第5話 「二人目?」
翌朝の塾。シフト表にはいつものように「斎藤」の名があったが、事務室に彼女の姿はなかった。
「最近、斎藤さん見ないよな」
休憩時間に、同期の講師・松田がぼそりとつぶやく。
「体調崩してるんじゃない? 家で休んでるって聞いたけど」
別の講師が答えると、皆「ああ、そうなんだ」と軽く流した。
そこに黒木塾長が現れ、穏やかな声で告げる。
「ああ、斎藤さんのことか、まあ業務連絡は他の職員が引き継ぐから、君たちは普段通り授業に集中してくれればいい」
それ以上の説明はなく、俺の胸には小さな棘のような違和感だけが残った。
(俺の口座に巨額を振り込んだ人間が……雲隠れ?)
その日の夜。食卓に並んだ豚汁とサバの味噌煮。
母は「今日は塾どうだった?」と何気なく聞いてくる。
「……まあ、いつも通りかな」
俺は曖昧に答えた。斎藤のことを言おうか迷ったがやめた。母に話しても解決するわけがない。
食後、母が洗い物をしていると、テレビから速報のチャイムが流れた。
『県道での交通事故、死亡したのは会社員の斎藤ゆかりさん(32歳)――』
手にしていた湯呑みを落としそうになる。箸の先から汁がぽたりと垂れ、やけに大きな音に聞こえた。
「どうしたの?」
母が振り向く。
「い、いや……なんでもない」
慌てて笑顔を作るが、顔が引きつっているのが自分でも分かる。
テレビには大破した車体の残骸、規制線の向こうに立つ警官の姿。アナウンサーが「単独事故と見られる」と淡々と読み上げていた。
だが俺の頭には別の文字が点滅していた。
――『振込人:サイトウ ユカリ』
ニュースの名前と履歴の名前が重なり、血の気が引いていく。
翌日の控室。インスタントコーヒーを飲んでいると、松田が口を開いた。
「昨日のニュース見た? 事故で死んだ人、斎藤って名前だったよな」
「え、マジ? でも同じ名前なだけじゃないの?」
「だよなー、偶然偶然。……黒木塾長も今日いないし、本人なのかどうかも確認できないしな」
「そうそう。まあ出勤してくれば分かるでしょ」
軽い調子で話題はすぐ別に移った。
だが俺だけは笑えなかった。偶然にしては重すぎる――胸の奥でそんな声が鳴り続けていた。
帰宅後、自室で銀行アプリを開く。
数億円の残高はそのまま。そこに「サイトウ ユカリ」の文字が貼り付いている。
(やっぱり、あの振込は……斎藤さんだったのか?)
「偶然だ」と唱えてみても、田中の死・斎藤の死・口座の数字が一本の線を描き始める。
「もし……全部偶然じゃなかったら?」
声に出した途端、部屋の空気が重くなった。
数字はただそこにあるだけなのに、俺を射抜くような存在感を放っていた。
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