第8話 祝福と化身
強張った身体を強引に伸ばして、まだ揺れているような地面を踏みしめ、ようやくブラウエニー山砦の宿泊場に入った。
出す気がなかったのに、暖かい空気にホッとして、自然と息が漏れる。
みんな、まるで虫が群がるように暖炉に並んでいて、少し笑ってしまった。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん。ほれ、熱芋のホットだよ」
「ありがとうございます。これ、お酒ですか?」
「いいや、だがチーズとの相性は最高だよ。空いたら暖炉で炙りな」
調理長さんからチーズ串を受け取って、一口。濃厚な酸味と、さっぱりした甘みが美味しい。
そのまま湯気の立つ、赤い飲み物を飲んでみる。少し痺れを感じるけど、やりすぎくらい濃厚な甘みと、耳まで抜けるような一瞬の辛みが、冷えた身体を真から暖めてくれた。
「魔女よ、空いたぞぉ」
「レボルト様お鼻真っ赤ですよ。大丈夫ですか?」
「なんのこれしきぃ、い、えっきっしょい!」
「慣れてねえ奴は寝ちまいな。俺たち、馬車の中でかなり寝ちまってたからよ」
「なんならずっと寝てても良いぞぉ、もうファラガット城塞まで近いもんな」
「すいません。お言葉に甘えるかもしれません」
チーズを炙りながら、みんな慣れた様子で交代の時間を決めていく。炙ったチーズを一口。熱芋。うん、絶妙すぎる。
「寒いと美味いよな、お嬢ちゃんたち」
「黒の山羊乳チーズの方が、すき」
「黒チーズとは、またえらく通だな、北東の」
またレボルト君は、メーアヒェンちゃんを名前で呼ばなかった。彼なりの親しみを込めた呼び名なのかもしれない。
そうしているうちに眠気が深まって、いつもより早く、床につく事になった。
男女で別れて、比較的清潔で柔らかいベッドも久しい。簡単に夜這いされないように、短剣を胸の間に抱いて、ゆっくりと目を閉じる。
でも、耳の奥に馬車の激しい振動が残っていて、目を閉じていても、ぜんぜん眠くなってくれない。
「お姉ちゃん。寝ちゃった?」
「ベッドのなか、入る?」
「うん。入れて」
眠れなかったのは、メーアヒェンちゃんも同じだったらしい。ボクの返事は半ば聞かず、もぞもぞと自分の大きな杖を抱いた彼女が、布団に入ってきた。
そのまま背中をぐいぐいと、胸元に押しつけてくる。ボクはいつも通り、彼女のふかふかの金髪に顔をうずめた。
この一瞬のためと殿下のために最近生きている。癒されてたまんない、子供を産んだ事も育てた事もないけれど、こんな甘え方されると、ママになっちゃう気がする。
「お話して」
「いいよ。可愛いメーアヒェン。どんなお話が良い?」
「モルジアマの真実、続き」
「わかった。ちゃんと目を閉じてるんだよ」
そうして、金髪に隠れた彼女の耳だけに寝物語を聞かせて、いつの間にか眠りに落ちていた。
◇◇◇
「これまでの君は、心地よい夢に浸りながら人生を過ごしてきた」
「しかしここ数日の試練を乗り越えることで、本当の人生の価値に、君は踏み出したのだ」
ふと、夢から目覚めた。
夢の中で何か懐かしいスクロールを広げて、敏捷と、腕力と、魅力をそれぞれ選んだ気がする。
魔法のスクロールだったら大嫌いなのに、変な夢だった。
「んん⋯⋯」
外は、
暖炉の火が消えていて、もう深夜を過ぎているかも。誰も起こさないように身支度を整えて、部屋を出た。
「あっ⋯⋯と」
見張りを交代しようと外に向かう途中、暖炉の前でたったひとり、本を読む殿下と目が合った。
「余と話そうか⋯⋯ネモネ」
「はい。ごきげん麗しゅう、我が君」
他には誰もいないけど、いいのだろうか。彼は静かに本を閉じた。
「眠れないか」
「いいえ、思いのほかぐっすり眠らせて頂きました」
「そうか、余もよく寝れた。読むか?」
本当だろうか。違う。眠れたのは本当だろうけど、殿下の手は少し震えていた。
これは、死の恐怖。当然か。
「殿下、手が」
「はは、たった一つの命を狙われるというのは、やはり耐えがたく、許しがたいものだな」
必ず守ると、何を犠牲にしても守ると誓おうと思って、言葉をかけようと思って、できなかった。
そんな薄っぺらいその場しのぎや、言いくるめなんて、きっとそぐわない。
歯がゆい。もし叶うのならば、何もかも投げ出して、彼と逃げ出してしまいたかった。
殿下から受け取ったのは、偶然にもモルジアマの本だった。
「モルジアマ女王伝説、ですか」
「気に入らないか?」
「いえ、彼女の
「ほほぉう?」
思いのほか、うれしそうな声を急に聞けて、ドキッと心臓が跳ねた。
「ああいや、以前、読むことを許されなかったのでな、うむ」
取り繕うように咳払いしている。彼、こんな一面もあるんだ。
「ネモネには教えておこう。もし、王になったらな、読むのが夢の1つなのだ」
「ぷっ、あははは、あ。えっとぉ⋯⋯」
「誰にも言うなよ?」
「⋯⋯ええ。いつか。いつか、一緒に読みましょう。殿下」
「うむ、それはいいな。約束だ」
人間だけが同じ本を、他の誰かと一緒に読める。
それは、ボクたちの偶然が折り重なって求め続けた、限りない未来に続いていく祝福そのものなのだと、
「その時まで、この本は預けておこう」
「はい、一番大切にいたします」
耳奥に突然、くらっとくる。これは⋯⋯!?
