Chapter 6:The Mousse of Memory

SIDE : 伊織


窓の外は見渡す限りモコモコとした白い雲が広がり、太陽の光を反射してとても綺麗だ。

あの上で寝っ転がれたら気持ちいいだろうな…と、つい現実逃避してしまう。


「これからイタリアだっていうのに、なんでそんなに元気ないのよ」


1回目の食事が終わって機内はのんびりしていた。

そんな中、ボーッと頬杖をついて窓の外を眺めていた俺に声をかけてきたのは隣に座っているマネージャーの戸田一花とだいちかだ。


戸田とは俺がスカウトされ事務所に入った時からの付き合いだから、もうそれなりに長い。

170センチを超える長身で、スラットした手足にキリッとした目、肩のあたりで切り揃えられたボブがとても似合っていて、モデルをしていてもおかしくない。


以前、その事を聞いたら「少しだけね。でも、いまはこっちの仕事の方が楽しいから」って言ってたっけ。


姉御肌で、人の機微に聡い。


空港では他の関係者もいたため顔に出さないよう気を付けていたのだが、今は戸田と2人だけだ。気が緩んで顔に出たのかもしれない。多分、俺の微妙な変化に気付いたのだろう。


そう思ったら大きな溜息が出た。


「ハチに何も言わずに出てきちゃったんだよね…」


隠してもバレると思い、あっさり白状する。


途端に隣から笑い声が聞こえ、窓の外を見ていた視線を戸田の方へ向け睨んだ。


「そんなかわいい事で悩んでたんだ。蜂須賀さんと喧嘩でもしたの?」


「………」


まだ笑っている戸田を無視して、再度窓の外へ視線を向ける。


別に喧嘩したわけではないけど…。


なんとなく話す気にはなれず無視をしていると、視界の端でタッチパネルを操作しているのが見えた。特に追求するほどでもない話題だったのだろう。



俺自身、どうしてハチを避けるように出てきたのか…。


それは多分、先日のあの出来事がきっかけなんだろうな。


俺の大きな仕事が決まってハチもすごく喜んでくれた。お酒を飲みながら何度も「おめでとう」と言ってくれて、お互いのこれからやそれ以外のこと、色んな事を話しているうちに楽しくなって飲み過ぎてしまった。


普段あまり飲まないからか、ハチがキッチンのテーブルに突っ伏して寝ちゃって。なんとか寝室まで移動させてベッドに寝かせたんだけど…。


その時、ふにゃっとした笑顔で俺の首に腕を回して抱きついてきた。

耳元で「いーくん」って名前を呼ばれただけなのに、直前に見た笑顔と舌足らずな声にドキッとして慌てて寝室を出た。


ハチに対して「ドキッ」とするなんて。友達に対してそんな風に反応してしまった後ろめたさに顔を合わせられなかった。


幸い、この仕事のおかげで1週間はハチと距離が置ける。それだけあれば冷静になって元のように出来るはず。


あの出来事以外、同居生活に何にも問題はなかった。家族以外の人と一緒に生活するなんて考えられないって思っていたけど、ハチとの生活は特にぶつかることもなく順調だった。


でも、靴下を脱ぎっぱなしにして小言を言われたりはしたっけ。そんなやり取りも楽しかったな。



大丈夫、元通りになる…。



相変わらず窓の外は白い雲がどこまでも広がっている。

いつまで経っても変わらない景色にシェードを下げ目を閉じた。





「あ〜。長かったですね…」


13時間のフライトを経て無事イタリアに到着。イミグレーションを通過し荷物もピックアップしたところ。


「ずっと狭い座席で座ってたから身体バッキバキですよ…。ホテル着いたらとりあえずランニングしたい」


「ご飯の時以外、ぐっすり寝ていた人のセリフとは思えないわ…」


そんなたわいも無い話しをしながら人の流れに乗り到着ロビーへ向かった。


「ブランドの現地スタッフが迎えに来てるはずだけど…」


他の到着便も何本か重なっているようで、到着ロビーは大勢の人でごった返している。この中から迎えの人を探すのは大変だ。


戸田が右端から順番に視線を動かしていくのを見て、俺は反対から順に見ていく。


「あっ、あの人の持ってるボード、俺達の名前が書いて…」


えっ!?ちょっと待って…。


「一花さん、あの人って…」


驚きのあまり隣を見ると、戸田はやっぱり…と言った感じの表情だ。


どうやら日本のスタッフから聞かされていたらしい。


向こうも気付いたようでこちらに向かって手を振って満面の笑みを浮かべている。



「Buonasera, benvenuta a Roma!(こんばんは、ようこそローマへ)」


握手をするため右手を出そうとしたら、いきなりハグをされた。


挨拶の時のこの感じ、なんか久しぶりだな。そんな事を思いながら隣で戸田がハグされているのを見て笑みがこぼれた。


「資料や画面越しで見るよりもずっと良い男だね」


「初めまして、IORIです。1週間よろしくお願いします」


お互い握手をすると早速市内へ移動するため歩き出した。


空港の自動ドアを抜けると湿った冷気が頬を刺す。東京とは違う空気にイタリアへ来たんだということを実感して一気に気分が高揚する。


自然とマフラーを口元のあたりまで引っ張り上げ、両手をさすっていた。


明日から頑張ろう。そう自分の中で気合を入れ、スーツケースを片手に歩き出す。




迎えに来てくれたのはブランドのデザイナーでありオーナーでもあるレオナルド、そして車を運転してくれているのはフォトグラファーのディエゴだった。


どうしてこの2人が迎えに来たのかと言うと、顔合わせとスケジュール確認を済ませちゃいたかったかららしい。


到着が夕方で次の日は朝から撮影のため、今日はホテルでゆっくりしてもらいたいというレオナルドの気遣いが嬉しかった。


最初は遠くに見えていた街の明かりが打ち合わせが終わる頃にはもう市内に入っていて、建物の影とオレンジの街灯のコントラストが美しい。


日本を発つ前に感じていたモヤモヤはすっかり消えていた。





「IORI、視線ちょっと下げて……そう!」


ディエゴの指示とシャッターのカシャカシャという音が響く。


午前中から始まった撮影は1時間のランチ休憩を挟んで再開し、今はバールの店内で撮影中だ。


時折、レオナルドとディエゴの意見がぶつかり中断することもあったが順調に進んでいる。



昨日は結局、みんなでご飯を食べた後、ホテルに戻ってすぐに寝てしまった。

どうやら思っていた以上に移動で体力を使ったみたい。


朝早くに起きれるか心配だったが、夜早めに解散してすぐに寝たためか、起きる予定の1時間前には目が覚めた。おかげでランニングが出来て体調はすこぶる良い。


日の出直前のローマ市内は朝やけの淡い光が幻想的で、冷たい空気の中に鳥の囀りや教会の鐘の音が聞こえてくる。なんだかいつまでも走っていられそうな程楽しかった。


朝から気分よく過ごせたからなのか、いつもより撮影に没頭できている感じがする。



