It's Me, Come Home 

 グレンがエンパワービル最上階の異変に気付いたのは、二十二時半になろうとしている頃だった。ホテルの部屋でフットボールの試合を観ていると、カメラ映像を監視していたAIが異常検知音を鳴らしたのだ。モニターに目を凝らし、テラスに面した広い窓の端に異変を認めた。念のために双眼鏡を覗き、それが間違いなくヒビだと確認する。窓ガラスにヒビが入る状況は普通ではない。中でトラブル――しかも銃弾が飛び交うような物騒な――が起きているに違いない。


 すぐに、別室にいるセシリアの携帯に電話をかけた。


「シス! ペントハウスが襲撃されている。灰色ウサギグレイラビットかもしれない」

「そっちへ行くわ」


 そう時を置かず、セシリアが部屋にやってきた。窓へ寄って双眼鏡を覗き、彼女は息を呑むようにして頷く。


貴方あなたが見たように計画的な襲撃だとしたら、灰色ウサギグレイラビットが優勢と考えていいわね。噂では良い腕のようだし。裏界隈では穴蔵破りネスト・ブレイカーという二つ名があるそうよ」

「大層な二つ名だな」


 だが成果を上げ、生き延びてきているからこその二つ名なのだろう。


「僕はエンパワービルへ行く。彼らがどこから入り込んだのかは分からないが、逃走するなら車を使うはずだ。持ち出すお宝があるなら猶更なおさら。シス、君は――」

「私は立駐の出入口が見える下のダイナーで見張っているわ。あそこなら二十四時間開いているから」

「頼む」


 ショルダーホルスターで拳銃を携帯している上からジャケットを羽織ったグレンは、ホテルの部屋を飛び出した。


 こちらから攻撃を仕掛けるか? ひと仕事を終えていたとしても、まだ脱出できていない彼らは気を抜いてはいないだろう。だが第三者からの襲撃は想定していないはずだ。きっと高い効果が見込める——。


 だが、だめだ。

 思案したグレンは、そうすべきではないと判断した。不意の攻撃は混乱を生みやすい。もしその場に、あのフランシスが見つけた監視カメラ画像にあったように花澄が同行しているなら、何が起きるか分からない。あの爆発のあった日のように、混乱の中でまた娘を失いたくはない。まずは、花澄がいるのかを確かめることが重要だ。


 立体駐車場の一階で待ち伏せることも考えたが、強盗はなるべく早く車に乗りたいと考えるだろう。ならば、立体駐車場の最上階である五階だ。


 襲撃が起きた時からそれなりの時間が経っていたが、グレンはまだ余裕があると見ていた。警報が鳴る中での強盗であれば逃走までの時間を短くすることが至上課題となるが、エンパワービルは静かなままだ。それならば、時間をかけてお宝を盗み出しているに違いない。むしろ、そうせざるを得ない保管方法を講じられているからこそ、隠密裏に襲撃したに違いない。


 しかし経過がどうであろうと、最終的には逃げなくてはならない。だからグレンは逃走車両に目星をつけ、そこへ至る導線上で待ち伏せることにした。何か問題が発生しても、逃走車両を目にして気が緩んだ相手ならば先手を取りやすい。


 方針を決め、グレンは立体駐車場に入り込み、五階へと上がった。駐車場には灯りが点在しており、それなりの車両が止められている。警備担当者やオフィスでまだ仕事をしている者の車だろう。


 その中でグレンが目を付けたのは大型のSUVだった。大型というだけでは特に珍しくもないが、エンジンがかかっている。しかも運転席にドライバーの姿はない。ということは、見えない後部座席で何らかの作業をしている可能性があった。後方支援者バックアップマンが乗っている可能性が大だ。


 グレンはあえてそのSUVには近づかず、モール側にあるテラスガーデンからの経路で待つことにした。中央に緑の樹々が島のように配置されているここなら、隠れるにも最適だからだ。銃撃戦になった場合でも対応しやすい。


 そしてグレンは一人モールから駆けてきた娘を見つけた。その瞬間、これまでの計算や警戒が吹き飛んだ。考えるよりも先に体が動いた。道を塞ぎ、呼び止める。


花澄カスミ!」

「わっ」


 驚いた声を小さく上げて足を止めた娘との距離は十フィート(三メートル)ほど。腕を伸ばしても届かない距離だ。

 

 娘の顔は、よく見えない。傍にあるポールライトの光を反射し、彼女のサングラスのフレームが光っているからだ。しかし、背格好からモールで見た少女に間違いないとグレンは確信した。


 反射的にだろう、娘の右手がレッグホルスターの銃に触れる。グレンは慌てて両手を軽く上げ、敵意がないことを示した。


「あー……妖精さん、消えちゃった……ここが、ゴール?」


 サングラスのせいで娘の視線は捉えにくいが、何もない暗い宙を彷徨さまよっているように見える。彼女の右手が銃から離れたことにグレンはほっとしたが、異様に見える娘の様子にしばし戸惑った。


「えぇと……、オジサンだぁれ?」


 娘から発せられた言葉に、グレンは息を呑んだ。だが、十年ぶりなのだ、と自身に言い聞かせる。


「迷子なの?」


 困惑したように小首を傾げる仕草は、昔と同じだ。


「ああ、迷子になった子を捜しているんだ」


 一歩近づくと、娘が一歩、後ずさった。


「逃げないでくれ、花澄!」


 もう一度名前を呼ぶと、ビクリと娘の双肩が震えた。サングラスが下へずらされ、こちらを凝視している榛色ヘーゼルの瞳が露わになる。完全にサングラスが外されると、愛らしい顔が現れた。形良い小さな口は僅かに開かれたまま、長い睫毛が落とす影の下からグレンをまっすぐに見つめてきている。幼い花澄の面影が残る眼差しだ。


「僕を忘れたのかい? パパだよ! ずっと捜していたんだ。あの時、一人にして本当に済まなかった……!」

「パ、パ……?」

「そうだよ、花澄! 僕と一緒にお家に帰ろう。ママも待ってる。ママも僕も、花澄を抱き締めたくてたまらないんだ」


 パパ、と口にしてくれたことが、グレンの胸をじわりと温かくした。妻の真琴によく似ている目元を見て、改めて確信する。彼女は、五歳の時に爆弾魔が起こしたホテル爆破に巻き込まれ、行方不明になっていた娘の花澄だ。


 これまで犯罪に巻き込まれていたのだとしても、そんなことは無かったことにしてみせる。使える手は全て使う。これからは家族四人で幸せに暮らそう。あるべき家族の姿に戻るのだ。


 ふいに花澄の眉が苦しそうにひそめられ、サングラスが彼女の指を滑り落ちた。両手で頭を押さえた花澄の瞳が揺れ、灯りを閉じ込めた涙が頬を伝う。


「マ、マ……?」

「そうだよ、花澄! さぁこっちへ——」


 グレンが両手を差し出し、近づこうとした時。

 涙に濡れた花澄の瞳が、突然、鋭い光を放った。


「ダメッ!」


 驚いて首を竦めた横を何かが通り過ぎる。グレンはすぐに樹々の裏へと身を引いた。今のは銃撃だ。


「ミア!!」


 突如、男の声が響いた。

 大きく身体を震わせた花澄が後方を振り向く。


「お前は――!」


 グレンはそう口にするのが精一杯だった。銃を抜く間もなかった。暗い木陰から現れたウサギ頭が花澄を片腕で抱き込むようにして捕らえ、銃口をグレンへと向けたのだ。グレンはやむなく身を潜めた。反撃しようにも、今の体勢では花澄に当たりかねない。


「両手を頭の後ろに置いて、這いつくばれ」


 そう言った灰色ウサギグレイラビットの被り物をした黒スーツの男を見上げ、花澄が涙に濡れた目を見開いた。


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