「殿下! 伏せてぇえ!!」
「なんだと!?」
轟音、衝撃、断続する崩壊音。
戦場でも聴いた事のない大爆音が、建物全体を揺らす。壁を突き抜けて、たぶん頭上を通り過ぎて行った。
「くぅ⋯⋯!?」
この酷い魔力濃度、まともな襲撃じゃない。想像したくないけど、迷宮誕生規模の崩壊魔法かもしれない。衝撃に暖炉の日も消えかけて、薄暗くなっていた。
「おい、なんだコイツら!?」
「野盗にしちゃ、勢いが!?」
「うごぉおおおおぎょおおおおおお!」
出入り口方面からも襲撃音。いけないっ、裏口ぐらいしか、もう道がない。
「⋯⋯⋯⋯パトリック・ラプティエムだな?」
破壊の余波で吹き飛んだ扉から、通路の奥に黒尽くめで、仮面をつけた人間が、3人。
「お姉ちゃん!?」
さらに通路の奥に寝間着姿のまま、メーアヒェンちゃんの声が、連中に近すぎる。
「いけない、逃げ!?」
ボクが注意を言い切る暇もなく、生首が床に舞い転がっていた。
◇◇◇
黒い暗殺者の1人が、ネモネに呼びかけたメーアヒェンに反応し、容赦なく迫る。
巧みな暗殺術に足音もなく、特殊な歩法で、一歩目から最高速度で近づいた。
「ぐるる⋯⋯」
低い唸り声。伸ばされた雪のように白い手が、まっすぐに暗殺者の黒塗り刃と、首とを交差。
「えっ⋯⋯」
紙束が悲鳴を叫ぶような、場違いな異音。
最初は薄暗い中、誰もがメーアヒェンの小さな頭が転がったと、錯覚した。
だが、噴水のように暗殺者の首筋から血が流れ出る。飴細工のように、刃も柄もひしゃげた黒い短剣が転がると、誰もが目を見張った。
────── ただ1人、戦場帰りの女を除いてだが。
「っ⋯⋯御身を霧とし抱擁せよ!」
師の警句を楔に、幻惑魔法は報われない。
「しまった!?」
ネモネ最速の隠蔽魔法。鋭く一息の高速詠唱に、第3王子の姿が透明に掻き消えていく。無詠唱でも行えたが、可能な限り大声で叫ぶ事を、彼女は同時に判断した。
「くそっ、失敗だ、引けぇえ!」
「がぅ!」
身軽に突き出た瓦礫に飛びつき、離脱を計る暗殺者たち。メーアヒェンは、最も近い暗殺者の遺体を鷲掴む。
それだけで遺体の背骨は粉砕。メーアヒェンに投げ込まれた遺体は背中と尻が密着し、奇妙に折り畳まれた体勢で、壁にめり込んだ。
「う、うぉおお!?」
その暗殺者にとって決死の攻防であり、一世一代の軽業だった。
空中で身を縦にひねり、ギリギリ投擲を躱したその暗殺者は、壁にめり込んだ仲間を足場に、更に天井付近の亀裂へと、二段跳びに成功。
本人も思いもよらない離れ業に、彼はつい、我を忘れて下を振り返った。
「いや、そうはならないでしょう!?」
「逃すな、追え!」
見えぬ第3王子の叫びに、全員階段を駆け上がる。
暗殺者たちは、崩壊した2階の貴賓室から飛び出し、脇目も振らず逃げていた。
「スティル隊長様、レボルト君!?」
「問題ない、兜と盾が割れただけだ! それより殿下は!?」
「ここだ。いかん、あれは逃げられる!」
地を這うトカゲのように、低く、鋭く、何より闇夜に紛れて、暗殺者たちは遠くへ逃げていた。
ネモネは飛翔する矢に頬をかすめても構わず、その身を乗り出す。だが、距離がもう遠すぎる。ああも動かれては、蠍火による幻惑魔法も追いつけない。
彼女は即断した。自身が持つ最大の魔法。すべてを幻惑する手段に出るしかなかった。
師の警句をここに、幻惑魔法は報われなくとも。
「幽き魂よ、
