第五章 第27話

「まあこれでも飲んで落ち着きなさいよ」

 タオルと服を貸して濡れた二人分の服を全部吊るした後で、シャイアはずんぐりしたカップに薄いお茶を淹れてブルームに手渡した。

「殿下のお茶とはえらい違うな。粉末パールがキラキラしてたんだぜ。器も真っ白で透かし彫りなんか入っちゃってさ」

「おう、調子が戻ってきたじゃねえの。憎まれ口のひとつも叩けなきゃお前じゃないもんな」

「お前も本当に趣味が悪いな。俺ってバカで非常識で口が悪くてずるっこくてクソビッチなんだろ。そんな男のどこがいいのお前は」

 自らも熱いお茶を口にしながらシャイアは悠然と答えた。

「その全部が愛おしい、と言ったら信じるんですか」

「バカも休み休み言え」

「オレはお前をだいぶ理解してんだよ。少なくともあっちよりはな。どういうキスしたら大人しくなるかも、オレは知ってる」

「だからバカも休み休み言えって」

 シャイアは辺り一面に積み上がった本を指さして言った。

「そんならバカじゃないことを、お前に分かるように休み休み説明してやろう。お前に会ってない間、オレはこれを読んでた」

「またえらく古そうな本だな。どこから借りてんの」

「王立図書館。近衛兵の肩書きが初めて役立った」

 しれっとした顔で言ってシャイアは手近な一冊をブルームに差し出した。

「読める? 少なくともタイトルくらいは?」

「何これ、ほんとにパルティア語? っていうか、ガチの古書かよ。こんなもん読めねえっての」

 だろうねえ、とシャイアは笑った。

「お前らの言う龍神様ってのが何のことだか、調べてたんだ。祝福の子は本当に必ずαの王と結婚しなくちゃいけないのかとか、例外はいないのかとか、そういうことも」

「で? どうだったんだ」

 細かいことがいくつか気になったが、ブルームは結論を先に知りたがった。

「うん、まあ結果から言うとαの王と結婚しない祝福の子はいないっぽかった」

「やっぱり……」

 落胆の色を浮かべる翠眼に、シャイアは鳶色の視線を向けた。

「変だと、思わないのかなあ?」

「何がだよ。例外がいないってのは、それだけ厳格なことだからだろ。逃れようがないんだ。それこそ、運命みたいに。Ωに生まれついた男は必ずαの王に嫁ぐって、昔から決まってんだろ」

「うん。だからさ、なぜ?」

 とシャイアは問う。

「なんで祝福の子は王家に嫁がないといけないと思う?」

「αの子が必ず生まれるんだろう? 次の代にαの王を作るために、祝福の子が必要なんじゃねえの?」

「でも殿下の親って、αでもΩでもないんでしょ。王家にはαはちょいちょい生まれるみたいじゃない。祝福の子なんかいなくたって」

 そう言われて初めてブルームは「そういえば、そうだな?」と呟いた。

「そもそも最初から引っかかってたよオレは。Ωの女は王家に嫁がなくていいんでしょ。なのにΩの男だけ、王家に輿入れするのはなぜなのかって」

「珍しいから? あと、やっぱりαの子どもが生まれるからかなあ?」

「違うね。祝福の子が王家に、というかこの国に必要だからだよ。表向きは王妃だが、実質、王は祝福の子の方だ。αの王なんか飾りに過ぎない」

 ブルームの全身に一気に鳥肌が立った。湖や雨で濡れたからばかりではあるまい。

「なんという不敬を言うんだ、お前は」

「でもこの本に書いてある。これ、正式な歴史書だからね。お前らが家庭教師に習ってるかどうかは知らんけど」

「ああそうだよ、どうしてお前そんなもんが読めるんだ。移民のくせに、そんな象形文字みたいの読めるわけないじゃないか」

 今思い出したようにブルームが言う。

「象形文字ってのはもっとこう絵みたいなうにょんとしたやつで、さすがにあんなの読めないけどこれは普通に文字なんだよ。こんな古い本だから手書きだし、勉強してないと読めないとは思うけど」

「お前がそんな勉強家だとは知らなかったね」

 本読んでるとこなんか見たことないぞ、とブルームは唇を尖らせた。

「悔しいけどオレの国よりこの国の方が歴史が古い」

 正確に言うと文字の成立が早く残っている古文書が多いのだとシャイアは説明した。

「パルティオって昔からすごい裕福な国なんだよね。紀元前から、貿易で利益上げまくってるんだ。土地は広くないから大国とは言われないけど、経済的にはこの辺一帯で一番成功していたし今もかなり安定している。この国はずっと真珠貿易をやっているから、古い文献にもどこの国に真珠を何グラム輸出とか、輸入したのが何だったとか細かく記録が残っているわけ。だからオレが自国の歴史を学ぼうとすれば、この国の歴史書だの記録を読まなきゃならんのよ。しかもここの文字から派生した文字をうちでも使っていたから、これを読む労力はパルティオ人とそう変わらない」

 少なくとも勉強からっきしのお前よりはオレの方が読めるわけね、とシャイアは嘯いた。

「そんじゃお前の出身地のこと、なんて書いてあるんだ?」

 ふと興味が湧いて訊いたブルームに褐色の肌の移民は答えた。

「黒い民と交易して、真珠を売って羊毛と毛織物を買った。品物の質はいいが黒い民はケチ、って書いてあったよ」

「ははは、お前らケチなんだ」

「経済観念がしっかりしていると言って欲しいね。まあそれで、オレが歴史書を調べてみたら、面白いことが書いてあった」

「なんて?」

「龍神様は赤毛の美少年だってさ」

「は?」

 ぽかんと口を開けたブルームにシャイアが唇の端を吊り上げて言った。

「だからね、祝福の子が龍神様の生まれ変わりなんだよ、本当は。王子様はただαなだけの人。龍神様の化身なんかじゃないってことだ」

「……嘘、だろ?」

「こんな嘘つく意味がどこにある。ついでに言うと、そんな嘘の歴史書何冊も作る意図は? 王立図書館に偽書ばかり並べておく酔狂な国なの、ここは?」

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