マッチングアプリ

 私の働いている会社は、地元でも有数の不動産会社だった。土地の管理、オーナーの選定など、いろいろ幅を利かせている。その中で私はせっせと後輩と一緒に掃除をして、トイレや洗面所の洗剤の入れ替え、事務用品の補充に勤しんでいた。


「この仕事ってキャリアになるんですか」


 私が教えることになった後輩の町田さんに、私は「うーん」と言った。


「多分世間一般のキャリアにはならないと思います。でも仕事履歴にはなりますよ」

「それ転職に役に立たないじゃないですか」

「うーん」


 転職希望なことを、既に私に伝えてしまっていいんだろうか。私はそう思いながら「そうは言ってもね」と続ける。


「庶務とか経理って、最近はどの会社でもおろそかにし過ぎだけし、頑張ったところでそれが会社の利益に繋がる訳ではないですよ。でも、働きやすい環境をつくる、ひと手間かかることを事前に終わらせておくのが庶務、会社の収入支出をきちんと見て、会社の経営具合を確認しておくのが経理。馬鹿にされがちだけれど、きちんと意味はありますよ」

「でもAIに取って変わられそうじゃないですか」


 どうしたもんかなあ。この子はまだ、人生経験が足りなさ過ぎる。

 経理だって、数字以外の部分を指摘して予算を出して福利厚生を充実させておくことだって必要で、数字だけ追っていたら見えない部分が存在する。

 庶務は雑用は自分ですればいいと切ってしまったら最後、仕事前に作業が増えて疲れてしまい、仕事が思うように進まなくなるリスクがある。

 AIは人間のことがわからないから、その部分までを計測に入れてくれないって、まだわからないんだよなあ。


「うーんとね、仕事ってただ数字だけ追っていたら破綻すると思います。給料がよくってもサービス残業が当たり前の会社だったら成り立たないし、会社以外に自分の時間が持てなくなっちゃうでしょう。それ以外のことにも目を向けたほうがいいですよ」

「だって……今の仕事って、名前のない家事を延々やっているだけで、意味があるのかどうかわかりませんもん」


 町田さんのぼやきに、私はなんと返せばいいのかがわからなかった。

 多分ガツガツAIを駆使して仕事をしているところがある一方、AIだとできない仕事はどうしても人間に押しつけられる。それこそAIはトイレにトイレットペーパーなんて補充できない。

 仕事にやりがいや達成感を求めていたら、きっとAIに仕事を奪われちゃったときの傷つきようはひどいと思うんだけどなあ。

 私はなんとも言えない気分になりながら、在庫の確認をしてから、足りなくなったものを経理に発注する準備をした。


****


 家に帰ってスマホを見る。

 私が一日がかりで登録したマチアプには大量にマッチングの申し込みが入っていた。

 でも、そのほとんどは見る価値がなく、ブロックしてしまう。


【今度の日曜空いてませんか?】

「いや、まずはおしゃべりしてからでないと相性いいかどうかわからないし」


 ブロック。


【自分無茶苦茶稼いでます】

「いや、お金で釣れるかという話? まだなんの会話もしてないじゃない」


 ブロック。


【写真無茶苦茶好み。ホテル行かない?】

「セクハラ!」


 ブロック。


 半分以上は会話をする価値もないのは、私が登録するマチアプを間違えたのか、それとも見知らぬ女にセクハラ発言かます男が知らないだけでこれだけ隠れていたのか、全く見当も付かなかった。


「年齢が出てるからこうなのかな……舐められてるのかな」


 どうしたもんかなあと思いつつも、自分の趣味の映画鑑賞について書いたのを見てメッセージをくれた人はいくつかいた。


【ホラー映画だったらどんなのが好きですか?】

【ホラー映画が好きというよりも、グロテスクでも綺麗な映像のものが好きですね。退廃的と言いますか】


【恋愛映画は好きですか?】

【最近のはあんまり見ないですけれど、古典のモノクロ映画とか好きですよ。ときどきリバイバル上映しているのを見に行っています】


 映画の趣味が合いそうな人だったら、まだなんとかなるかなあ。

 私がそう思いながらやり取りをしていると、ひとり気になる人がいた。

 写真は横顔だけれど、今まで私にメッセージをくれた人の中では一番あっさりとした塩顔だった。髪は天然パーマかウェーブがかかっているものの、短く切り揃えられているからボサボサの印象がない。

 最近は写真でAIや画像ソフトで加工する人とか、勝手に人がSNSで挙げた写真を使う人もいるけど、この人はどっちだろうな。

 その人が私の上げた映画について、いろいろ感想を述べてきたから、余計に気になったのだ。


【映画の趣味が割とわかりやすいですけど、新着映画は一度は見る人ですか?】

【最近は映画代高くなりましたよね。だから会員登録して、規定数溜まったら無料になるサービス駆使して見ています】

【今期チェックしている映画はありますか? 最近の映画は原作付きが多いですけど、今期はオリジナル作品もいくつか入っていますけど】

【インディーズの人のつくったホラー映画を気にしています。インディーズと言っている割にはやけに凝った映像しているので、どんなものが見られるんだろうと】

【自分もそれは気にしていました。でも自分はどちらかというと映画は脚本で決めるんで、知らない脚本家だとなかなか見るのに勇気がいります】

【脚本家ですか。たしかに腕がものすごく必要ですもんね。どの方がお気に入りの脚本家ですか?】


 正直、一番会話が弾んだ。

 保守的に保守的に生きている私の唯一の趣味は映画鑑賞だし、映画を見に行くためだけに、服や化粧、美容院を気にしているところがある。映画を見に行くのは、私の中ではちょっとしたデートに行くようなものだから、どうしても服に気合いが入っていた。

 やがて、その人と話をした。


【そのホラー映画、よかったら見に行きますか?】

【いいんですか?】

【自分ひとりだと見に行くのに勇気がいったんで。脚本家目当てでない人はどんな感想を持つのか楽しみなんです】


 その言葉に、私は考え込んでしまった。

 ホラー映画を好きというのに食いついたのは、正直この人だけだった。普通の人は、その手の話をしても、「なんだこのホラー映画オタクは」みたいな扱いをされてしまって、話が全く続かない。

 でも、だからこそここまで続くのに警戒していた。

 たしかにマッチングアプリで、ある程度趣味や好み、理想のタイプは入力し、それでマッチングするように設定はしていたものの。コアなファンになればなるほど、共感されると逆に警戒したくなる。

 昔、ある人気ジャンルを好きと言ったらナンパ目的の人がこぞってその人気ジャンルを好きと言いまくったために、警戒して「それもう終わったジャンル」と好きと宣言した人全員から無視されたという例があったという。

 私はその予感を少しだけ感じていた。

 本当だったら、ブロックしてしまえばそれで終わる関係だ。アプリだし、アプリ上で載せている情報だけではSNSや私の個人情報には到達できないから、それでおしまい。

 でも、ホラー映画が好きというと、勝手にレッテル貼られる世の中だ。それを語る相手を無くしてしまうのも惜しいと感じてしまう。語る相手がいないと、なかなかしゃべれない話ばかり腹の中に溜まっているんだから。

 結局考えた私は。


【いいですよ】


 映画には行きたい。ただし、映画以外なにもできないように、ファミリー向けショッピングモールの中にある映画館を指定した。そこだったら、ファミリー向けが過ぎるから、家族連れやそれを見守る警備員が大勢いる。人の目があるところでは変なこともできないだろうと。

 私の指定に、その人はしばらくメッセージが止まった。

 ブロックはされてないみたいだ。私はいぶかしがっていたら、やがてメッセージが届いた。


【このショッピングモール、おいしい台湾料理の店が入ってるんですよね。よかったら帰りにそこで感想戦やりませんか?】


 そう言って、ショッピングモール内の台湾料理のサイトを提示してきた。私はそのアドレスを踏んで、内容を見る。たしかに魯肉飯とか小籠包とかおいしそうなメニューがたくさん並んでいる。

 なによりも見晴らしもいいし、おかしなことにはならなそうだ。私は【いいですね、楽しみにしています】と答えた。

 そして予定を互いに擦り合わせ、待ち合わせの場所と互いに着ていく服を合わせた。これで多分会いに行けるだろう。

 ここまでやって、私は思わずベッドで大の字になって寝っ転がってしまった。

 知らない人と会いに行くのは、これはデートというよりもオフ会に近い。高校時代にデートと言ってもほとんどハンバーガーショップでしゃべるくらいのことしかしたことがない上に、そもそもオフ会になんか行ったことがない。

 25歳になって、初めて大人とデートをして、映画を見に行くんだとしたら、途端に気恥ずかしくなってしまった。

 私は「ふ、服……!」とどうにか伝えた内容通りの服を探しはじめた。

 初対面でいきなり本命の格好をするのはどうだろうと思い、様子見で甘めのワンピースを探し出してくる。映画館に行くときにたびたび着ている、よそ行き用のカジュアルな服だった。庶務の仕事であちこち歩き回る関係で、この数年まともにアクセサリーを付けてはいないけれど、付けたほうがいいんだろうかと、適当に天然石を革紐にぶら下げただけのペンダントを付けてみるけれど、吐き気がするほどに肩こりが襲いかかってきたために、すぐに外した。


「……アクセサリー付けられる人はすごいな。肩こりしない程度の余裕があるんだ」


 ピアスホールもないし、どうしようと悩んだ結果、ワンピースの胸元に前に可愛いと思って買うだけ買って放置していたコサージュを付けていくことにした。これなら可愛いだろう。

 成人してからの初デート……なのか、オフ会、なのか。わからないものに少しだけときめいていた。

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