第13話 沈黙のルール
老婆の表情のない顔が、ゆっくりと私たちを見渡していく。
その視線は、まるで死神の鎌の切っ先が、一つ一つの魂の輪郭をなぞっているかのようだった。
誰もが息を殺し、目を伏せ、ただその選択が終わるのを待つことしかできない。
この盤上では、私たちは駒であると同時に、生贄だった。
やがて、老婆の視線が、一点に留まった。
それは、小さな子供を連れた若い母親だった。
彼女は先ほどから、現実を受け入れられずに泣き崩れ、「家に帰りたい」と何度も繰り返していた。
その絶望的な嗚咽が、鬼の注意を引いてしまったのだ。
母親は、自分が選ばれたことに気づくと、ヒッと息を呑み、我が子を強く抱きしめた。
「やめて…この子だけは…!」
懇願する母親に、老婆は一切の情けをかけなかった。
その皺だらけの手が、再びゆっくりと持ち上がる。
しかし、今度は何も起こらない。
ただ、時間が引き伸ばされたかのような、耐え難い静寂が流れるだけだった。
母親の身体が、カタカタと小刻みに震え始める。
そして、その足元から、何かが崩れていくのが見えた。
砂だ。
彼女の身体が、足先からさらさらと細かい砂へと変わり、崩れ落ちていく。
悲鳴を上げる間もなく、彼女は人間としての形を失い、数秒後には、そこには小さな砂山と、呆然と立ち尽くす幼い子供だけが残されていた。
「ママが悲しんでたから、お休みになっちゃったね。これで、もう悲しくないね」
伊藤美咲が、残酷なほどに優しい声で言った。
その言葉は、雷のように私たちの脳天を撃ち抜いた。
そういうことか。
この鬼ごっこの、もうひとつのルール。
絶望し、心を乱した者から、鬼に選ばれるのだ。
生き残りたければ、悲しむことも、嘆くことも許されない。
ただ、心を殺して、この茶番を演じ続けなければならない。
その真実に気づいた乗客たちの顔から、一斉に表情が消えた。
誰もが、能面のような無表情を顔に貼り付け、必死に感情を押し殺している。
泣き叫ぶことも、逃げ惑うことも許されない、静かな地獄。
残された幼子が、母親だった砂山に駆け寄り、「ママ、ママ」と泣きじゃくり始めた。
その純粋な悲しみが、次の鬼の標的になるであろうことを、そこにいる誰もが理解していた。
しかし、誰も、その子を慰めることすらできなかった。
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