第12話 『鬼さん』の選択
幻だった安息所が完全に消え去り、私たちは、剥き出しの死の現実に突き落とされた。
目の前には、自分たちの無残な亡骸が転がる墜落機。
そして、その惨状を見下ろすように、白い老婆が静かに佇んでいる。
それは、死そのものの顕現だった。
「いやだ…死にたくない! 俺はまだ死んでない!」
一人の若い男が、自らの亡骸から目をそらし、現実を拒絶するように叫んだ。
彼は老婆に背を向け、がむしゃらに霧の中へと駆け出す。
しかし、数歩も進まないうちに、その足はぴたりと止まった。
まるで、見えない壁に阻まれたかのように。
何度突き当たっても、どれだけ足掻いても、彼は一歩も先へ進めない。
この賽の河原は、私たちの魂を囚える、見えない檻なのだ。
その絶望的な光景を前に、老婆がゆっくりと動き出した。
ターゲットは、檻の中でもがく男。
老婆がすっと腕を上げると、男の身体がひとりでに宙へと浮き上がる。
「あ…が…」
首を見えない何かに締め上げられ、男は苦悶の声を漏らす。
その身体が、まるで粘土のように、ぐにゃり、ぐにゃりと歪み始めた。
骨が砕け、肉が捻じ切れ、人間としての形が失われていく。
それは、数分にも、数秒にも感じられる、永遠のような凌辱だった。
やがて、男だったものは、ただの歪な石の塊となり、ゴトリと地面に落ちた。
「あーあ、ルールを破って逃げようとするからだよ」
私の隣で、伊藤美咲が残念そうに呟いた。
彼女の瞳には、哀れみの色など一切ない。
ただ、ゲームのルールを解説するような、淡々とした響きだけがあった。
「鬼さんはね、ちゃんと順番に捕まえに来てくれるの。だから、大人しく待ってなくちゃいけないんだよ」
その言葉に、乗客たちの間に戦慄が走る。
順番に?
では、次は誰だ?
誰もが、老婆の次の動きに釘付けになる。
老婆は、まるで品定めでもするかのように、ゆっくりと私たちを見渡した。
その表情のない顔が、一人、また一人と、怯える乗客たちをなぞっていく。
誰もが、自分だけは選ばれるなと、心の中で神に祈っていた。
いや、この場所に神などいない。
いるのは、無慈悲な鬼と、その遊びを支配する、無邪気な悪魔だけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます