第4話 お前を見つける。必ず。

交易路は、赤い岩の谷へと続く。

太陽が中天に昇り、砂漠の熱気が三台のマグヌス荷車を包む。

両側にそびえる赤い岩々は、鉄錆のような深紅に染まり、陽光に焼かれて血のように輝く。

風と砂嵐が削ったそれは、まるで古代の巨人が彫った牙や歪んだ顔のようにそびえ、不気味な影を谷底に落とす。

道は狭い。最も細い箇所では荷車二台分程度しかない。

赤い砂と砕けた岩石で覆われ、足元は不安定だ。

岩の隙間や崩れた岩塊が道を塞ぎ、荷車を進めるたびに木枠が軋む。

ところどころに浅い洞窟や岩陰が点在し、まるで来訪者を待ち受ける罠のように暗く口を開ける。

ラクダの嘶きは声を潜め、代わりに風の唸りが谷を満たす。

風は不規則に吹き、岩の隙間を通るたびに笛のような不気味な音を立てる。

まるで、死神の囁きのように。

一行は岩の隙間を縫うように進む。

荷車の車輪が砕けた岩に引っかかる度、従者が力を合わせて押す。

空気は重く、砂塵が喉を刺した。

充分に警戒して進むため足取りは遅々としていた。

「何か変だ。風の音が…不自然だ」。ジンの声が低く響く。

風の唸りが岩壁に反響し、まるで谷が警告を発しているようだ。

緊張感が否応なく高まっていた。

ほどなくして多少開けた場所に出た。

谷の狭い通路が広がり、幅10メートルほどの円形の空間が現れる。

両側の岩山は依然として高くそびえ、赤い岩が陽光に輝く。

周囲の岩陰や浅い洞窟が、暗い目で一行を見つめる。

風の唸りが一瞬止み、不自然な静けさが谷を包む。

ジンが手を上げ、荷車を止めさせる。「ここは…開けすぎだ。罠の匂いがする」

ロッツが槍を構え、目を細める。「ジン兄さん、敵か?」

デアロが盾を掲げ、周囲を睨む。

岩の陰影、風の静けさ、香料の匂い、すべてが不吉だ。

その瞬間、何かが空気を切り裂いた。



ひゅうっ、ひゅうっと音を鳴らし飛んだ矢はまばらに真ん中の荷車を射抜く。

布が裂け木枠が砕ける音が谷に響く。

ラクダの繰手の従者が胸に矢を受けて倒れ、血が赤い砂を更に朱に染めた。

「敵襲だ!」ジンが叫ぶ。

その咆哮をきっかけに兄弟は散開した。

黒い外套をまとった男たちが前方左右の岩の裏から現れ、崖から滑り降りてくる。

手にした曲刀に陽光が反射する。

十人程度の襲撃の中、ひときわ屈強な体躯の男が巨大な戦斧を振り上げ怒声を上げた。

顔の傷跡と冷酷な笑みが、戦場を生き抜く男の残忍さを物語る。

おそらくこいつがガラドだろう。ジンは瞬時に敵の頭を把握していた。

「俺が前に出る!左右を固めろ!」ジンが剣を抜き、躊躇なく前方へ飛び出す。

ロッツが槍を構え、笑みを浮かべる。「やってやるぜ!かかってきやがれ!!」

天真爛漫な無邪気さを残した彼の声とは裏腹に槍の穂先は鋭く光る。

デアロは盾を掲げながらバルクに近づき「後ろに隠れてろ」と言い放った。

バルクは荷車に身を隠し、周囲を注意深く見渡す。

鼓動が早い。落ち着け。自分に言い聞かす。

従者に向けて身を隠すように叫びながら戦況を把握する。

戦闘が火蓋を切った。

前方に躍り出たジンが、飛び出した襲撃者のひとりを初太刀の下に切り裂いた。

続けて低く横に回転しながら強力な薙ぎ払いを叩き込む。

後続の二人目が受けた曲刀もろとも上下に分かれる。

血飛沫が赤い岩に飛び散った。

「ロッツ、左だ!」ジンが叫ぶ。

後方に迫ってきていたロッツが左手から向かって来た二名と対峙した。

ロッツは躊躇なく槍を突き出す。

槍の穂先が襲撃者の左胸を貫き、男が悲鳴を上げて倒れる。

その隙にもうひとりがロッツ目掛けて切りかかるが、手にした曲刀は次の瞬間弾けとんでいた。

「遅いよ」ロッツがポツリとつぶやいた。

空を舞う曲刀が地面に落ちたとき、その持ち主の首は槍に貫かれていた。

一方右手の刺客は再び弓矢でジンとロッツを狙っていた。

ギリギリと引き絞られた矢が放たれた動線に黒い塊が出現する。

デアロの盾が矢を弾いた。

そのまま突撃してくる様はまさに放たれた砲丸であった。

巻き込まれた男は後ろの岩と盾に挟まれ圧死した。

そしてその目線は少し先にいるガラドに据えている。

「ジン!ロッツ!大丈夫か!」デアロが叫ぶ。

「問題ない!」「デアロ兄、やるねー!!」二人がそれぞれ反応する。

バルクは驚愕した。一瞬の相対で襲撃者の半分が死んだ。

クロト兄弟。ここまでの器か。

ガラドが岩塊の陰から踏み出した。

「雑魚ども、どけ! 俺がやる!」

残った面々が散り散りに逃げていくのが見える。

それを全く意に介さずガラドが歩を進める。

巨大な戦斧を振りかぶり思い切り地面を叩く。

衝撃で砂塵が舞い、岩が砕ける。

「ガキども、まとめて叩き潰してやるわ!」

自身を鼓舞したそのままの勢いでデアロに切りかかる。

放たれた一閃を盾で受け止めたデアロが後方に吹き飛んだ。

「くっ!さすがに頭を張ってるだけはある!」

「デアロ!今行く!」ジンが敏捷な肉食獣の速さでガラドに詰め寄る。

剣を振り上げ、ガラドの斧の柄を狙った。

金属がぶつかり、火花が砂塵に飛び散るようだ。

ガラドの力は圧倒的で、ジンの腕が震えるが、その分太刀は鋭い。

ジンが低く身をかがめ、ガラドの足を襲う一撃を放つ。

ガラドが斧を振り回し、剣を弾くが、動きに僅かな乱れが生じる。

「このガキ…!」ガラドの笑みが歪む。

ロッツが側面から飛び込んできた。「ジン兄さん、俺も行く!」

槍が風を切り、ガラドの肩を掠める。

血が滲み、ガラドが唸る。「小賢しい!」

斧が横に薙ぎ、ロッツを狙うが、図ったかのようにデアロが盾を構えて突進する。

盾がガラドの斧を受け止め、衝撃で地面が震える。

盾の三つの星が陽光に照らされ輝く。

クロト兄弟の連携は完璧だ。

ジンが正面から斬り込み、ロッツが左右を突き、デアロが盾で守る。

ガラドの振り回した斧が大きく空を切った。

ジンはその隙を見逃さなかった。

剣をガラドの右脇に叩き込む。

血が噴き出し、ガラドが膝をつく。「くそっ…しぶといガキども!」

傷だらけの顔に怒りが滲む。

バルクは兄弟の勇姿に目を奪われた。

…勝てる。俺は賭けに勝った。このままクロト兄弟を手駒にして成り上がってやる。

ジンが剣を振りかぶる。



ズチャ!!肉を切り裂く音がした。

「に…いちゃ…」

か細い声にジンとデアロが振り向く。

ロッツの胸から赤黒い刃が飛び出ていた。

口からゴポゴポとどす黒い血が気泡と共に吐き出る。

「ローーーッツ!!!」

余りにも突然の出来事に二人は叫ぶしか出来なかった。

ゆっくりと刃が抜けていき、ロッツは前のめりに倒れていく。

ズサ。うつ伏せに倒れたロッツに代わりひとりの男が立っている。

他の襲撃者と同じように黒い外套を纏った姿だが手には長柄鎌を持ち、額に巻かれた布には赤い刺繍が刻まれていた。

「遅いぞ!ザイン!」ガラドが男に呼びかけた。

「うるさい。俺はお前の部下じゃない」

ザインと呼ばれた男は無関心そうにガラドを一瞥すると、素早く身を翻す。

とてもまだ状況を整理出来ていない状態のジンが次に見た光景は頭の頂点から刃を突き立てられているデアロの姿だった。

「ジ…ロッ、かゾ、くま…もル」

ブシュっとデアロの鼻から血が飛び出る。

グリンと動いた眼球は白目になり、体は壊れた人形のように崩れた。

ジンの視界が揺れる。

「ロッツ…デアロ…!」剣を握る手と体内の血が激しく震える。

「殺す!!」

ガラドに打ち込んだ剣撃とは比べ物にならない速度でザインの首元目掛け貫く。

その刹那のジンの剣は間違いなく彼が人生の中で何千、何万と繰り出した一撃の最大級であった。

凄まじい速度のそのなかでジンは俯瞰で攻防を見ることが出来た。

敵は一瞬首を捻り、致命傷を避けている。

だが頬を削った。次は必ず首を取る。

相手も攻撃を繰り出したようだ。

首を捻った勢いで長柄鎌を上へ切り上げている。

大丈夫。当たっていない。殺す。

俯瞰の目線が下がる。この剣をお前の首に突き立ててやる。

目線が下がる。そのまま下がっていく。足元まで落ちて、ロッツと目が合った。



コロコロと転がった首はガラドの足元で止まる。

「まったくバケモンだな、お前は。こいつらだって相当の手練れだった」

ガラドが立ち上がり言った。

足元の首を持ち上げ、しげしげとジンの顔を見たあとロッツへ向けて投げ捨てた。

「まぁ死んじまえばどうしようもねぇ。そうだろ?兄弟」

ガラドの顔には冷酷な笑みが戻っていた。

長柄鎌の男は特に興味があるわけでもなくその場に立っている。

「さて、あとは仕上げだ。まぁったくあいつらどこまで逃げやがった」

ガラドはバルクの隠れている荷車に近づく。

バルクは荷車の下で息を殺し、震える手で証書を握り潰した。

「荷物…守らなきゃ…ソキエタス加入が…」

だが、その野心は血の海に沈もうとしている。

ガラドの足音が近づき、血まみれの戦斧がギラギラと陽光に光る。

「運び屋、隠れてんじゃねえ。荷物よこせ!」

ガラドが荷車を叩き割り、木片が飛び散る。

香辛料の袋が裂け、辺りに複雑な匂いを放ち、血のそれと混じりあった。

ガラドがバルクを荷車から引きずりだし、無理矢理証書を奪い取った。

「おいおい、この蝋印見ろよ、こりゃ紅削りだ!上物の証だぞ!大儲けだ!」

バルクは満面の笑みで証書をザインに見せつけた。

ザインの目が鋭く細まる。

鮮やかな朱色の蝋印。双頭のラクダと星で出来たソキエタスの印だ。

そのラクダの首を括るように蛇の模様が浮かんでいる。

「これは…」ザインの声は冷たく響く。

「なんかいったか? まぁいい。突っ立ってるんなら逃げた奴らを呼んできてくれ」

ガラドが素っ気なく続け、振り返り、バルクを睨んで言った。

「こっちは始末しておく」

「助けて…くれ」バルクが力無く懇願する。

「ああ、助けてやるよ。だからじっとしてろ?」

言葉とは裏腹にガラドは斧を振り上げ、手に力を込める。

その時ザインの鎌が閃く。ガラドの背を貫き、血が赤い砂に噴き出す。

「…ザイン…てめえ…裏切り…」ガラドの冷笑が歪み、巨大な戦斧が地面に落ちる。

ガランと岩を弾く音が響き、ガラドの体が崩れる。

無言のままザインは証書を拾い、蛇の模様を睨む。

「ようやく…」

唐突にザインがバルクに鎌を突きつけた。

「運び屋、お前この荷物の主を知っているな」

バルクの額を汗が濡らす。

「俺は…ただの商人だ。なにも…知らない」

「嘘をつくな。これをどこまで運ぶんだ?予定通り荷物を運べ。それか、今ここで死ぬか?」

バルクは項垂れ、視線を下げ呟く。「わかった」

ソキエタス加入の夢は、兄弟の命と共に潰えた。

赤い岩の谷は、裏切りと血の舞台だった。

風が強く唸り、飄々と舞う砂がクロト兄弟の亡骸を覆い始めていた。



そしてザインはあの時胸に刻んだ言葉を口にする。

自らに言い聞かすように。しっかりと。

「お前を見つける。必ず。砂の一粒となって逃げおおそうとも」



第1章 終



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