですか?」
梓がオムライスを口に運びながら言った。私も梓と同感だった。妄想の類でオッドアイだなんだとか言っていたら恥ずかしいと思うが、先輩の場合は実際にそうなっているわけだから、何も恥じることは無いと思う。しかし、弦谷先輩が恥ずかしそうな顔をしているというのは、珍しい光景で、私には少し印象的であった。
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