「IORI、Perfetto! (完璧!)今日はこれで終わり」


レオナルドから声がかかり、ふと周りを見るともう夕暮れのオレンジが空一面に広がっていた。




撮影3日目にも入るとスタッフとも仲良くなりスムーズに進んでいった。


「IORI、ちょっとディエゴと確認作業するから休憩してて」


片手を上げ「分かった」と意思表示すると、プロデューサーのルチアと共に向かいにあるバールに入った。


バールのガラス越しにレオナルドとディエゴが顔を寄せ合って画面を覗き込んでいる。


「あの2人って仲良いですよね。というか、距離感がすごく近い感じがする。いつから一緒に仕事してるんですか?」


隣に座ったルチアに、ふと疑問に思ったことを聞いてみることにした。


「あぁ、あの2人は仕事のパートナーでもあるけど、プライベートでもパートナーだからね」


「え?」


意外な答えに、思わず隣のルチアの顔を凝視してしまった。


なんでも、ブランドが売れる前からビジュアルは全てディエゴが撮っていて、ディエゴ以外ではレオナルドのイメージが表現できないらしい。


公私ともに最強のパートナーなんだそうだ。


「ただ、たまに意見がぶつかると徹底的に言い合うから、ほぼ1日撮影が止まることもよくあるけどね…」


ルチアがそう言って大きな溜息をついた時、店の外から呼ぶ声が聞こえ、慌ててコーヒを飲み干し出て行った。


ガラスの向こうではまだ真剣な表情で何か話し合っている。


もう少しゆっくり休憩できそうだ。



「ハチ、元気にしてるかな…」


さっき2人の話しを聞いたからか、ふと思い浮かんだのは同居しているハチの笑顔だった。


イタリアに来る前のことを思い出して、さっきのルチアのように大きな溜息を吐いた。




撮影4日目はレオナルドとディエゴの意見がぶつかることもなく順調だった。


「とりあえず午前の撮影はここまでにして、ランチに行こうか」


レオナルドに連れられ、ディエゴと3人で入った店は年配の女性が娘と2人で切り盛りしている小さなトラットリアだった。


昼時の店内はとても賑やかで、年配の女性が料理を手にテーブルとテーブルの間を忙しそうに行き来している。


入り口に近いテーブルに着くと、レオナルドが年配の女性の方へ行き、注文をするついでに世間話でもしているのか時折笑い声が聞こえてきた。


「ここはレオナルドが小さい頃から通っている店なんだ。IORIはレオナルドに相当気に入られたってことだね」


「え?」


レオナルドの方をぼーっと見ていたら、向かいから急に話しかけられそちらを見ると、頬杖をつきながらレオナルドを優しそうに見つめるディエゴの顔が目に入った。



両親が仕事で忙しかったレオナルドは小さい頃から寝る時以外のほとんどをここで過ごしていて、もはや実家のような存在らしい。


ちなみに、ここの隣がレオナルドの実家だそうだ。


そんなことをディエゴから教えてもらっていたらレオナルドが戻ってきた。


「ディエゴの好物も頼んでおいたよ」


「ありがとう」


視線を合わせ笑顔で会話をしている2人を見ていたらルチアから聞いたことを思い出した。


「2人はすごく信頼しあっていて…なんか、いいな…」


言うつもりは無かったが、ふと口から漏れた言葉に目の前の2人が目を合わせビックリした顔をした。


「あっ、ごめんなさい」


「もしかして、ルチアから何か聞いたのかな?」


それは咎めるような感じではなく、むしろどこか嬉しそうな感じだ。


「2人は公私共にパートナーだって聞いて。ここ数日見ていても、それは本当なんだろうなって分かります」


「IORIから見ても分かっちゃうってさ」


「でも、ディエゴってほんと融通が効かないんだよ…」


「そこは信念があるって言って欲しいところだね」


.

..


目の前で繰り広げられる、明らかに惚気だろ…と分かるやり取りは放っておいたらいつまでも続きそうだ。そう思い慌ててストップをかけた。


「ごめん、ごめん。それよりも…。IORIはもしかして、パートナーと上手く行ってないの?」


「え?」


ビックリしてニコニコと笑っている2人を交互に見るが…


「はい、出来たよ!タラのフリットにアマトリチャーナ、あとコレね!」


上から明るい声が降ってきたと思ったら、料理が運ばれてきた。


テーブルの上に並べられた料理はトマトの赤が色鮮やかで美味しそう。

温かい湯気が早く食べてと言っているように見えた。


そしてグラスワインまで。


先ほどまでの話題がどこかへ行ってしまうほど料理に目を奪われていると、向かいでフリットを摘むディエゴが。


「誰かさんはもう待てないみたいだから、食べながら話そうか。IORI、Buon appetito!(召し上がれ!)」


フォークを持ち、パスタをクルクルっと絡め口に運んだ。


トマトの酸味と甘味が口いっぱいに広がって、後から旨みとピリッとした辛さがやってきた。

ちょっと太めの麺にソースがすごく合っている。


ここ数日、色んなパスタを食べたけど段違いに美味しい。


「これ、すっごく美味しい!」


ワインにも手が伸びる。もう、考えるよりも前に口の方がワインに合うって分かってる感じ。


俺の反応にレオナルドが褒められたかのように嬉しそうな顔をしている。ようやくレオナルドもパスタに手をつけた。


「うん、いつも通り美味しいね」


「フリットも美味しいから食べてみなよ」


ディエゴの好物のフリットもサクッと軽い衣に塩味がちょうど良く、これもまたワインに合う。


向かいを見ると、ディエゴがすでにワインのおかわりをしていた。




「で、IORIはパートナーと上手く行ってないのかな?」


ほとんど食べ終わった頃、さっき料理が来て途中だった話題がレオナルドによって戻されてしまう。


多少アルコールが入ったからか、目の前の2人がとても自然体だったからなのか、普段なら他人に相談するのは躊躇うことも口にできた。


「パートナーではなくて、同居している幼馴染がいるんですけど…。なんとなく避けるようにイタリアに来ちゃったんですよね」


残りのパスタを食べながら、避けるようになったキッカケや、その事に対して抱いていた気持ちなども順番に話していく。


レオナルドもディエゴも真剣に聞いてくれることが嬉しかった。


「ハチの横は居心地が良くて素の自分でいられるんです。だから以前のように戻りたいんですけど、どうしたら良いんでしょうね…」


大きな溜息が漏れた。

いつの間にか食べ終わっていた空の皿に視線を落としたまま。


「それって本当にただの友達?」


「えっ?」


言われたことに戸惑い、顔を上げるとレオナルドとディエゴが優しく微笑んでいた。


「はっきり言って、友達だったらそんな事はもうすっかり忘れている程度の出来事だと思うんだよね。でも、IORIはいまだにモヤモヤと気にしている。それってもう分かってるでしょ」


「数日だけど、ずっとファインダー越しにIORIを見てきた。だから分かるんだけど、IORIは相手の考えている事に先回りをする感の良さと、それに対してどう動いたら良いのかって事を考えるより前に身体が動くタイプだ。だから、落ち着いて一度考えてみるのも良いんじゃない?そうしたら答えは分かるんじゃないか?」


2人にそう言われ、順を追ってもう一度考えていく。


確かに…たまに、ほんとにたまにケンカもするけど、そんな相手は大人になってからはいなかった。

特に仕事をしだしてからはイメージを崩さないように、敵を作らないようにと外ではずっとIORIを作っていたから。

でも、ハチの家に帰ると自然と伊織に戻れた。

そう思った時、なんだかスッキリとした。


あぁ、ハチは俺にとって特別なんだって。


再会したのには意味があったんだって。


お互い、地元を離れた土地で再会するってある意味奇跡に近い。


「どうやら答えが出たのかな?」


「なんかスッキリした顔してるよね」


「ありがとうございます!ようやく答えが出た気がします」


2人にお礼を言うと、レオナルドの顔が曇ったので思わず首を傾げてしまった。


「レオナルド?」


「IORIを早く日本へ帰してあげたいところなんだけど…。う〜ん…さっき一花には話しをしたから聞いてるかな…」


「何かあったんですか?」


言いにくそうにしているレオナルドを見るが、横から答えが聞こえた。


「俺がもう少し撮りたいシーンがあるから、帰国を延期してもらうことになったんだよ」


「へ?」





とりあえず帰国の延期については現在、戸田が関係各所に調整の連絡を入れているようだ。どうりで朝会ったはずなのに姿が見えないわけだ。


色々あったランチを終え、戸田が居ないまま午後の撮影が再開した。


「さっきまでと表情が違うね」


ディエゴがファインダーを覗きながらニヤッと笑うのが見える。


「迷いがなくなったから…かな」





「あ〜。今日も無事に終わった」


ホテルの部屋に戻ってきてベッドに直行しバタンと倒れるように寝っ転がった。


こっちに来てから忙しかったのと時差の関係でハチには連絡をしていなかった。

なんとなく連絡をするのを躊躇っていたのもあるんだけど…。


ポケットからスマホを取り出しメッセージアプリを立ち上げるとハチの名前をタップした。


『いってらっしゃい。気を付けてね』


1番下に表示されているメッセージを見て笑みが溢れた。

数日前にこのメッセージを見た時に感じた気まずさとは180度感じ方が違っていた。今はハチの想いが伝わってくる。



あっ、帰国が遅くなるって連絡しないと。



さっき戸田と別れる時に、1日遅い便になるって聞かされた。

もう少し伸ばしてくれないかと言われたらしいんだけど、ラジオの生放送があるから日曜の夜の便がギリギリのラインだったみたい。


だから、帰国したらすぐ新幹線に乗って移動しないと生放送に間に合わない。最悪、番組の頭は電話かなって今井は笑ってたみたいだが。


ハチに会うのは月曜日の夜になる。


早く会いたい。


今はそれだけ。



日本に戻ったらハチに想いを打ち明けよう。表示したままのメッセージを見ながら自分に言い聞かせる。


でも…告白するってどうしたらいいんだ?


今まで途切れる事なく誰かと付き合ってきたりしたけど、いつも相手から近寄ってくることばかりだった。

みんな俺の見た目だけが重要、いわばアクセサリーみたいなものだった。


今回は初めて大事にしたいと思う相手だ。


「え?マジでどうしよう…」


頭に浮かんだのはレオナルドとディエゴだった。


俺のことを焚き付けた2人には最後まで責任とってもらわないとな。

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