Chapter 1:The Biscuit Foundation

都心のビルの合間にポツンとそこだけ取り残されたかのように建っている一軒家。


赤色の三角屋根が特徴的な洋風の一軒家で、白い壁は日差しを柔らかく反射していて、広々としたウッドデッキには木製のブランコが飾られている。そして周りを囲むように綺麗に手入れされた庭が広がり、季節の花々や樹々の緑が眩しい。


そんな庭の真ん中に家と外を繋ぐように緩やかなカーブを描いた石畳の小径が敷かれている。


そんな小径の入り口には注意して見ないと見落としてしまいそうな程さりげなく「Honey×Honey」と木製の標識のような看板が建っている。


ここを自宅兼店舗としてパティスリーを始めたのが、僕「蜂須賀薫はちすかかおる」だ。


元々ここには祖母が住んでいたが、2年前に他界。この家をどうするかとなったときになんとなく取り壊してしまうのは勿体無いと思い、そのまま住むことにした。


そして、どうせならここに店も開こうと少しだけ改装して4月にオープンしてから半年が過ぎた。


幸い、今まで働いていた店のオーナーが良い人で独立するときに店頭にショップカードを置かせてくれたり、お客さんにもアナウンスしてくれたりと色々と心を砕いてくれた。


今のところ大きな問題もなくきている。


営業は土日の11時からケーキが無くなるまで、月火が休み。水木は工房で焼き菓子の製作や通販、ホールケーキの予約の対応で、金曜日は週末に販売するケーキの仕込み作業…と言った感じ。


僕とオープン時に募集して入ってくれたもう1人のパティシエ、橘朔久たちばなさくの2人で出来る範囲の営業になっている。


橘はまだパティシエとしては2年目で、前に居た店のチーフと合わなくて辞めたとき、ちょうどここの求人を見かけたらしい。


まだオープン前の、しかも経験も浅い僕の店に応募してきてくれる変わった?…奇特な人物だと思い色々と聞いていたら、理由の1つに「色々とコンテストで賞を獲っていたから作品は知っていたので、どんな人だろうって気になった」と。

あと「名前が特徴的なので記憶に残っていた」らしい。


どんな人物だろうと1人で店をまわすのは無理だと思っていたので、こちらとしてはすんなり決まって助かったの一言だ。


それに、前の店を人間関係で辞めていたので要注意人物か?と警戒していたが、一緒に働いてみると素直で明るくて返事もちゃんとできる。

それに勉強熱心で努力家だった。


毎週1つは必ず試作品を作ってくる。

店に出せるレベルのものはまだないが、たまにビックリするような組み合わせだったり、デザインだったりしてこちらも良い刺激を貰えてる。


ここまで、なんだかんだ橘とぶつかる事もなくこれている。




今日は日曜で店の営業日。時刻は午後1時をまわったところ。橘と交代で店頭での対応をしながらケーキの仕上げをしていた。


「これ、あとフルーツを上に飾って、フィルムお願いしていい?」


「了解です!」


今しがたクリームを絞ったケーキの仕上げを橘にお願いし、ショーケースにケーキの補充をしようと店の方へ移動すると「カランカラン」と澄んだベルの音と共に客が入ってきた。


「いらっしゃいませ。お決まりになりましたらお声がけください」


そう一言声をかけ、ケーキの補充をしていると「いいですか?」と声が聞こえたので顔を上げた。


え?