丘一つなど比でもない、見渡す限りの視界に収まりきらない、ソラを覆う超々巨大魔法陣。
世界が、魔法1つに
ただの幻と、侮るなかれ。
遠くとも、1000万人という国家壊滅規模たる軍靴の音。盾と槍が熱狂に打ち鳴らされ、肌を直接殴り抜ける、轟音の幻影包囲網。
弓のしなり、軍馬のいななき、剣の鍔鳴り、大砲の爆音。そして、あらゆる魔法。ネモネが17年の人生で経験した、ありとあらゆる戦場重圧の粋。
何より、圧倒的な数の幻影兵士に探られているという、絶対体な脅威。
「⋯⋯⋯⋯っ!?」
その暗殺者の即断は、ここでも迅速だった。まず感覚を鈍くする秘薬を素早く飲み、耳を塞ぎ、目を閉じ、対処しようと試みた。
だが無情にも通用しない。ネモネの魔法は、そのすべてが魂に必中する術式。
一度範囲に入れば、耳を塞ごうが目を閉じようが意味はなく、幻影の武器との接触を皮切りに、現実と区別できない幻痛を魂にすべり込ませる。
「うぁっ⋯⋯!」
だが、暗殺者たちは悪運が強かった。手足こそ多少痛めたが大声も上げず、彼らは秀でた潜伏の術にて、その身を隠す事に成功していた。
「申し訳ありません、我が君。何度も怪しい場所を攻撃させていますが手応えが無く、これでは逃げられるかもしれません」
「あれを、あんなものを、お前がやっているのか」
遠く眺めているだけでも、淡く光る半透明の兵が、地平線の彼方まで完全包囲し、制圧していた。
「人の、女王」
「押し返せぇえ!」
「うぉおおおおおおおおお!」
戦士ライヴァンを中心とした僧兵、冒険者たちの反撃に、野党たちも殲滅しつつある。
総じて、この突発的な戦いは、ネモネたちの勝利ではある。
だが、このまま暗殺者たちを発見できなければ、敵全体に情報が渡るかもしれない。
一抹の不安に誰もが顔をゆがめる。だからこそ、彼女はネモネに言われた通り、この場の王に、自ら質問する事にした。
「選んで、人の王族」
「なに?」
「こたび、あの2人を逃がさないか、みんなにとって、さらなる恐怖と悲しみを封じるか、それとも、この丘の春を受け取らないか」
「どうにかできると言うのか、術師メーアヒェン」
「たやすい」
第3王子は、ぼんやりと場違いに森を見つめ続ける彼女に、一度だけ頷いた。
運命が変わる、
メーアヒェンは万力の握力を持って、ベルト付きの大杖を、その場にて斜めに突き立てた。
「きゃっ、メーアヒェンちゃん!?」
それだけで、頑丈な床と大杖に亀裂が走る。彼女はネモネの叫びに構わず、肩から腰に通している大杖の固定ベルトを再度確認して、体制を整えた。
「こたび、多くを望まない」
「こたび、多くを求めない」
叡智なく、術式なく、魔力なく、ただあるがままをここに。声、高らかに
「こたび、目覚めの春を、旺盛たる春を望まず。運命の糸車は、未だ回らず!」
刮目せよ人の王族。
「顕現せよ、
大杖はとうとう砕け散り、この年、この丘に、春は2度と訪れなかった。
◇◇◇
あとがき
パワフル。おぉ、パワフル。メーアヒェンちゃんは、実にパワフルですね。
次回『化身と濡れ衣』
終わらぬ冬と、新たな迷宮の誕生。これによる帝国北における、交易路分断。この異常事態に際し、ネモネは「暗殺者が冬を起こしたと濡れ衣着せる」事を、パトリック殿下に申し上げた。
どなた様もお楽しみに。
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