第三章 第14話

 時間だけは、いつになくたっぷりとあった。毎日真面目に処方薬を飲んでいるおかげか、ヒートの影響はないどころか普段よりも性欲がないと思えるくらいだった。

 ブルームは降り続く雨音を聞きながら、ベッドの上でだらしなく本のページをめくっていた。

 妹が押しつけるように貸してきた本は、女の子が読めば面白いのだろうが、ブルームからするとあくびが出るほど動きの少ない物語だった。

 若く美しい騎士が、君主の妻に精神的な愛を献上するとかどうとかいう話で、まあそんなの勝手にすりゃいいんじゃねえかな、とブルームは思った。

 そんなことよりこいつ騎士のくせに全然鍛錬しているそぶりもないが、こんなんで戦いは大丈夫なんだろうか。花が歌がと言ってないでもっと、素振りとか陣形とか、しっかり訓練した方がいいんじゃないのか。

 こんな男に愛を歌われて、喜ぶ女もたいがいだよ。

 と物語に苦情を覚えながら、しかしこの騎士が跪いて女に「お慕い申し上げます」と言うシーンには少し心が揺らされた。

(お慕い申し上げる、のか)

 慕うという言葉の正確な意味を答えることはできなかったが、この心の動きは知っている、とブルームは思った。

「俺もお慕いしているのかな」

 ふと少し萎びて花数を減らした花瓶の薔薇に目を向ける。あれから毎日メイドが花の水を替えて、崩れた花を摘んでいくのだ。

 薔薇の散り際を美しいと言う人もいるが、ブルームはそうは思わない。

 ぼろぼろに崩れて色味も抜けて、儚さなんて全然感じられない。だがその乱れた花姿が、ブルームは嫌いではなかった。

 見苦しいほどに生に執着する、正しい生き物の気配を感じる。

 王宮の温室で育ったにしちゃ、なかなかに根性のある花じゃあないか。

 そしてそれはこの花の贈り主よりいただいた自分より、もっと神経の図太い誰かさんの姿に似ている。

(あいつ、ほんとにαなんかな)

 自分がΩであったくらいなのだから(つい昨日、正式な検査結果が届いた。その報は当然殿下のところへも行っているはずだ)、もう誰がαだとしたって、おかしくはないのかもしれないが。

 パルティオで信じられているαの王というのは、誰よりも美しく身体もしなやかで大きく、強くて立派なものなのだ。

 だからあんなこ汚い移民の子がαだなんて、予想外どころの話ではなかった。

 とはいえ、本当に彼がこ汚いナリをしていたのは最初に出会ったときだけで、ここ最近のシャイアは確かに背も高く力も強く、逞しかった。

 知らない人の目からはあれも、移民には見えるだろうがだいぶ立派な剣士に思えるのかもしれない。

 普段の言動があんまり妙ちきりんで、それに慣らされていて気づかなかっただけで、見た目だけならそう悪くもない。というより、よく思い出してみると彼はエキゾチックな美形なのではないか、とブルームは気がついた。

 その褐色の肌にばかり気を取られるが、すっと尖った顎にすっきりと通った鼻筋、ややツリ目気味だが時折すっと遠いものを見るように細められる涼しげな鳶色の双眸は、ブルームの目から見ても魅力的だとは思った。少々厚い唇とその奥の舌は大変に器用で、魚を食べるときや余計なことを喋り散らかす以外にも、なかなかにいい仕事をすることを、ブルームはよく知っていた。

(よく考えたらあいつ、イケメンの部類じゃねえのか)

 その割に女にモテるという話も聞いたことがないが、やはりそれはちょっとポンチなあの性格のせいなのだろうか。

 もしかしたらイケメンなのかもしれない自称αのあの友人を、お慕いしているとは全く思わなかった。お慕いには必須のはずの、敬愛だとか、恐れ多いような気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。

 だがまだ実際にお顔を拝見したこともない殿下に対しては、お慕い申し上げるとしか言いようのない感情を、確かにブルームは認識できた。

「よし、明日お会いしたらそれだけは言おう。お慕いしておりますって言って失礼には当たらんだろうし、さすがに」

 まだ読みかけのなんとかの騎士の物語だが、借りてよかったとブルームは思った。

 そしてそれだけ決めてしまうと、そそくさと剣を掴んで広間と呼ぶには小さめの部屋へと向かう。

 明日の午後には殿下にお茶会に誘われている。

 もう余計なことを考えずに済むように、今日は好きなだけ素振りでもしていたかった。

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