民宿での異様な出来事について

 15畳ほどの広い畳の部屋の真ん中には、漆塗りのテーブルが不思議な存在感を放っていた。その上には田舎料理の数々が並んでいる。


「東京の人に満足してもらえっかはわかんねぇけど、冷めねえうちにお召し上がりくだせぇ」


 背を丸くしニコニコと話すのは、僕たちが宿泊している民宿『川波』の女将さんだ。年は60歳くらいだろうか。頭に被ったほっかむりと紫陽花色のチェック柄エプロンがまさに田舎の"おばあちゃん"、どこか懐かしく安心感を与えてくれる装いだ。


「めっちゃ腹減った〜!」

「美味そう〜!」

「いただきまーす!」


 演者たちは本心から、美味しそうに夕飯を食べ始めた。まだ売れていないこともあって全然擦れていない、良い子達だ。


「茶色いおかずって大抵美味いんだよな!」

「女将さん、これはなんですか?」

「そりゃ鰻豆腐ってもんでなぁ、一応島根の郷土料理なんだぁ。近くの川で獲れたんを持ってきてもらったんだぁ」

「鰻って川にいるんですか?」

「ま、松木君それ本気で言ってる?」


 松木君の天然ボケににツッコむ田崎君とそれを見て笑っている江本君。演者たちもすっかり打ち解けたみたいだ。


「それにしても鰻が獲れるなんて、水がいいんですね」


 僕がそう言うと、女将さんは嬉しそうに首を縦に振った。


「んだんだ、この辺りの水は特別でなぁ。北の方にでっっかい山があんだろ? 

あっこが水源になってんだぁ。普段は俺らも近寄らんから、綺麗なままなんだぁ。」


 田舎の高齢女性特有の一人称は、東京ではめったに聞かないものだ。

 女将さんの言う北の山は、この村に入った瞬間になによりも先に目についたものだった。正確には、村に入るまでの土道を走っている時点でその存在は確認できた。村の周りには大小様々な山があるが、あれはその中でも一際存在感を放っていた。存在感というか、威圧感のようなものを。よそ者を歓迎してないような、そんな雰囲気。でもきっと村の人たちからすると、人の営みを見守ってくれている、そんな存在なのかもしれない。


「森のシーン、そこで撮影するのもありかもですね」


 そんな榎本さんの提案に肯定しようとすると、女将さんが声色が変わった。


「そりゃ許されんなぁ」

「え?」

「言うたろ? 普段は俺らも近寄らんって。あそこは近寄っちゃなんねぇ……もしなんも知らんあんたらみたいなんが入っちまうと………………まぁ、とにかくあそこはダメだぁ。それ以外んとこなら山だろうが森だろうが誰も文句はねぇ」

「は、はぁ」

「んじゃ、おひつはここさ置いてあったから。ごゆっくり〜」


 笑みの消えた表情のまま、女将さんは部屋から去っていった。演者三人は食べることに夢中で気がついていなかったが、僕と榎本さんの間にはなんとも言えない空気感が漂っていた。


「た、食べよっか?」

「そ、そうですね」


 

 ダッダッダッダッ!     バンッ!!


「んだあの祠ぁ!!!」


 大きな足音を立てて襖をそのまま破壊するかのような勢いで開け、怒号を飛ばしてきたのは古民家の管理人、瀬川さんだった。


「え!? い、いや」

「だから゛ぁ、なんだあの祠ぁ!! 好きに使え言うたがあんなんがあるっちゃ聞いてねぇ!!」

「ほ、祠? あ、ああ!あれはですね」

「なん祀っとるだぁ!? 言うてみぃ! 答えによっちゃお前らぁ」

「な、なんにも祀ってないですよ! ただの小道具ですって!」

「祀ってないんになして祠なんていんだぁ!?」

「だ、だから……」


 こちらの言い分を理解してもらうまで、瀬川さんの怒号は続いた。少し前に去ったばかりの女将さんもなんだなんだと覗きに来ていた。この年齢の人はこちらがいくら説明をしても自分の理解が及ばない範囲のことだと聞く耳を持たず、自分が正しいと言う方向に持って行きたがる。だから僕と榎本さんは懇切丁寧に説明をした。

 あの祠は撮影に使う小道具で廃材から作ったこと、なんの神様も祀っていないこと、撮影が終わればすぐに廃棄されるものであること、自分たちが特定の宗教を拝めている集団ではないこと。


「そりゃすまんかったなぁ、早とちりじゃったぁ!」


 不気味なほどの笑顔。さっきまでの怒りなど嘘のようだ。


「撮影ってもんがよくわがってなくでなぁ……ほうかほうか、怪談みたいなんを作ってんだなぁ」

「怪談と言いますか……ああまぁはいそうですね」


 これ以上の細かな説明は無駄だなと榎本さんに目配せをし、僕たちは彼の中で怪談を撮影している人になった。

 その後、鰻を持ってきてくれていたのは瀬川さんだったとわかり、そのお礼も兼ねて僕は彼の接待を担当すると、夕食を終えた演者たちをそれとなく部屋に戻し、そのままお酌をし続けた。


 尿意で目を覚ましたのは、それから何時間経ってからだろうか。目を開けると入ってきたのは、窓の外の暗闇の中で鬱蒼と生い茂る木々だ。外の風景と体内時計から、なんとなく深夜だということがわかる。電気は消えている。瀬川さんと飲んでいるうちに眠ってしまったのだろう。田舎の人がお酒に強いというのは本当だなと思いながら、トイレに向かうために起き上がろうとしたその時、背後に気配を感じた。いや、正確にはずっと気配は"あった"のだ。ただ酒が残り、朦朧と目覚めた瞬間には気がつかなかっただけ。視線は感じない、あくまで背後に何かがいるという気配だ。


 トットットットッ


 小さな足音が聞こえる。廊下に続く襖も僕の背後なので確認はできないが、音の篭り方からしてこの部屋から聞こえるものではない。廊下からの音だ。


 トットットッ


 音が近づいてくる。この部屋に。


 トットットッ……トットットッ……


 いや、往復している? 部屋の前を、何度も。


「……っゃ……ゅき……ぁっ」


 声が聞こえた。なにを言っているかはわからないが、かすかな、絞り出しているような声。なぜか、この声に聞き覚えがあるような気がした。


「っ……ぎっゃ……だじゅき……くぁっ……」

 

 苦しそうな、窮屈に感じる嫌な声が耳を通じて脳へ移動し、視界すら揺らす。目眩的な不快な声。

 そうだ、僕はこの声を聞いたことがある。

 ゆっくりと少しずつ、僕は声とは別に背後に感じる気配を刺激しないように恐る恐る振り返る。体の動きは最小限に、なるべく首だけで。

 

 瀬川さんがいた。座って、廊下を……声のする方を見ている。どんな表情かはわからない。そして、やっぱりそうだ。


「がっ……いやぎっゃ……だじゅき……くぁ、るぃ……」


 この声は、瀬川さんに初めて電話した時に聞こえた声だ。子供が騒いでいると言っていたあの声。たしかに、子供の声のように聞こえる。だけど騒いでなんていない。これはまるで、まるで……


 なにかで首を絞められながら喋っているかのような、そんな声。


「うるぜぇなぁ」


 暗闇の中、シルエットから発せられた瀬川さんの声はとても空虚で、少し前まで感情を露わにしていた人間と同一人物とは思えない。怒号の方が、よっぽどいい。これまで怖い経験はたくさんしてきた。それでも、なんの感情もない声がこんなに怖いなんて、僕は知らなかった。

 寝たふりを続けよう。漏らしたっていい。いや尿意なんてどこかに消えていってしまった。いまは悟られず、寝息を立てて……


「お客さんが起きちまったろぉ……なぁ……」


 ダメだ。


「あんだもそう思うよなぁ」


 暗闇から黒い残像が僕の顔の目の前にきて、そう言った。真っ暗なはずなのにはっきりと、目があった。空虚な言葉を発していた人間とは思えないほどに、不気味で湾曲した卑しい目が、あらゆる負の感情を詰め込んだような瞳が……僕を見つめた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 まだ整理の途中ではあるが、首を絞められたような子供の声、そして禁域のように扱われる北の山と水源……そしてるるちゃむの写真に写ったしめ縄を纏った半人半魚の存在『いぎょじ』。

 私は一つの仮説を立て、いつくかの資料を鞄に詰め込んだ後にこの文章を書いている。私の仮説の是非についてはこの後わかるだろう。

 スマートウォッチに設定したリマインド通知を確認し、私は部屋を後にした。


 これから私は、"ひまりちゃん"と会う。るるちゃむの友人であり、坂下さんたちがロケに訪れていたあの村、『いぎょじの村』出身のコスプレイヤーだ。


 


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