呪われた因習村への潜入_1日目
飛行機は昔から苦手だ。気圧のせいで耳が詰まるあの感じは、何回乗っても慣れない。と言っても、本当に数えるくらいしか飛行機には乗ったことはないのだが。
仕事で地方にロケに行く際は車か新幹線。そんな地方ロケ自体も予算の都合で多くはなかった。制作会社といえど、基本は関東圏内で完結する仕事。そんな仕事も、現在は休職中だ。理由はそう、坂下の件だ。あのメールが来て少し経ってから、すぐに休職を申し出た。こういう時、日本の雇用制度はありがたいなと思う。そう簡単に正規雇用の人間の首を切ることはできないからだ。当然有給はすぐに使い切ってしまい給料出ないが、それでも会社に籍があるだけマシだろう。
羽田空港から出発した飛行機から地上を眺めていると、全てがちっぽけなことに思える。だがそれはただの現実逃避に他ならないし、なにも解決しないとわかっている。
ハロウィンから二日、覚悟を決めた私はいま、島根に向かっている。坂下救出作戦の概要は、正直なにも思いつかなかった。自分にはそんな知恵はないし、向こうの状況も資料で得た情報しかわからない。当たって砕けろ……になると困るのだが、かなり場当たり的に対応するしかないのだ。味方は一人もいないが、逆にその方がありがたかった。これ以上誰かを巻き込みたくはないし、自分のことで精一杯ないま、退任の動きまで気にしてられない。だからこその、ソロ作戦だ。
ひとしきり外を眺め、風景が雲だけになり飽きたところで私は眠りについた。感覚的には三十分くらいだろうか。実際は三時間ほどで、島根の出雲空港に到着した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
空港近くでレンタカーを借り、目的地に向かう。窓を開けると風が心地よい。同じ日本でも、東京と島根とでは空気が全然違う。クリアな感じがする。これから呪われた村に行くとは思えないほどに、私の心は軽快だった。もしかしたら私に必要だったのは自然なのかもしれない。マイナスイオンによるセラピー効果、これは怪異によって蝕まれた心にも効果があるのかもしれない。そう思ったが、これから向かうのはそんな自然の真っ只中で怪異が蠢いている場所だと思い出してしまった。
国道9号線を使い南下していく。途中休憩を挟み、今度は深入山方面へと向かう。ここから詳しくは話せないが、いくつもの山々を、渓谷を越え……気がつくと舗装されたコンクリートの上ではなく、土道を走っていた。ガタガタと揺れる車は、居心地の良い物ではない。山道を無理矢理走行しているかのような状態で、四方八方が木々に、草木に囲まれている。道にまで伸びてしまっている枝葉はフロントガラスに当たり、その度にレンタカーを気づけないかとヒヤヒヤする。
三十分近く、そんな悪路をゆっくりと進んでいると、空が少し開き始めた。道は悪いままだが、幅が広くなり木々との距離も程よくなる。そして同時に、開けた視界の先にあるものが見えた。山だ……下界を見下ろすように鎮座する荘厳な山。もちろん、富士山や北岳のような日本の名だたる3000メートル級の山に比べれば全然小さい。だけどもこの辺にある山と比較すると圧倒的に大きく見える。
「久淵山……」
水沢侑子の日記にあった山の名だ。ふりがなは書いてなかったのでその後自分で調べると、
坂下の情報にもあった通り、たしかに村に入る前から存在を確認できる。きっとなにも知らずに見ればその荘厳さに感動できるだろう。だけど私には、その山から放たれる圧のような、視線のようなものがとても不気味で悍ましい物に感じた。あそこになにがあるかを、知っているから。
久淵山に気を取られていると、森を抜けていることに気がついた。土道はアスファルトに変わり、よくある田舎道が姿を現す。右手には『●●村へようこそ!』という手作り感のある看板が目に入った。文字の横には龍のキャラクターがサムズアップをしている。
そのまま車を走らせる。途中で見かけた村人は井戸端会議をしていたり、畑でトラクターを運転していたりと、別段変わったところはない様子だし、よくある見覚えのない車や余所者を怪訝な目で見つめてきたりもしない。そのまま何事もなくあっさりと、私は宿に……坂下たちが泊まっていたこの村唯一の民宿『川波』にたどり着いた。
車から降り玄関の扉を開けると、けたたましくガラガラッと音が鳴った。その音を聞きつけて、一人の女性が姿を現す。
「はいはいはい、いらっしゃいねぇ」
丸まった背中に頭のほっかむり、チェック柄のエプロン……女将さんだ。
「ええっと、予約んだよなぁ?」
「はい、香田です」
念の為、偽名で予約をしていた。この村の人間は誰一人として信用していない。用心に越したことはないのだ。
「んだんだ香田様、お待ちしてましたぁ。部屋はこちらでぇ、ご案内しますよ」
「ありがとうございます」
鈍い色の板張りの床は歩くたびにぎぃっと音を立てる。女将さんが世間話をしてくる。
「なんでぇ、こん村にぃ?」
「ああ、近くの沢で魚がたくさん釣れるって聞きまして、それで」
「ほうかほうか、そりゃええなぁ。こん村の水は特別じゃて、いーっぱい釣れるといいなぁ……沢釣りってこたぁ、下流じゃね。登山の予定なんかはあんのかえ?」
「…………いえ、山登りは苦手なので♪」
「あはは、わけぇのになぁ。ならまぁええかぁ」
山に近づく気は最初からありません、目的はあくまで釣りです……そう印象付けておくことで、警戒を解く作戦だ。実際、この村に釣り人が訪れるのはよくある話らしい。中国地方で川釣りを楽しむ人々にも知られており、その情報はネットにも書いてあった。それもあって、釣り人がこの宿に泊まることは珍しいことではないはずだ。
「では、ごゆっくりぃ」
案内されたのは、二階の一室だった。部屋に入ると、女将さんはそのまま去っていった。荷物を置いて窓を開くと、ちょうど民宿の正面を見渡せる部屋だった。村人たちの動向を観察できるという点では都合が良いかもしれない。
本当ならすぐにでも坂下を探す手がかりを探したいが、宿についてすぐに行動に移すのは得策じゃない。怪しいと思われたら一発アウトだ。あくまで普通の釣り人、旅行客を装う必要がある。だから今日はもう、なにもしない。鞄から着替えを出し、部屋を出る。
「あら、お風呂でぇ?」
「はい、今日はもう運転でヘトヘトなんでゆっくりしようと思いまして」
「それがええなぁ、魚は逃げん逃げん……風呂は一階……夕食の準備、してっからなぁ」
壁にかかった時計を見ると、時刻は18時になるところだった。風呂場は一階廊下の奥。坂下が縊魚児を見たのはどの廊下だろうか。たしか玄関のすぐ近くのはずだから、ここではないような気もする。あいつが泊まっていた部屋がわかれば見てみたいが、坂下たちが宿泊していたのは去年の4月。普通に考えれば形跡や手がかりなんて残ってないだろう。
田舎特有のタイル張りのお風呂には洗い場が四つ並んでいて、その後ろに長方形の浴槽がある。お湯の温度は少しぬるめだが、移動疲れを取るには十分だ。途中、なにかの気配を感じて振り返ると、窓際にカマドウマがいただけだった。
「どうぞ、冷めねえうちにお召し上がりくだせぇ」
女将さんがニコニコとお櫃からご飯をよそってくれる。その笑顔になにか含みがあるようには見えない。本当に純粋に、客をもてなしている。だからこそ、とても怖く見える。この笑顔の裏で村の風習に加担し肯定し、龍神のためなら子供だろうと殺すことを良しとしているのだから。
「ありがとうございます」
机の上に並ぶ田舎料理の数々。当然その中にはこの村自慢の魚もある。だが私はそれを見ても食欲が湧かなかった。この魚が住んでいた水、それがどこから来たのか、なにが混ざっているのかを知っているから。
「いやー、魚を釣る前に食べれることになるとは」
私のその言葉に女将さんは笑う。
「あっははは、いいでねぇがぁ。もし明日釣れたら、それもうちで料理してやっからなぁ」
「ほんとですか? それは楽しみだなぁ」
そう言いながら、私は料理を口に運んだ。悔しいことに味は良い、美味しい。だからこそ、気分が悪くなる。そのまま無理やり、夕飯を胃袋に突っ込んだ。
正直どうなることかと思った潜入作戦初日は、拍子抜けするくらいに平和に終わった。このまま怪しまれることなく坂下を見つけ、自分が救出しなくともその現場を押さえて警察に連絡できれば、私の勝ちだ。なんなら怪異に出会うことなくこの地を後にすることだってできるかもしれない。
そんな甘い考えは、次の日あっさり打ち砕かれることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます