第19話「救った命と、さらに大きな犠牲」

 東の遺跡は、朝靄に包まれていた。


 俺は既視感に襲われながら、仲間たちと遺跡の奥へ進んだ。


〈また、この瞬間が来た〉


 死に戻った俺だけが知っている。これから起こることを。50人の子供たちの運命を。


 前回、俺は聖剣を選んだ。そしてノアを含む50人の子供が処刑され、エルナは絶望に打ちひしがれた。民衆からは「子殺し」と罵倒され、聖剣は俺を拒絶した。


〈今度は違う。今度こそ、子供たちを救う〉


 最奥の間で聖剣エクスカリオンを発見し、リョウが手を伸ばした瞬間――


「愚かな人間どもよ」


 威圧的な声と共に、巨大な影が現れた。


「魔王四天王、『力の信奉者』ヴァイス」


 男は冷酷に名乗った。指を鳴らすと、50人の子供たちが人質として現れる。


「ノア!」


 エルナが叫んだ。そこには、昨日彼女が治療したばかりのノアもいた。


「お姉ちゃん……助けて……」


 ノアの震え声が聞こえる。


「さあ、選べ。聖剣か、この無力な命どもか」


 ヴァイスが腕を組んだ。


「数の問題だ。50人と将来の数万人、どちらが重い?」


 カインが苦悩していた。


「理論的には……聖剣の方が……」


 リョウも歯を食いしばっていた。


「でも、目の前の子供たちを見殺しに……」


 アリシアも迷っていた。


「王女として……でも……」


 エルナが俺の袖を掴んだ。


「アキト、お願い……ノアを……みんなを助けて」


 彼女の目には涙が浮かんでいた。


「もう誰も失いたくない。聖剣なんていらない」


 俺は前回のエルナの絶望を思い出した。あの時の彼女の絶叫。「神様なんていない」と叫んだ声。


〈エルナをあんな目に遭わせるわけにはいかない〉


「十秒だ。それまでに決めろ」


 ヴァイスがカウントダウンを始めた。


「十、九、八……」


 俺は迷わなかった。


「七、六、五……」


 前回の選択は間違いだった。目の前の命を見捨てて、何が英雄だ。


「四、三、二……」


 俺は決断した。


「子供たちを解放しろ。聖剣は諦める」


 エルナの顔に安堵の表情が浮かんだ。


「アキト……」


 ヴァイスは少し意外そうな顔をした。


「ほう、感情を選ぶか。まさにゼルガと同じだな」


 彼が指を鳴らすと、子供たちの拘束が解かれた。


「お姉ちゃん!」


 ノアがエルナに駆け寄る。


「怖かった……でも、もう大丈夫だね」


「ええ、絶対に離さないから」


 エルナがノアを抱きしめた。その表情は、前回とは正反対の安堵に満ちていた。


 50人の子供たちが次々と解放され、村人たちが駆け寄ってくる。


「息子よ!無事だったか!」


「ママ!パパ!」


 感動の再会が繰り広げられる中、ヴァイスは聖剣に向かった。


「これで魔王様の勝利は確定した」


 彼が聖剣を手に取ると、剣が黒い光に包まれ始めた。純白だった刀身が、徐々に漆黒に染まっていく。


「聖剣は魔剣となった。我らの力は、これで倍増する」


「まさか……」


 カインが愕然とした。


「聖剣を魔王軍が手に入れるなんて」


「これが感情の代償だ」


 ヴァイスは嘲笑した。


「50人の命を救って、将来の数万人を犠牲にする。実に愚かな選択だ」


 彼は魔剣を掲げた。


「一週間後、この剣の力を見せてやろう。お前たちが救った50人など、取るに足らない数だったと思い知るがいい」


 ヴァイスの姿が消えた。


 しかし、今は村人たちの感謝の声に包まれていた。


「ありがとうございます!子供たちを救ってくださって!」


「あなた方は真の英雄です!」


 ノアが俺たちを見上げた。


「お兄ちゃんたち、ありがとう!僕、忘れないよ」


 エルナは幸せそうに微笑んでいた。


「良かった……本当に良かった……」


 俺も安堵していた。少なくとも、エルナの心は救えた。子供たちも無事だ。これが正しい選択だったはずだ。


 しかし、カインとリョウの表情は複雑だった。


「聖剣を奪われた」


 カインが呟いた。


「これで魔王軍は……」


「でも、子供たちは救えた」


 エルナが反論した。


「それが一番大切よ」


「そうだな」


 リョウも子供たちの笑顔を見て頷いた。


「目の前の命を見捨てるなんて、俺にはできない」


 アリシアも同意した。


「王女として、民を守ることが第一です」


 村人たちは俺たちを英雄として歓迎してくれた。祝宴が開かれ、子供たちは元気に走り回っている。


「お姉ちゃん、僕の病気治してくれてありがとう」


 ノアがエルナの手を握った。


「お兄ちゃんたちも、僕を助けてくれてありがとう」


 その夜、俺たちは村の宿で休んでいた。前回とは正反対の、平和な夜だった。


「今回は良い選択だったな」


 リョウが言った。


「ああ、後悔はない」


 俺も本当にそう思っていた。


 しかし――


 一週間後。


 王国軍の前線基地から、緊急の報告が届いた。


「魔王軍が総攻撃を開始しました!」


 伝令が血相を変えて駆け込んできた。


「魔剣の力で、我が軍は壊滅的な被害を……」


「被害は?」


 アリシアが青ざめながら尋ねた。


「第三師団が全滅……第五師団も……」


 伝令の声が震えていた。


「総数1000人以上が戦死……いえ、虐殺されました」


 俺たちは言葉を失った。


 1000人。俺たちが救った50人の20倍の犠牲者。


「魔剣の力は想像以上です。一振りで部隊が消滅するような……」


 エルナの顔が青ざめた。


「1000人……」


「その中には、家族を残して戦った兵士たちもいました」


 伝令が続けた。


「幼い子供を残した父親、新婚の夫、年老いた両親を支える一人息子……」


 俺の心に重いものが圧し掛かった。


 街の広場では、戦死者の家族が泣いていた。


「お父さんが……お父さんが死んだなんて……」


 5歳くらいの女の子が泣き崩れている。


「あなた、どうして逝ってしまったの……」


 生まれたばかりの赤ん坊を抱いた若い女性が、夫の遺品を握りしめて泣いている。


「息子よ……まだ20歳だったのに……」


 老夫婦が肩を震わせて泣いていた。


 リョウが拳を握りしめた。


「子供を救って、代わりに兵士たちが……これが正しかったのか?」


 エルナも震えていた。


「私たちのせいで……私が子供を助けてって言ったから……」


「違う」


 俺は首を振った。


「俺が決めたことだ」


 でも、本当にこれで良かったのか?50人を救って、1000人が死んだ。しかも、魔剣となった聖剣がある限り、犠牲者は増え続ける。


 その時、空中にヴァイスの幻影が現れた。


「見たか?これが感情の代償だ」


 彼の声は嘲笑に満ちていた。


「お前たちが救った50人のために、1000人が死んだ。さらに言えば、これは始まりに過ぎない」


 魔剣を掲げるヴァイスの姿が映し出される。


「この剣がある限り、犠牲者は増え続ける。一万、十万、百万……」


「やめろ!」


 俺が叫んだ。


「ゼルガも同じことを言っていたな。『妹だけは救いたい』と」


 ヴァイスは続けた。


「結果、多くの犠牲者を出し、妹も救えず、自身も滅んだ。感情とは、そういうものだ」


 カインの顔が青ざめた。


「感情に流された結果がこれだ。力なき正義など、ただの偽善に過ぎん」


 ヴァイスの幻影が消えた。


 宿の部屋で、俺たちは重い沈黙に包まれていた。窓の外から、戦死者の家族の泣き声が聞こえてくる。


「息子を返してくれ……」


「なんで俺たちの部隊だけが……」


 エルナは膝を抱えて震えていた。


「私が……私がノアを助けてって言ったから……」


「違う」


 俺は言った。


「俺が決めたことだ。俺の責任だ」


 でも、心の奥で疑問が湧いていた。


 本当にこれで良かったのか?目の前の50人を救って、1000人が死んだ。そして、これからもっと多くの犠牲者が出るだろう。


 カインが呟いた。


「ヴァイスの言う通りかもしれない。感情は……判断を誤らせる」


「でも、目の前の子供たちを見殺しになんて……」


 エルナの声は震えていた。


 アリシアも苦悩していた。


「王女として……でも……」


 リョウが立ち上がった。


「こうなった以上、魔剣を奪い返すしかない」


「でも、どうやって?」


「分からない。でも、このままじゃ……」


 彼の声も自信がなかった。


 俺は窓の外を見つめた。


 死に戻りの力があっても、完璧な選択なんてないのかもしれない。聖剣を選べば子供が死に、子供を選べば兵士が死ぬ。


 しかし、今度はもっと多くの犠牲者が出た。1000人の命。その家族の悲しみ。


〈両方救う方法が、きっとあるはずだ〉


 俺は心の中で決意を新たにした。


 次こそ、全員を救う方法を見つけてみせる。


 50人の子供も、1000人の兵士も、すべての命を救う道を――

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