学園でただ一人の人間族、気づけばみんな私に夢中でした

ジェネレイド

第1話 サキュバス



草原の風が頬をなでる。柔らかい緑の絨毯がどこまでも広がり、遠くで小鳥の声が響いていた。

そんな穏やかな風景の中で、私の名を呼ぶ声がした。


「ほのちゃん、こっちだよ」


わたしに向かって、小さな手が差し出される。

 ××ちゃん、だ


昔、よく一緒に遊んでいたあの子。けれど、どうしても顔だけがもやに覆われて見えない。


「待って×××ちゃん」


わたしは伸ばされた手を掴もうと走り出す。


しかし掴もうとするほど遠ざかっていく記憶に、胸が締めつけられたそのとき――


「――ほのかさん。神代ほのかさん、起きてください、説明中ですよ」


澄んだ鈴のような声。


トントン、と机を叩かれる感覚に、私は

「うにゃ……」と曖昧に返事をした。


ようやく目を開けると、そこには人形みたいに小さな女性が立っていた。


私の腰くらいの背丈。透き通る白い肌、背中には光を帯びた羽がひらひらと揺れている。


妖精族だ。


「まったく、初日から寝ているなんて。人間族は勤勉だと聞いていたのですが」


小さなため息をついて、彼女は肩を揺さぶった。


「私はこのクラスを担当する、妖精族のイリア・グランヴェルです。よろしくお願いします」


「……あ、はい。よろしくおねがいしますぅ……」


イリア先生はちょこんと教壇に立ち、透き通る声で説明を続ける。


「さて……改めて、この学園に入学した皆さんに説明しておきましょう」


そう言って、先生は指先を動かした。魔法の光が浮かび、教室の空中に半透明の映像が広がっていく。


「二十年前、世界を大きく変える出来事が起こりました。皆さんも歴史で学んできたと思います――『異世界融合事件』です」


光の映像に、崩れゆく都市や異形の影が映し出される。教室がしんと静まり返った。

私はぼんやりしながらも、聞いていた。


「突然、この世界といくつもの異世界が重なり合い、境界が溶けました。その結果、各地で混乱と争いが起こりました。」


狼の耳を持つ獣人、空を舞う竜族の影、光に包まれた精霊の姿……次々と映像に現れる。


「当時、人類の国々は対応に追われました。異種族を受け入れるべきか、排除すべきか。多くの対立と混乱が続いた末、国際連合や各政府、そして異世界からの代表者たちが集まり、緊急協定を結びました」


光の映像に浮かび上がるのは、円卓に座る様々な姿――人間の政治家、角の生えた魔族、羽を広げる妖精、獣人の戦士。


「それが――I.C.C.《異種族交流評議会》です。人間と異種族が共に暮らすための枠組みであり、この二十年、世界の平和を保つ要となってきました」


教室のあちこちから、真剣な眼差しが向けられる。


「そして、皆さんが学ぶこの学園――『ヴィナロディア女子学園』も、その一環として設立されました。未来を担う若者たちが、互いの違いを理解し、共に学び合う場所です。」


「本校はICCの直轄教育機関です。目的は三つ――知識の共有、文化の交流、そして共存の実践。人間、獣人、竜族、精霊、妖精、悪魔種……あらゆる種族が共に学ぶことで、未来の世界に橋を架けるのです」


映像の最後には、この学園のシンボルである六枚羽の紋章が浮かび上がる。


「――それこそが、皆さんがここに集められた理由です」


イリア先生の言葉が響き渡り、教室が静まり返る。



「では、次は自己紹介をしてもらいましょう」


そう言ったイリア先生は廊下側の生徒を指差す。

クラスメイトが次々と名前や特技を言っていく。私は机に突っ伏したまま、目を半分閉じて夢と現実の境目を漂っていた。


「次、神代さん」

「……はーい」


重たい体を起こして、ぼんやりと顔を上げる。


「…ふぁあ…えっと……神代ほのか16歳です。人間族です。趣味は……寝ることと、料理と、自然観察……ですぅ」


まだ寝ぼけた声。クラスの子たちがくすくす笑う。


「でね……わたしの目標は……この学園で、恋人をつくること、です」


次の瞬間、教室がざわついた。


「こ、恋人って……!」

「人間族がフリーで恋人募集中……?」


(あれ? なんか騒がしい……?)


きょとんと首を傾げる私をよそに、クラスの空気はどんどん熱を帯びていった。



自己紹介が終わり、休憩時間。私は再び机に突っ伏し、眠りに落ちかけていた。


トン、と肩を叩かれる。

「……だれぇ?」


肩に触れた指先は、ひんやりとした感触を残して離れていく。


「自己紹介、聞いてなかったの?」


見上げた先に立っていたのは、絵画の中から抜け出したみたいに端整な顔立ち、漆黒の長髪と赤い瞳を持つ少女。背中の小さな翼、腰から伸びた尻尾――サキュバス族だ。


「私はサキュバス族のライラ・ノクティス。」


彼女は胸に手を当て、妖艶な笑みを浮かべる。


「ほのか、普通は人間族の子が恋人を作りたいなんて口にしたら……この教室、あっという間に修羅場になるのよ、気をつけなさい」


紅い瞳が嗜めるように細められる。


ライラは一歩近づき、私の机に手を置いて身をかがめる。

吐息がかすかに頬を掠め――囁くように問いかけてきた。


「……確認したいんだけど、さっきの話、本当なの?」

「?」

「だから……恋人募集中って」

「うん、ほんとうだよぉ」


にっこり笑うと、ライラは一瞬だけ言葉を失ったように目を見開き、それからすぐに妖艶な笑みを取り戻した。


「へぇ……そうなの。じゃあ、話があるわ。人前じゃ言いにくいから、ちょっとついてきて」


その瞬間、教室の空気がピリリと張りつめる。

そう例えるなら、目の前で限定スイーツの最後の一つを取られたような、そんな緊張感だった。



ライラが私を導いた先は、授業で使われる空き教室だった。

「なんだか暗いね……」


(人気もないし、寝るにはぴったりかも)


と心の中で思い、辺りを見回していたら、ライラが突然私の手首を掴み、壁際に押し付けてきた。


「え……?」と驚き、振り向く間もなく、ライラの紅い瞳がじっと私を見据えていた。


「ほのか、私の目を見なさい」

「?」


赤い瞳が妖しく光る。吸い込まれそうな深紅の輝き。

(わあ……綺麗な瞳……)

あまりの綺麗さに見惚れてしまう。


「ふふ……これでもう、あなたは私の虜よ」


「……?」

何のことか分からず首を傾ける。


「さあ、服を脱ぎなさい、ほのか」

「? どうして?」


「なっ……!? 手加減しすぎたかしら。もう一回!」


再びライラの瞳が光を帯びる。先ほどよりも強く光り輝く。


「ライラちゃんが何を言ってるのか、全然わからないよ」


「き、効かない!? なんで!? 私の魔眼が……っ」


混乱した表情で私を見つめるライラに私はぽやんと微笑んだ。


「よくわからないけど……友達になりたいってこと?」

「えっ……」

「じゃあ、握手!」


空いている手をぎゅっと掴んでにぎる。


「これで友達だね。えへへ」


「……は、はい」


しばしの沈黙のあと、私はふと空を見上げ、教室の窓から差し込む光に目を細めた。


「そろそろ授業始まっちゃうから戻ろう?」


ライラは少し戸惑いながらも、ぎこちなく頷いた。

私はそっとその小さな手を握り、二人で元の教室へと歩き出す。

廊下を進むたびに、ちらりとライラの赤い瞳が私を追うのがわかる――でも、私はまだその視線の意味に気づいていなかった。




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