態度には出ていたかもしれないが、声に出さなかった自分を褒めたいぐらいだ。


目の前の客が不思議そうに首を傾げたような気がしたが、今は何もなかったかのようだ。


「どれにいたしますか?」


「ケーキって1つでも大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫ですよ」


「じゃあ、これを」


そう言って指されたケーキを箱に詰め、これも…といって渡された焼き菓子も袋に詰めていく。


会計を済ませ、商品の入った紙袋を渡そうとした時、目が合った。


ゆるっとウェーブのかかった明るい茶色の髪に、くっきりとした二重に長いまつ毛。高さがありすらっとしている鼻筋。整いすぎてどこか近寄りがたい雰囲気もする。


それにしても右目のところにある「泣きぼくろ」。「いーくん」と同じ位置…。


幼馴染だった「いーくん」に似てる?なんとなく面影が…。小さい頃は目がくりっとしてどちらかと言うとかわいい印象だったけど…


でも、ここは前に住んでた東京の家からはかなり遠い。

こんなところで会うはずは…


「…あの〜?」


「あっ、すみません。どうもありがとうございます」


客の男がこちらを伺うように声をかけてきた。


思わず色々と考えてしまっていたようで、少しの間ぼーっとしていたみたい。

慌ててショーケースを回り込み、商品の入った紙袋を渡すと軽く頭を下げた。


カランカランと澄んだベルの音と共に客の男が出ていくと、入れ替わるように次の客が入ってきた。


今は店のことに集中しよう。


そう頭を切り替え、入って来た客に笑顔で挨拶をした。





「朔久くん、今日もお疲れ様。無事に全部売れたね」


「ハチさん、お疲れ様です」


入口の扉に掛けてあるプレートを「close」にひっくり返し、ロールカーテンを下ろす。空になったショーケースを前に橘と2人、笑顔で顔を見合わせお互いを労う。


時計を見ると午後4時35分。世間的には早めの店じまいかもしれないが、「少ないかな?ちょっと足りないかな?」ぐらいの量しか作らないようにしている。


せっかく作ったケーキが売れ残るのを見るのは悲しいし、店舗に関しては家賃も無い。

僕と橘の2人の収入が確保出来ればいいと思っていて欲張らないようにしている。


欲張ってケーキの質が落ちるのは僕のパティシエとしてのプライドが許さない。

それに、買ってくれるお客さんに対しても失礼だと思っている。


「実は、いつも残ってたら買って帰ろうかなって思うけど、買えた試しがないんですよ。良いことなんですけどね」


空のショーケースを見ながら橘がそう言って笑った。


最初に言ってくれたら別で取り置くのにって言うと「それはお客さんに回して下さい」って断られてしまった。


橘もお客さんのことを第一に考えられるパティシエなんだって分かって自然と笑みが溢れる。


「さて、明日は休みだから帰ったらゆっくりします」


「じゃあ、ゆっくり休むためにも店の片付けしないとね」


「俺、工房の方の片付けしますね」


「了解。じゃあ、僕もレジ締めしようかな」


やることが決まるとサクッと動くのが橘だ。工房へ行く背中を笑顔で見送り、僕も作業をすべく動いた。



工房の鍵を締め、隣の真っ暗な自宅に帰ると照明を点ける。

リビングの照明が点くと途端に温かな空間になった。

暖色系の間接照明で少し暗めに設定してあるが、それが気を張って仕事した後の僕にはとても安らぐ。


一旦ソファーに座ってぼーっとするが、キャビネットの上にある時計を見るとまだ17時40分。


ご飯を食べるには早いと思い、細々とした家事を済ませ、お風呂に入ってからにしようと段取りを決め、座り心地のいいソファーから立ち上がった。




お風呂に入って温まった体にとりあえず水分補給と、冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを取り出し直接口をつける。

喉を通るシュワっとした刺激が気持ちいい。


そんなことを思いながら中を覗き、平日に作り置きをしておいたおかずの中から今食べたい気分のものを何品か取り出す。


飲みかけのペットボトルを仕舞って、温めるものはレンジにかける。その間にパントリーへ行き自家製梅酒の瓶を持ってきた。


もともとそんなに飲む方ではないが、いつからだろう、日曜日だけは「1週間お疲れ様」という意味も込めて飲むようになった。


庭の梅の木に成る実を収穫して漬け込んでいる。少しずつ味が変化していくのも楽しみで、ここに住むようになってから始めた趣味だ。

他にも杏酒とレモンシロップを漬けていて、もっと種類を増やしたいと考え中。


「でも、梅の木だけこの庭で浮いてるんだけど、なんで植ってるのかな…?」


ふとそんな疑問が口から漏れたが、レンジの温め終了の合図でその疑問は無かったことに。



テーブルの上にズラッと並べた料理を前に、手を合わせる。


「いただきます」


僕以外誰もいないキッチンに呟いた声が溶けていく。


梅酒を飲みながら目の前のサーモンの竜田揚げを食べていると、ふと昼間の男性客のことが頭を過った。


小さい頃同じマンションの同じフロアに住んでいた男の子、篠宮伊織くん。

僕は小さい頃「伊織」って言えなくて「いーくん」って呼んでたけど。


同じ歳で通っている幼稚園から小学校卒業まで一緒だった。僕は中学に入る時にこっちへ引っ越しちゃったからそれっきり会ってはいないけど、毎日遅くまで一緒に遊んでいたのは懐かしい思い出だ。


その男の子が大きくなったら今日の男性客みたいになってるだろうな…と言うぐらい面影があった。


もし、いーくんだったら思い出話しとかしたい。お互い何処で過ごしていたのか、いーくんのことも色々聞きたいし、僕のことも聞いてほしい。



また来てくれるといいな…。



懐かしい思い出話に浸っていたら、スマホにメッセージが来たことを知らせる音が鳴った。


『休み明けに試作品持っていくので評価お願いしますね!』


橘からのメッセージに自然と口角が上がる。

ほんと、僕以上にやる気があって、いつも感心してしまう。


「了解、でもあんまり無理はしないでちゃんと休むんだよ」


そう返信をしていたら思い出した。


11月にお店に出すケーキ、そろそろ試作しないと…。

一度ケーキのことを考え出すと、そのことで頭がいっぱいになってしまう。


伊織のことはすっかり頭の隅に追いやられていた。




その日の夜、懐かしい夢を見た…。



「お前、ほんとは女じゃないのか?どう見ても女にしか見えないし、いつも篠宮の後ろに隠れてめそめそしてるだろ。悔しかったら言い返してみろよ」


「……」


小学校からの帰り道、いじめっ子3人に囲まれて、いつものように悪口を言われる。


もう慣れっこになってしまったが、僕が何かしたわけでもないのに…。


そう思いながらも怖くて言い返せず、めそめそしてしまう。

早くどこか行ってくれないかな…。


そんな時、遠くから声がした。


「お前ら、またハチをいじめてるのかよ」


「ヤバ、篠宮だ。もういこうぜ」


そう言っていたずらっ子3人組は走って行った。


俯いてランドセルの肩紐をギュッと握っていた僕の顔を伊織が覗き込んでくる。


「ハチ、大丈夫?」


「……」


無言で頷くと「ほら、行くよ」と言って手を引っ張られた。


「ハチのことは僕が守るから」


いつも言ってくれるこの言葉がすごく嬉しかった。安心出来て、伊織の前だけでは笑顔でいられるから。




目が覚めて体を起こすと、いつもの休みの日とは違ってなんとなくぼんやりとしていた。

休みの日は自然に起きるまで寝ると決めているのでスッキリと目が覚めるはず…なんだけど…。


多分…起きても覚えている夢のせい…なのかな。

いつもなら熟睡…というか爆睡して、朝起きても夢なんて全く覚えていない。だからすごく珍しい。


そんなことを思いながら、ぼーっと自分の両手をみる。


今では背も伸びて、多少は男っぽくなった…と思うんだけど。


「あの頃からいーくんは俺のヒーローだったな…」


朝からなんか気怠い感じだ…。

今日は休みだし、少しだけ昔の思い出に浸るのもいいかな…。

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